死にたいと言わせて!

昨日でラジカット2週間の点滴を終えて 今日から2週間の休薬期間に入ります
主治医から効いているかと訊かれ首を横に傾けたのですが 効いているようだからと2週間後のもう1クールをも勧められ 信ずると言うより成るように成れと決めて 首を縦に振りました
今日から2週間は退院でもリハを続けてもいいので 10連休まで住み慣れたここで往復書簡と序でにリハを続けようと思います
結構快適なのに またまた心配させるようなタイトルで御免なさい
浮き沈みを楽しむ余裕があるのかも知れません さてさてと・・・

マイクが誰彼なく死にたい死にたいとばかり言ってた頃(2019年3月)マイクが本当に自死をしそうだと心配してくれたのか そんなこと言うものではないと 誰からも頭ごなしに叱責されました
家族のことを考えろと言うよりも 言われた周りの迷惑を考えよと よく言われました
マイクは 家族には言い難く それで誰にでも また誰かに共感を求めていたのです

マイクが自死願望真只中の3月9日に「いのちの電話」に10分ほどしましたが なんの気休めにもならなかった
翌10日の「難病カフェ」に参加して 重度の難病者が集う中で まだ難病者には見えないマイクが一人沈んでいて 電話をしたことを話したら 重症な皆さんを酷く心配させてしまい またいっぱい慰められるばかりか 精神科も受ける方がいいとも教えられました

そこのとで印象に残っていて マイクの名前まで覚えてくれていた人がいて たまたまこの病棟で再会した時に「マイクさん」と呼んでいただいたことを いつかこのブログで書きました
彼からは 同じ難病者として理解と教えを貰っています

24日には 「いのちの電話」主催の「死にたいと言われたら」と題した講演会を聴講した
初めに 最近は もしそう言われても 頭ごなしの否定でなく聞いてあげる 詰まり「死にたい」と言い易い時代になってきたと言われました
然もこれからは聞いて共感するだけではなく 解決策をも一緒に考えてあげなければ意味ないとも

この講演で ここで何度も書いています「自死の3条件」を知ったのです
自死願望者を体験しながら 悩み悩んで救われたのも 3条件を第三者として自分を客観的に意識できたことにもあるのです

そのことは 安楽死だけを考えていたマイクに 自死についても 体験者の声として考えを語る資格を得たようなものです
安楽死についてはこれまで頭だけで考えてきたのですが 体験者・当事者として語るには 「天命としてのALS」を全うしなければならず その前に安楽死なんぞの実現の難しさを思うとヘコタレそうです

最後に言い忘れてはならないのは こんなどん底のマイクを救おうと 言葉だけでなく 具体的な仕掛けを企画され マイクに希望を持たせていただいた神様と仏様が現れたことです
23日に「精神的な延命治療」と書きましたがお二人には共感いただけると信じて言いまくったお陰だと思っています
共感だけでも少しは自死を躊躇するのです
それにしてもよく死にたいと言い過ぎると 迷惑を指摘されました 今も!
マイクにも 自死で悩む人と同じく ただ死にたいと言うだけでなく誰彼なく救われたい執念もあったのです
迷惑に耐えていただいたお陰なのだと身勝手に思わせて下さい
人迷惑顧みずとは 本当は死にたくないからしてしまうのです
済みませんでした そしてありがとう御座いました

「ゼロか無限大か」

マイクさん

がんと難病ではどちらがラッキーか……、ですか。

ぼくの大腸にがんが見つかった時、まわりの人は言いました。
「清水さん、ラッキーでしたね。見つかって」
そのがんがステージ3だとわかり、検査の結果他の臓器に転移が見られなかったとわかった時、まわりの人は言いました。
「ステージ3でよかったじゃないですか。転移もなくてラッキーでしたね」
大腸を40cmあまり切除し、リンパ節を21カ所郭清して、主治医ががんは取り切れたと思うと言った時、まわりの人は言いました。
「取り切れたんだからラッキーだったじゃないですか」
そのリンパ節のひとつに転移が見つかり、抗がん剤治療がはじまった時、まわりの人は言いました。
「転移は1カ所だけだったんでしょ。最近は抗がん剤も良くなっているし、ラッキーだと思わないと」
抗がん剤の副作用で、死んだほうがマシだと思っていた時、まわりの人は言いました。
「苦しさと引き換えに元気になろうとしているんだから、辛抱しないと。抗がん剤も使えない人もいるんだから、あなたはラッキーですよ」
術後1年の検査で、肝臓に白い影が見つかった時、まわりの人は言いました。
「今度は早期発見。ラッキーでしたね。また取っちゃえばいいですよ」
結局その影は血管腫というもので、悪性のものではありませんでした。その時まわりの人は言いました。
「よかったじゃないですか。ラッキーでしたね」

さてぼくはほんとうにラッキーだったのでしょうか?
ほんとうにラッキーなら、がんになんてならないんじゃないでしょうか?

誰かがいい言葉を教えてくれました。

「ゼロか無限大か」

って。
ラッキーならがんになんてならないし、ややこしい病気にはならない。
でももしなったら、その苦しみは病気ごとに比較しても意味はないのではないでしょうか。
当事者にとっては自分の苦しみがいちばんの苦しみなのです。他人の苦しみなどはどうでもいい。自分の苦しみを際立たせるために、他者との比較をするのだと思います。

大切なことは、それぞれの病気に苦しむ患者は、その人なりの苦しみを抱えているということです。ぼくは人としてそういう人たちにまみれながら、思いを寄せ合いながら、自分の苦しみに向き合いたいと思っています。

選択できる筈もない癌と難病

Re:愛の表現はストレートに

その通りだと思います
マイクはシャイでもオープンマインドを信念に生きてきましたので 割りと反応は遅いのですがストレートを好みます
話の最後に余計なことを言って 折角の共感を不意にすることがあるくらいです
しかし表現と受け取りは相手次第です
京女の家内はクローズマインドで マイクのような田舎もんの表現はしょっ中ネグレクトされるのです
これ位にしておきましょう

さて この難病病棟には 色々の難病患者がおられるが パーキンソン病の方がとても多いのです
全国で15万人とか ALSの1万人に比べ て 発症率が高いのと 生存期間も長いからでしょう
この病気は 昭和天皇もなられて 日本では治療方法や薬剤の開発も進んでいるようです
症状に合わせ3ヶ月クールで薬を探す入院とリハビリを繰り返しておられる
生活は徐々にし辛くなるのは同じでも 呼吸器使わないALSの3〜5倍の15年は生きられるのです
これは元々進行が遅いのか 治療の効果の所為かはマイクは分かりません

どちらがラッキーかと言われると パーキンソンはもはや難病から外されるかと心配している患者がいるほどですので 誰でもパーキンソンと言われるでしょう

しかしマイクは 「ALSは楽しめる筈なのです」2019.4.14にも書いたように 高齢でのALS発症なら 健全な人より計画的余生ができて 最期は生き地獄の前に尊厳死できてラッキーな筈なのです
かくて高齢という条件が マイクにエンジョイ・デスを謳わせたのです

パーキンソンの若い難病患者も大勢いて 見るのが辛いのですが 本人はそうでもないようにも感じます
お年寄りも篭もったりしていないようにも見えます
如何してなのでしょう
同病者と接する機会も多く また進行が緩いからの慣れなのかも知れません
割りと気長になれるのでしょうか

ALSは進行が早いので 若い人は呼吸器を選び生きようとするのかも知れませんが 全体的には7割が尊厳死を選びます

パーキンソンの尊厳死のチャンスは多分うんと少ないと思います
生き続けるしかないのかも知れません

病気の一寸したことの違いで 患者の捉え方がこんなに違うのかなと思えてきました
しかもこの事は 個人個人の環境によっても もっと大きく捉え方が違ってくるのだということを教えてくれるのです

マイクのように自死願望真っ只中であったり 愛や希望を持つことを知っただけで最悪から抜け出られたり これが難病という不思議な状況なのです
癌というギャンブル的な病気と違って 難病は地味な病気なのです
癌は考え悩む時間もなくチャレンジするしかないのではないでしようか

マイクが逃病と言ったり 闘病と言ったりする違いに 少しは納得できますでしょうか
大腸癌の清水さんからみて 癌と難病ではどちらがラッキーだと言えるでしょうか

小心でギャンブルに縁のないマイクには 地味な難病からの逃病がぴったりなのです
しかも安楽死という天からの使命を受けたことを天命と肝に命じられたのもラッキーなのです

家内とはぴったりの相性ではないのですが 北陸生まれだから堪忍できているのです

愛の表現はストレートに

マイクさん

この「往復書簡」の映像化、ラジオ化を喜んでいただけてうれしいです。でもこれはまだぼくの地元鹿児島ローカルだけでの企画です。マイクさんの尊厳死、安楽死に関する主張をもっと広く伝えるには、関西や首都圏、あるいは様々なメディアが取り上げてくれることがいちばんだと思い動いています。マイクさんの地元、京都、関西での動きは仏様マヤさんの企画に合わせて動いてみたいと考えています。一つひとつの問題を解決し、壁を乗り越えて、乗り越えられない時は穴を掘ってでも前へ進みましょう。

ところで、生前葬をした人は長生きするって聞きましたよ(笑

ここでもう一つ別の見方でマイクの心情を白状しますと、ALSそのものの悲惨さではなくて、この病を抱えて家族たちにどれほどの負担や迷惑をかけるかでした。その先の見えない症状を想像するにつけ 少しでも早く逝った方が良いと考えました。

マイクさん

はじめてあった時から、ぼくにはマイクさんの家族への思い、わかりました。
ぼくは大勢の難病患者さんを見てきたし、お付き合いをしてきました。そのほとんどの人が言葉は違えども同じことを口にします。それは「家族の負担になりたくない」、あるいは「家族に迷惑をかけたくない」ということでした。そんな彼らが「気管切開をして呼吸器をつけるのは嫌だ。早く死にたい」と口にするのは当然の帰結だと言えます。そこには愛があるからです。愛があるから、自分の命を縮める決断ができるのだと思います。

確かに自分の予後がどんなふうになるのかわからない。まるで生き地獄だと、絶望感に苛まれ早い死を望むということもあるでしょうが、マイクさんの場合は、そうは言っていてもご家族への愛があると思いました。特に奧さんには、我が家の事情とことわりながらも、「家内を拘束したくないため在宅でない療養施設を望んだ」とおっしゃってます。これは、どう読んでもラブレターだな、と思ってしまいましたよ(笑 マイクさんにとっては、愛は家族のために、そうして家族そのものがマイクさんの希望なのだと思いました。

だけど、マイクさんの愛情表現は、少し屈折してるかなとも思っています(笑 もっと愛をストレートに表現したらどうかな。そんなふうにも思います。

的外れだったらごめんなさい。

精神的延命治療に感謝して

神様仏様によって 自死願望症候群のマイクは 精神的延命治療を受けました

マイクがどんな状況の時だったのかは 思い出すのも恥ずかしいのですが 何度でも告白することで この往復書簡の意味を振り返ることになるかもしれません

マイク78歳が 2月6日にALSが確定したその時一番に思ったこと

既に人生を十分楽しんだ
やり残したことを随分前から考えてきたが 悲しいことに見つからなかった

希望のある若さなら少しの惨めさを我慢するにしても 今更酷い惨めさを味わいたくない

健康なうちに死ぬべしとする須原一秀を批判していた筈のマイクなのに 直ぐに信奉者としての自死願望症候群 と言う訳ではありません
ただ直ぐに死んだ方が利口だと判断しました
しかしこれだけで自死をする決断にはならなかったと思います

確かに2月のALS確定直ぐには 死を覚悟するものの 全く悲観的でもなくただ事実を平然と受け入れていました
何故なら検査入院前から自分で自覚していた通りでしたから納得がいったと言うくらいの余裕すらありました

しかし難病認定を申請したり主治医を決めたりの病院や行政との折衝に 弱り切った筈の患者には複雑で手間のかかる しかも遅い処理などにストレスがたまり精神的に弱いものいじめかとまで思わせられました

それよりも次第に今後の療養にについての不確定なことを意識するようになり 不安と不信が積もってきました
病気の進行については医師は全く予想したがりませんどころか 確定検査しただけで退院宣告してからは放り出されたようなものでした
今後の治療の段取りもわからず主治医探しに走りました

加えて我が家の事情で家内を拘束したくないため在宅でない療養施設を望んだのですが 長期受け入れは医療制度が変わってから無理とわかり それではどうしたらよいのか 介護ヘルパーなどに勧められて体験するなど忙しかったのですが 尚更不安が募るばかりでした

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マイクの生前葬が電波に?

最近 清水さんのご活躍で このブログをラジオやテレビで取り上げられそうだと教えて頂きました
凄いことになりそうだと知って 勿論喜んでいます
流石の行動力の文屋さんですね

嬉しいのですが マイクの文章力が恥ずかしくないかと気になりますし それ以上に これからどれだけ発声や飲み込みが衰えないか そうなるとまたもマイクの弱々しい気力がまたも落ち込んでしまうのです

加えてマイクが所属していたダンスカンパニーのリーダーマヤちゃんが 6月にマイクの生前葬として トークとダンスのパフォーマンスの集いをセットしてくれることにもなりました
共に嬉しい限りです

10年かけて考えてきた安楽死について 一人の妄想で終わるしかないかと寂しい気持ちになっていたマイクに お二人から 引き続いてのチャンスを用意していただいたのです
希望を頂いたこれらのためにも 喋れなくなったり落ち込んだりはしていられないのです

E.Dをやり続ける意味

マイクさん

テレビ番組での尊厳死、安楽死の扱い、気になるところですね。

尊厳死するかしないかではなく、その前に大事なことを忘れています。延命治療はするしないでなく、どのレベルでしたらどのレベルに回復または生命維持できるかの前提がなければなりません。

マイクさんのこの見解は、非常に大切なことだと思います。一つひとつの医療行為の意味と効果を明確にすることが大切かと。特に患者当事者と家族に対しては、このことを明確にするのは最も大切なことかと。さらには、通常の治療と延命治療の線引きも明確に行われるべきだと。胃瘻などは緊急避難的に行われる場合もあるわけで、自力での嚥下が回復すれば胃瘻を元に戻すこともありえます。この場合の胃瘻は治療の時間を稼ぐための延命といってもいいのではないでしょうか。

昨日のテレビ番組では、この治療と延命の定義に関しての十分な意見交換は無かったと聞きました。この定義が不明確ということは、尊厳死、安楽死の定義についても不明なままだったのではないでしょうか。ただし、延命を望まない場合の緩和のみのケアについては実際かなり増えており、実質的な尊厳死になっているという現状の説明があったようですね。延命の定義なしに延命を、あるいは尊厳死、安楽死を議論することが可能だということです。あまり言われることではありませんが、末期ガンの様な患者にモルヒネを投与すること自体が、尊厳死、安楽死だと見る向きもあるようです。

自死や幇助の法律的な問題について、変えるべき、変わるべきという意見が多かったですが、ぼく自身はテレビ番組という性格上、表層的にならざるを得ないのではないかとも。そういう意味でもマイクさんの「延命の意味を教えて」というひと言はとても重いと思います。

ぼくは、E.Dは自死や幇助の法律的な問題についてや、延命の意味について積極的に発言するというスタイルで関わっていければいいなあと思います。そこに関与できたらE.Dとして社会的な役割を果たせるのではないでしょうか。それこそが、E.Dをやるやり続ける意味であり、マイクさんをサポートする意味だと言ってもいいでしょう。

波がきていることは確かです

先程の昨日の「そこまで言って委員会」についてのマイクの思いの中で 3月30日にも安楽死をテーマに取り上げられたと紹介しました
安楽死を殆どのメンバーが支持していて 心強く思ったほどです
それでも局は反対意見もあることを上手く纏めていて メモしました
「尊厳死の法制化を認めない市民の会」などの意見です

⑴人の死に国家が関与すべきでない
⑵医療費削減や臓器移植の狙いに
⑶尊厳ある死とない死との線引きすべきではない
⑷死にそうな人に自己決定能力あるとは
⑸遺産を狙った犯罪
⑹気が変わったら
⑺認知症の人は
⑻死ぬ義務を義務化されるのでは(難病遺族会)
⑼障害者を死に追い込む

いずれもたらねばの話で 心配危惧するだけでは済ませられない差し迫った人のことを無視して済ませられる 他人事としておきたい人たちなのです
でも委員会に取り上げられる程の また賛成する勢いのある波がきていることだけは確かです

安楽死を医者任せではなく

昨日の「そこまで言って委員会」で 「医者には絶対書けない幸せな死に方」講談社 (2018/1/20)の著者 たくきよしみ をゲストで 病院で亡くなるには診療点数3ヶ月定額などによるたらい回しや また延命治療の高額高度化で拷問されての死が待っていると
尊厳死と自殺の違いとは 在宅死は安らかか などの並みの話でしたが 3月30日にも安楽死をテーマにしているほど社会的関心事になってきたことだけは確かです

マイクは法制化に反対する理由は 医者任せの方が稼ぎや責任に都合がいいからなのだと見抜いている積りです
少し前にここで 韓国では 去年の2月に尊厳死が法制化され 4ヶ月で8500人施行との紹介をしました
キリスト国家の方が安楽死とか受け入れやすいとも言われています

マイクは随分前から 終活的な個人の死に方よりも 社会問題として捉えるべき時代がくると考えて また尊厳死を医師まかせだけの対応をすべきではないと思い 安楽死支援施設の必要を説いてきました
しかしマイクの個人的な思いだけの虚しさに陥っているしかできませんでした

ところが昨日のテレビで「日本看取り士会」が紹介されていたことに 流石にと嬉しく思いました
看取りされる場所は2030年には47万人がどこにもなくなるとの厚労省予測から新しい施設がないと 看取り難民となり 自死するしかないのです
出来ることなら 個人問題としての たくきよしみさんレベルの指導士と啓蒙だけではなく マイクが願う看取りための安楽死支援施設まで展開されんことを願うばかりです

またこれらの論議で欠けていることが気になります
尊厳死するかしないかではなく その前に大事なことを忘れています
延命治療はするしないでなく どのレベルでしたらどのレベルに回復または生命維持できるかの前提がなければなりません
これが一番判断を難しくするのです
ギャンブルでもあるのですが ギャンブルでなくはっきりした病もあるのです

本領発揮

マイクさん

死にたい願望たっぷりのマイクさんが、置き去りにされかけた注射針を、仕事は腕よりも愛嬌かと笑ってすまそうとするところに、マイクさんが元気になってきた様子がうかがえて、なんかうれしくなりました。

リルテックやラジカットの治療は、治験という観点から見れば、たとえ効かなくても、なぜ効く、なぜ効かないの解明のためのデータ蓄積と考えれば、それがたとえマイクさんに間に合わなくても今後のALS治療方法確率のためにも有益なんじゃないでしょうか。うまくいくことだけが治療ではなく、うまくいかない理由を突きとめることも治療だとぼくは思っています。

たとえば、ぼくの仕事は「取材」が大切な要素になります。だけど取材対象となる人から拒絶されて取材自体ができないこともあります。そんな時、ぼくは取材できなかった、拒絶された理由や、相手の心の内を考えることにしています。会えなかったけど、そういう意味での取材は可能なのです。そうやって考えることが大切なんだと思いながら。「ー(マイナス)」を「+(プラス)」に転じるわけです。

藁をもすがる気持ちはないとマイクさんは言います。しかし、死ぬのも難しい世の中だし、死にたいほどの疼痛もタブレットの前では完全に忘れられるとも。じゃあもう少し生きてみましょうか。死ぬことを考えながら、もう少し生きましょう。まさに

ENJOY DEATH

の本領発揮ですよ。