残された死に甲斐で生きる

1年前のマイクのブログ2018/5/5「生き甲斐より死に甲斐?」(死に方教えます)に 「死に甲斐」についての思いがあります

『1年前から SNSで 生き甲斐「IKIGAI」が 世界に発信されているとか
勿体ないや おもてなしに続いて 日本の心として 日本人にも意識されてきたようです

生き甲斐とは
LOVE(好きなこと)
GREAT AT(得意なこと)
PAID FOR(稼げること)
NEED FOR(世界が必要としていること)
だとか

死に方ばかりを考えるマイクですので この様な生きる意味については 多くの賢人にお任せしています
それより死に甲斐について このような簡潔な指針を作りたいと思います

「マイクの死に甲斐」とは
もう十分生きてきたことと 終末期が近いことを既に悟っており
苦しまないで死ねることを確信できれば安心して死ねる筈です
他人にお世話になっても 迷惑をかけたくないこと 感謝して死ねること
やりたいことは残り少ないし 疲れ切っていて 自分一人ではなしえないと諦められること
それでも最期に少しは それをなし得たと 錯覚でもいいから味わって死ねるならそれに越した幸せはない

「老人マイクの死に甲斐」には 生前の自己や社会の悪行を懺悔しながら生き永らえてきたので 死ぬまでには罪滅ぼしをしてから死にたいという思いが 根底にあるのです
特に 死ぬくらいなら 社会が必要なことを 死をかけてやれるのではないかと いつも思い探しているのです

SNSに発信できるような格好良い纏め方をしたいものです
死に甲斐が 高齢先進国の悩める日本が発する 日本人の心になる日は近いのです』

1年前のこのブログには 健康寿命を過ぎたことも 余命がまだ10年もあるなどと言うことも意識することなどもない元気さがあったのに また 誰もが人生100年時代と世の中は浮かれているのに マイクは生き甲斐より死に甲斐に関心があったのです

だからと言って 生き甲斐として やり残ししたことがない訳ではありません
生き甲斐と言うより 老人の責務として マイクは社会的にも 個人的にも懺悔すべきことを考え直し既に告白しています(HPなどで)
しかし 罪滅ぼしとして 閻魔様に許されるだけのことを十分したと言う自信は残念ながらありません
それでも余生にまだ充分の余裕があると漠然とした自信があり そうする積りでいました
マイクとしてどんな罪滅ぼしがいいか それを考えださねば それを実践せねばと言う思いが老人マイクの唯一の残された生き甲斐でした
それはマイクだけの思いではなく そう言う思いを持つべきと知人友人に幾度となく説いてきましたし 同じ思いの老人もいると信じています
そのような未練を残したまま安楽自死支援施設へ来た終末期老人には その願いを バーチャルな錯覚ででも叶えてあげたいと言う構想を考えているのです

実際に罪滅ぼしや そうでなくとも 誰かに仕返しをしてから死にたいと思う友人は沢山いますが 家族や世間体を考えて 元気な内はできないことばかりです
その無念を残したまま死なせたくないのです

2/6の告知の後の2月・3月の危険状態ではこのような未練がいっぱいで死に切れなかったのです
勿論二人の神様仏さんによって精神的延命されたことには間違いありませんが この未練があったからでもあるのです
その諦めかけた未練の具体化が これからのマイクの気力体力で足りるかは分かりませんが 励みにもなり ラッキーとハッピーが続いているのです
嬉しくもありがたいことです

生に向きあおう/「ほぼ」で良いから❗️

どこかの調査です
https://www.sankeibiz.jp/business/news/180119/prl1801191302061-n1.htm
100歳まで「生きたい」12.6%、「生きたくない」65.4% とにかく不安なのは健康とお金、認知症 人生100年時代には「公的支えが必要」85.9%

ポックリで死にたいと言いながら 100歳までとは言わず何時迄も人はそのまま生きてしまいます
その日その日に向き合うことを忘れていたら 無理して死ぬことも生きることも必要ないのでしょう
しかし 成るように成るとか 在るが儘にとかではなく 向き合って生きることを忘れるなと言う条件があって欲しいものです
(5/10の往信の最後にあった「向きあおう」と言う清水さんの言葉で目が覚めたマイクです マイクはもともと向き合うことが好きでしたとその日に返信しました)

セネカは 哲学する閑暇こそが人生だと言った(古代ローマの哲学者 前4年頃~後65年)
向き合うことだけで哲学だとは言いませんが ほぼ哲学なのです
セネカは人生を短いと捉え 生の使い方を知れば長いと結論した
使い方を知るにはまず向かい合うことから 「ほぼ」哲学に繋がるのだとマイクは悟ったのです

5年前に セネカを噛み締めようとしていたマイクでした

2014/12/2「セネカは素晴らしい」(心満たされて死にましょう)https://sky.ap.teacup.com/jishi/446.html

「人生の短さについて」セネカ・浦谷計子 PHP研究所 (2009/2/21)

あなたがせわしなく過ごすうちに、人生は急ぎ足で去っていくのですよ。寸鉄のような警句が胸に刺さる、ローマの哲人、セネカの手になる古典的人生論。

セネカ 古代ローマ帝国の政治家にして哲人。紀元前4年頃~紀元後六五年
運に支配される生き方ではなく 自分の意志で生きよと説く
それならば逝き方も然りだと思う
皇帝ネロに自殺を命じられ 友人たちと会話をしながら毅然と死んだようです

今まだ読みかけですが 古ビトに教えられることが多い
そしてそれを踏まえた今様の生き方・逝き方を 考え出さなければなりません
自分の意思・自己決定による積極的な死に方を 考え出さねばなりません

“生に向きあおう/「ほぼ」で良いから❗️” の続きを読む

まっしぐらに落ちても/調子に乗っていたい❓

何時かは 清水さんのお父上の壮絶な信念ある死に方をお聞きし 昨日はお祖父さんの羨ましい生き方に 共に清水さんのDNAを見る様でした

マイクの父は 和菓子屋の祖父に子供がなく 親戚から母を貰い子し 丁稚の父と一緒になって両貰いされたのです
父は養子のように真面目生一本でしたが 菓子組合や町内や公民館の仕事を引き受け 議員の世話役など 信頼されることに喜びを得ている様子をマイクは見て育ちました

逆に祖父は40代から隠居し 女遊びの話は全く分かりませんが 盆栽 畑仕事 釣りに 小鳥を飼い 深山の苔取り ありとあるだけの知識と趣味を楽しんだばかりか 最後は在家の坊主として自宅で法話をし マイクが後継する話があったくらいです
そんな父の堅実さと 仏心と遊びの人生を見せた祖父への憧憬からは逃げられません

今も知的でお元気な95歳の清水さんのお母さんのことはよく存じ上げている積もりです
マイクの父母とも亡くなっていますが 母の子への思いは並み並ならない事を 5人兄弟姉妹の誇りとしていて 今も5人の繋がりの強さの元となっています

家内や子供・孫の話はまたにして 兄弟家族の存在は マイクには何よりも大事なこととは身に沁みて分かっているのですが 現実の人生と言う波は どの家庭でも平穏とは限りません
でもなんとか並みにやってこれたものと満足しています
そんな中でのマイクに起こった事件とも言うべきことは 皆に相当にショックを与えたと思います
しかし長い人生の一場面でしかなく それも天災や事故の被害に比べれば並みのことなのです

病は本人の体でしか苦しめないし 所詮家族には見守りがあるだけで満足なのです
かえって心配過剰は本人に気遣いの負担になります
家族とは互いに自力本願で生きており 最小限の他力本願で繋っていると心得ておくべきなのでしょう

病人に掛けてはならない言葉が参考になるかも知れません
癌患者が言われて傷つく言葉を調べています
がんばって かわいそう 前向きにならなきゃ 手術で・・・とか
『あのひとががんになったら – 「通院治療」時代のつながり方』 桜井なおみ 中央公論新社 (2018/3/20)
には家族だけではないコミュニケーションの大事さを教えてくれています

マイクの人生は 思わぬ78歳で 並みのままで予定していた身体の平均コースから外れたものの 寄り道や回り道どころか 真っしぐらに天命を果さんと道付けられました
それでも2月3月の危険状態を切り抜け 丁度ひと月先の「生前葬 パフォーマンス」に向けて駆け上がり また清水さんからのご支持を受けて マイクのぶち撒けを社会に実らすチャンスを頂いて 少し濃いめの最期を迎えられるよう生きる目標ができたのです

まっしぐらに落ちていても 錯覚にでもそう思える内は 何の不安も無いはずと信じられます
それは マイクが後期高齢者になるまでにして来た「寄り道と 回り道の人生」に 充分心身共満たされているからです
これからひたすら末期高齢者に近づくマイクは 精神力だけで心満たされることでも生きる価値があると次第に思うようになれるような気がして来たのです

一寸 調子に乗り過ぎたかな?

人生は寄り道回り道

マイクさん

「余生の濃縮化」という言葉に触れて、ぼくは50年程前に亡くなった祖父さんのことを思い出しました。脱線するかもしれませんが、今日は祖父さんの話をしたいと思います。
ぼくの祖父さん、清水忠一は腕のいい京指物の職人でした。江戸時代の中頃から続く職人の家で、忠一の父徳次郎の時代、明治の中頃が最盛期だったそうです。代々の当主たちは名人と称されるほどの手業を誇る一方で、花街に馴染みの置屋や料理屋を持ち、放蕩を絵に描いたような遊びに現をぬかしていたとも聞きました。忠一祖父さんも例外では無かったようです。

祖母さんがよく嘆いていました。ひとりで集金に出かけると、その金を持ったまま遊びに出かけ、すっからかんになるまで家に帰ってこなかったと。そこで祖母さんは幼なかったぼくを伴わせて集金に行かせました。幼い子と一緒ならそのまま遊びには行かないだろうと。ところが何の祖父さんは、ぼくを連れたまま遊郭の座敷に上がってしまうこともしばしばでした。

酒を飲み上機嫌になった祖父さんはぼくを膝に抱き上げ、必ずうれしそうな顔でこう言ったのです。
「人生は寄り道回り道。道草食ってこそ生きる道や」
と。今振り返ると、この言葉は自分の行為を自己弁護するものだったのか、ほんとうにそんな人生を目指していたのか、そのあたりはよくわかりませんが、若い頃のぼくはこの言葉を生きていくための教訓として受け止めていました。何だかカッコいいなあと。

ズバリ言って、祖父さんの生活はとても濃かったのです。それがマイクさんの言う濃縮化に重なるのかどうかわかりませんが、その濃さはゆとりとか、余裕とか、遊びとか、そんなふうに言ったらいいかもしれません。祖父さんの暮らし方は、ぼくの父に家業を委ねてからも一向に変わる気配はありませんでした。亡くなるギリギリまで遊び歩き、寄り道回り道、道草を続けていました。

そんなぼくらの家が裕福だったかと言えば、決してそんなことはありませんでした。「普通」の家だったのです。裕福どころか、ぼくは同級生の家に遊びに行くたびに、我が家は貧乏だと思っていたのです。祖母さんの怒りをよそに祖父さんはそんな生活を続けていたし、父にしたって似たようなものでした。でも、世間のあちこちにそんな祖父さん、親父たちはいっぱいいたように思います。

さて、ここで「今」の話に目を向けたいと思います。
数日前、政府が事実上の年金制度の破綻を認めたというニュースが流れました。その瞬間、SNS上で若い世代から安楽死の認可に共感する声がひろがったと話題になりました。そんな時代に惨めな思いをして老後を生きるなら、いっそのこと死んだほうが楽だし、マシだということなのでしょうか。マイクさんが言うように、長寿化が進むことによって老後の希薄化が進み、余生の濃縮、これは豊かな老後ということになるでしょうか、そんなことはよほどの財力がないと不可能だということなのでしょう。
しかも生きているのも関わらず、健康寿命の後の生き様を「生活死」とよぶなんて……。

今の世の中、ぼくの祖父さんや親父のように、自分の好き勝手に、自分が面白いと思うような人生を生き続けることは不可能なのでしょうか。

マイクさん

ぼくはマイクさんが、ALSという深刻な病と向き合いながら、とても濃縮された豊かな人生を生きられるんじゃないかと期待しています。もしマイクさんにそれが可能なら、ALSほど重い病気を得た人に余生の濃縮化が可能なら、普通に生きる人にはもっと可能なんじゃないでしょうか。ぼくはマイクさんにそれを見せてほしいし、それを見せることが「倍ほどのお世話になる」マイクさんの「倍ほどのお返しになる」んじゃないかと思います。

ぼくも濃い余生、老後を送りたいと思いました。

癌とALSの往復書簡の意味❓

往復書簡なのに マイクは自分のALSの事ばかりです
2/6の告知からの2月3月は まさかの難病に沈むばかりで 他の事を考える余裕もなかったのは当然としても 4/8からの入院生活後は 精神的な安定と時間的余裕で 毎日欠かさず またその文章のクドクドしさも 自覚はしていましたが生半端ではなかったようでした
清水さんからは優しく マイクをぶちまけるスペースだから思うようにと言われ 遠慮知らずも甚だしくではありましたが なんとかやってこられました

それでも時々 もしもマイクが癌だったらとの想像をしながら 清水さんのお気持ちを思い知ろうとの努力は してみてはいるのです
2人に1人は病むと言う癌については 誰もがかなり知っている積もりでも 色々ある癌の事を 一括りに理解しているだけです
いざ清水さんのご様子を話題にしてみようとはしても 特別の何かを思いつかず ついついまた自分のことになってしまっていました

でも 考え至って 癌と 難病の違いを
癌が ステージと生存率に賭けて闘病するギャンブル的病気
難病は 完治せず地味な病気で 逃病が似合うと
言った覚えがあります

癌で死にたいという医者(中村仁一)もいれば
ALSは医者が一番なりたくない病だと言うのが定説であったり

最近知ったのは
「阿賀野病院ブログへようこそ ALSの患者さんでは 癌(がん)になりにくいようです 横関明男」に 次のようにあった
いままでの研究から、神経変性疾患と称される神経細胞が減っていく病気では、癌になりにくいことが示されておりました。アルツハイマー病(認知症を起こす病気です)やパーキンソン病(手や足のふるえ、歩行障害をおこす病気です)などが、神経変性疾患の代表的な疾患であり、これらの病気では癌が少ないことが報告されています。

ALSの患者として喜んでいいのか 癌患者がALSにならないと言っている訳でもありませんが どうでもいい事なのでしょう

サイトで癌患者や家族の心得を探っていたら 色々ありましたが割とシンプルな気がしました
それは ALSをマイク自身が経験して悩み抜いたことから比べてですが 違いますでしょうか
マイクはALSを 癌なみに 社会に理解を広めるべき天命を頂いているのです
でもその様なサイトは一杯ありますけども?

それにしても 5/19の「マイクに自然死せよ/ 癌も苦しまない/と言う売れっ子医師」で取り上げた中村仁一医師の言う「がんは完全放置すれば痛まない」は本当でしょうか
それどころか ALSの最期を知らないのでマイクに自然死して見せて欲しいとまで発言しました彼です
本は 『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(幻冬舎新書)2012/1/30 その 第3章 「がんは完全放置すれば痛まない」 です

この程度の医師は ポックリ死信仰の日本人の類いなのです
第一生命経済研究所の若い小谷みどりは 日本人のポックリ願望70%の矛盾を突いて ポックリと言いながら 今日は死にたくないらしく 死について考えていない証拠だと

今日は入浴日で この病院のサイトのための写真に マイクが一人体を洗う姿を看護師に撮られました
如何してかよく生贄に選ばれるのです
勿論ボカシを条件にです

濃縮に生きるなんて/見栄張ってでも❗️

高齢化に浮かれるだけで 老後が希薄になるならば 長寿を無条件に喜べません
だからと言って自分から程々にと言い切って 積極的に自死を実践したのは マイクが改めて見直している哲学者須原一秀くらいです
しかしマイクはALSという天命を得て 積極的ではありませんが 自らの死を設計し 計画的に 濃縮感と使命感で満たされるべき運命を任されたのです

ALSを3重苦3つも重なった9重苦が マイクへの天罰と受けとめながらも これをチャンスとして 天命と思い直すことができたので救われたのです
チャンスを得て 多くの方の支持とご支援で 果たすべき責務を負うのですが やれるかやれないかを掛けて 出来るだけやってみたく思います

3年前のマイクのブログ2016/4/2「生きているよりも死ぬ方がめんどう」(終わりよければ全てよし)を見直してみました

マイクには悩みがあります
家内とマイクとどちらが先に死ぬべきか
どちらが先の方が経済的で また面倒が少ないか

時々考えることがあるが 結論に至っていない
家内は稽古事での社中や付き合いも広く そこそこの葬儀を必要とする
そんな面倒なことをマイクはさせられたくない
現役でもないマイクは 自分が死んでも親戚葬だけでいいのだが 家内は体裁上それで済ますことはないだろう
葬儀と言うのは中々思うままにならないのです

どちらが先と言うよりも 関係者が少なくなるまで長生きして秘かに死ぬしかないように思う
或いは行方不明になるとかの方法も考えられるが 生きているよりも死ぬ方が面倒だと言うのは確かなようです

もう一つ 7年前のマイクのブログ2012/8/29「面白かったと言えない人に」(楽しい死とは)に

「ああ面白かったと言って死にたい―佐藤愛子の箴言集」佐藤愛子 海竜社(2012/7/1)
老人の価値は若者よりも沢山の人生を生きていることだと私は思う。失敗した人生も成功した人生も頑固な人生も、怠け者の人生も、それなりに生きて来た実績を抱えている。波瀾万丈の日々が紡ぎ出した人生の真実。

88歳の老人賛歌を 今朝の朝日放送ラジオのオハパソで道上洋三がこの本を紹介していた
美しいことだけを覚えていればいいのだと言う
終活本の類いですが 生きていて楽しかったと言える著者のような人だけに言える言葉で そう言えるくらいの人なら好きなように死んでゆかれるでしょうから 放っておいてもよいのです
しかしそんな人ばかりではない筈です
世の中には辛くて死にきれない人が殆どだから 皆ついつい長生きしてしまうのです
だから殆どの人に 最後だけだから出来る 許される楽しい死に方があるので それで長生きを諦めたらと教えてあげたいのです
そして皆 「ああ面白かった」と言って未練なく死ねる筈です
死にきれない人の為のことを考えるマイクなのです

こちらの本は
「一〇五歳、死ねないのも困るのよ」篠田 桃紅 幻冬舎 (2017/10/12)
とは言いながら 誰でも 幸福な一生になりえると言う ラッキーだけなのかは知りませんが 稀なハッピーを羨ましく思います

現実は
「死ねない老人」西浦敏之 幻冬舎 (2017/2/28)
「はやく死にたいよ」忍び寄る“老後悲劇”の足跡―他人事では済まされない!高齢者医療に25年間携わってきた医師が明かす「死にたくても死ねない高齢者」の悲惨な実態。

更にビックリ
2014/11/2「ヨハネの黙示録第9章にびっくり」(心満たされて死にましょう)
ヨハネの黙示録第9章に 「その時には 人々は死を求めても与えられず 死にたいと願っても死は逃げて行くのである」とあります

生きる事よりも 死ぬ事の方が儘ならぬことだけは確かなようです

出来るか分からなくってもやって見たい

程々に生きて 長生きできるとは思ってもいなかった筈なのに 偶々あっという間に100歳となっていたと言う程度のラッキーとしか言いようのない元気老人ばかりが 人生100年時代と言う話題に持ち上げられています
これを中村仁一は浮かれ過ぎではないかと言っている
実際 100歳まで 心満たされて生きられる確率は どれ程なのかと疑問視しているのです
でも素直にラッキーはラッキーで羨ましいし あやかりたいものです
死にたいのに死ねない老人がどんなに多くてどんなご苦労をされているのか マイクはそれの方を知りたくて また何とかせねばならないと思い続けています

さて今夜は マイクをどう作りあげるかを
マイクの78歳は 健康寿命7年を過ぎ 平均余命は後10年と言われる年齢です
健康寿命の後の生き様を「生活死」というらしく 人のお世話になっても当たり前と許されるらしいのですが 幸いにもマイクにはその意識がありません7年でした
もうお世話したくとも出来なくなったと言われかねない様になると覚悟すべきまでには10年ある筈でした
ところが前7年後10年というほぼ真ん中の78歳の今 どうした訳か もう10年も要らないのではと問いかけられもせずに 半分以下の3〜5年で良いなら 精々倍ほどのお世話になっても良いよと 天命として ALSを頂いたのです

なのに 何を焦ったのか 告知からの2ヶ月は家族の世話になりたくないとかなんとか言って 他人の迷惑顧みず 少しでも早くと危険状態を自らセットする事ばかりの日々でした

こんなマイクですが 結構ネガティブながらあれこれ考える習性を楽しんでもいました
それを見抜いた清水さんがマイクの『エンジョイデス』に興味を持って頂いたのだと思います
そうなればこれからは 皆さんのご支持に感謝し 公的な支援を 遠慮なく受け入れて生きますこと ありがたきかなであります

しかし倍ほどのお世話になることは倍ほどのお返しをせねばならないのです
せめてマイクの余生は 長寿化で希薄化する老後に逆らい ALSならではの余生の濃縮化を天命として課せられているのです

ぼくをつくりあげているもの

マイクさん

それどころか自分がALSかどうかを忘れて走っているのです

ぼくはこのひと言に、激しく頷き同意してしまいました。
ぼくも時折、自分ががん患者であることを忘れています。時折というよりは、ほとんどの時間と言ってもいいかもしれません。

それを思い出すのは、定期的に血液検査やCTや内視鏡の検査を受ける前後、あるいは抗がん剤の副作用が後遺症のように足の指先に顕れる時くらいです。さらにはテレビドラマでがんに蝕まれた主人公などを見た時かな。それ以外の時は、私は健康ですみたいな顔をして、時には大酒を飲んだり、夜通し仕事をしたりしています。

ぼくは思います。
ぼくはがん患者という縛りを受ける必要はないと。がんに支配されているわけではないのです。不幸にしてがんなどという病気になってしまいましたが、それはぼくのひとつの側面に過ぎないのじゃないかと思っています。まあ、とっても深刻な側面であることには違いありませんが。

ぼくは文筆家であり、写真家でもあります。また、ラジオのパーソナリティや時折ですがタレントの真似事のようなこともしています。さらには様々な社会活動に関わったり、ボランティアとして活動したり、数えたらきりがないほどの側面を抱えています。人は誰しも様々な側面を抱えて生きています。身体的な特徴もそうだし、性格や個性もそういう側面のひとつだと思います。もちろん職業や趣味やあらゆるものを含めてです。そういう側面が一体となってぼく、清水哲男という人間をつくりあげている。ぼくはそういった側面の総体なのだと思っています。

逆に言うとひとつの側面に支配される必要はないということです。ひとつの側面はぼくという人間を語る場合の切り口にはなりますが、決してすべてにはならないということです。がん患者としての存在がぼくのすべてになんかなってたまるものですか。そういう側面もあると自覚していればいいし、必要なことをちゃんとしていればいいということだと思います。

程々かたっぷりかは思うようになれるとは限りませんが 少しは運命をコントロールできる自己責任ですがいい時代になったのです

程々かたっぷりか。ぼくは時間の長さよりも、自分の満足度や納得で自分の人生をはかりたいと思っています。そのためにもぼくは、自分の様々な側面ときちっと向き合い生きていきたいと思います。

ほどほどに生きよう/何時迄も

太田典礼(安楽死)的に死を軽率?に捉える生き方と 死より尊厳ある生に拘る生き方があるように見えますが どちらがいい悪いではないことだけは自覚していないと 多様であるべき生き方そのものの指針を間違えさせることになります

安楽死にしても決して生を安易に考える筈もあり得ません
生きるについては尊厳ある生を全うするなどと言う事だけではなく 生きていることだけで満たされる?ものかも知れません

安楽死と生の尊厳は二項対立しているようでも 人生とは個々人の中間選択の結果です
現実の多様な人生はもっと多項な生と死の多様な選択肢からなるのです
その背景には平等な人権を要求する権利が前提としてあるのです

NHK現クロで 『刑務所が「終の住処」に‼︎』で 服役囚が 被害者からは考えられない最高の療養・介護を受けているのを見せられて 平等とは何か 視聴者を悩ませるだけだったように終わった(死刑囚には安楽死が合法?)

2年前のマイクのブログにこんなのがある
しかし今は 憲法に平等を保障されて生きたいだけ生きられるのです

マイクスタンディングのブログ2017/5/30「ほどほどでいいのです」(最期はセルフネグレクト)https://sky.ap.teacup.com/jishi/760.html

今朝のラジオ深夜便【明日へのことば】は「ほどほどの生を生きる」北里大学名誉教授 新村拓 でした
1946年生まれ 日本の医療史学者 北里大学名誉教授
「日本医療史」新村拓 吉川弘文館 (2006/7/27
古代から現代まで、医療はどのような道をたどってきたのか。平安人を襲った病、戦国の医療政策、越中富山の薬売り、国民皆保険制度の成立などを、豊富な表・図版を用いて詳説。命を守る闘い=医療の歴史を振り返る。

時代と共に 養生や死生観が変わる様子を語る
江戸中期 少しでも長生きすべきとする養生訓の時代は 色の 食の 眠り の三欲を抑えてでも長生きすべきだった
生産性が高くなった江戸の終わりは 小家族となって 家族で死を賄いきれなくなって 老婢思想となり 家族に迷惑かけないほどほどの最期が良いとするようになる

昔は老人の死が25%だったが 今は90%
尚更程々に しかし計画的な生き方で 遣るべきことをやって満足して死ぬべきと結論する

程々かたっぷりかは思うようになれるとは限りませんが 少しは運命をコントロールできる自己責任ですがいい時代になったのです

調子に乗るなと叱られても/ご支持ご支援を

球麻痺の進んだALS新参者のマイクです
食べやすい食事さえあれば あればでなく ない筈もありませんし スプーンでも美味しい
会話はちょっと意識すると辛いのですが 身内と思えば 度胸でやっていけます
バイク好きのマイクには ママチャリで走っている間は 腰痛持ちも忘れてしまい どんな距離でもまだまだ行けそうです
風を切ってのルンルンは まるで スーパースターであるかのような気持ちにさせます
それどころか自分がALSかどうかを忘れて走っているのです

マイクがスーパーALSとか粋がって見せられるのは 新参者の間だと思います
本物にはまだ縁がない方がと願っています
しかし ベテランに成れば成る程 ALSとは関係なしにスーパーと言える努力を忘れてはいけない難しさがあるように思います
それだけ社会や世間と多くの人ににお世話になっているのですから
とか言いながらも 清水さんに何時迄も見守って頂いて ご支持を間に受け 調子に乗りたいと願っています

昨日23日は コンサートを含め 興奮する程のハッピーな事があったと書きましたが 「難病の日」らしい考えをさせられた日でもありました

マイク自身のことでは 誤嚥して吸引の世話になりました
病院から水分を多く取りなさい言われるものの 日頃より酒で十分取れていた頃の習慣から チェーサーのような水分だけの摂り方は好きではなく 必要もないのです
しかし禁酒の入院生活では 確かに口がカラカラになります
球麻痺の進んだマイクにはスプーン一杯の飲み込みを繰り返さなければ危険なのです
ついつい邪魔臭く とろみを付けたお茶を飲まずに済ますのです
昨日の二次会で チビチビ飲むビールの量が中々減らず 味気無さに寂しさを感じてしまいました
看護師実習学生さんの勧めには応えないとと思い お茶をほんの少し多く飲み込み過てしまい 久々に誤嚥しました
入院後2回目で カルテに バツニが 書かれ 看護師・療法士に今朝は知れ渡っていました

次は 1病棟(重度患者・小児患者)から白布で包まれたものが運び出されるのを見た
遺族らしき方が後についてなかったら それが何か分からなかった
ここ1ヶ月半で初めて見ました ただそれだけでしたがマイクは自然に手を合わせました

次も1病棟の子供達が庭に出ているのを時々見ますが 気になり様子を伺いに近くまで行って観察しました
保母さんらしき方と看護師が夫々に付いていて タブレット会話をしていました
自分のことでいっぱいのマイクには 思考する余裕はまだありませんでした

さて今日で 3週間ベッタリの擬似新婚体験が終わり 最後に背中を流してもらい 涙ながらにハグしてお別れしました
まだまだハッピーが続くよう マイクのためにお祈りください⁉️