震災で忘れられないこと

阪神・淡路大地震から25年になるのですね
天災や事件は避けられない運命なのですが その運命にも何故か人に幸不幸の違いを神はつけるのです

マイクは会社の在宅酸素(濃縮器)事業部門がレンタル先の患者宅を隈なく訪問確認するのを手伝って 現場を沢山見る機会がありました
現場で損壊した家と何でもない立派な家が隣り合っている現実を沢山見て 果たしてそんな隣同士で助け合いがあっただろうかを知りたく思ったのが 今も脳裏に残るのです
ボランティアの話は報道の話題になるが近隣・地域同士の助け合いの様子をニュースが扱っているかとずっと意識して探して来ましたがありません(25年間?)
ボランティア支援より 大丈夫な家が近隣の潰れた家を支援する事が何よりも急がれる筈です

災害の助け合いは先ず自分で自分を 次に隣近所町内で 自治会レベルで その後公共からの支援に期待したいものです
ボランティアの前に自分でできることできないことを明確にすることが大事なのです(必要な支援を)
25年前には 自治会のことなど考えたこともなかったので 災害前提に近隣との付き合いの大事さを考えたことなどありませんでした
最近はマイクも自治会役員するなどで災害での自治会の役割活動が進化しているのを見ています
コミニュティの意識の変化が防災だけでなく広く生活に根付いてきていると言えると思います

防災だけでなく社会福祉や共生社会の向上もコミニュティマインドが必須なのです
震災がボランティアや防災で日本の地域力を育て 社会を進化させるイメージが見えるように思えます

今テレビで小泉環境相が育休とるとのニュースで100%実施の会社の紹介と 公的病院統合推進に 地方病院を含めるよう厚労省指示があったと

震災で 忘れられない話をもう一つ
会社の芦屋の独身寮の近くの神社の鳥居が倒れたのを 寮生がこんなにひどい地震とは思わず 鳥居に立ち はしゃいで写真を撮って 罪悪感に苛まれたと言う
彼らを慰める言葉を誰も掛けなかった

優しい主治医に逆らっては

再入院で療養生活の安心感と余裕ができたのに 体力と共に気力も落ちて 書簡のテーマも中々浮かばないと書いてきた通りの最近です
清水さんはこう言う時 どうやり過ごすのでしょうか

これには原因があって 胃瘻造設前後で体重が減り(つまりALSの症状として筋肉が減少して)体力が減ったからに違いありません
リカバーできないのが 体重を減らさないのがALSにとって最大の対処療法な筈です
なのに 造設する前から 誤嚥性肺炎をさせないようリスク回避に絶食しましたが 本当に絶食が必要だったのでしょうか
この点を主治医に質問したいのですが 主治医に逆らうことは利口でない?
それでも主治医に 造設の後に体重が中々戻らないことを意見しましたが 良質のタンパク質を摂るように言われました
エエッ!こんなことが出来るなら プロテインサプリの方が 効くか効かないかの今服用中の錠剤と点滴より 有用な筈です

もう一つ一年先に治験の結果で使えるようになる筈の筋肉注射を楽しみに待つようマイクを何時も慰めてくださるのです
一年先は加速度的に進行しているとしか思えないマイクにです

また更に嚥下のリハビリ療法士からは 現状の食事では蒸せたり咳き込みが多く危険だから ミキサー食を半分にして 胃瘻からを増やすべきとの指導が入る
またマイクは一回の飲み込みが唾のように少ないスプーン一杯の量では嚥下できず 2〜3杯の量でないと飲み込めないのですが 誤嚥窒息のリスクが高いので絶対やめるよう指示されている
スプーン一杯づつでは却って誤嚥し易いのですが 窒息リスクの方を避けるべきと言うのですが 時間が掛かり過ぎて疲れるのです
なのに 慌てずユックリしかも20分以内に食べるようにも言われるのですが 焦って食べるしかないのです
20分で食事を終えて 残しなさい でないと疲れて球麻痺が進み また咳き込む分体力消耗激しいと言うのです

マイクは窒息リスクより 体重を下げたくないのです
療法士は窒息リスクある早食いと疲れるような食べ方をさせたくないのです
体重が減ってもとは言わないのですが 危険な食べ方を避けるような指導を真剣にやって頂いてます

とか何とかで疲れています

テーマや話題が気力低下で浮かばないとは書きましたが 実はマイクには大事な事件が今話題になっていて それを書きたいのですが マイクには手に負えない障害者問題です

意思疎通できず生産性もない人間は生きている意味がないと 知的障害者を1時間に45人を 然もトリアージして殺傷した植松聖(29)被告の津久井やまゆり園相模原事件(2016/7/26)の初公判が1/10から始まった

書き始めると止まらなく?改めて!

てげてげに楽しみましょう!

マイクさん

お孫さんの晴れ着姿、いかがでしたか? 目を細めていらっしゃるマイクさんの表情が浮かびます。そうして思いました。人生どんな困難に見舞われても、何がしかの楽しみ、幸せは必ずあると。

考えてみれば、今のぼくにとってそんなものがあるだろうか……。そんなふうに思ってしまうと、あらら、全くないやと思わざるを得ませんが、実はその逆で生きているということ自体がうれしくて、楽しい、幸せなことなんだと思いました。気づくのが少々遅いかもしれませんが。

〈ALSには頑張り過ぎ禁物ですがエンジョイの為なら頑張ります〉

これはすべての人にあてはまることではないでしょうか。みんな頑張り過ぎてないかって。頑張りに見合うだけのエンジョイはあるのだろうかって。
鹿児島にはとってもいい言葉があって、「てげてげ」っていうんですけど、意味としては「だいたい」「適当」「ええかげん」みたいな感じです。一見マイナスなイメージがありますが「ちょうどいい頃合いに」「ほどほどでいい」という、プラス思考で使うことが多いかな(よそ者ですので、そこんとこはよくわかりませんが)。

〈頑張らねばと思っても気力をキープ出来るか自信が萎みそう〉

だから、そこ、てげてげでまいりましょう。
ぼくは今日から放射線治療が始まります。1日のうち、ほんの2時間ばかり割かれるだけです。でも、それがほぼ1日のど真ん中の時間帯で、動きを大きく制限されます。さらにどんな副作用、影響があるのかもさっぱり見当がつきません。それをこれから7週間あまり毎日続けることになります。副作用で倦怠感が出る前に、面倒臭くて怠くなりそうです(笑)。まさに〈頑張らねばと思っても気力をキープ出来るか自信が萎みそう〉です。

でも問題はここからですね。ぼくの場合は頑張り甲斐があります。頑張ればなんとかなるという希望があります。そういうぼくがマイクさんのことを思うと、とても切なくつらい気持ちになります。なんだかよくわからないけど、申し訳ないなあという気分にさへなります。だからいうべき言葉を見失ってしまうのです。

ああ、何を言ってるんだろ、ぼくは。
ここはもっとマイクさんを励まさなきゃいけないとこなのに。何も言えない、何もできないかもしれない。でもぼくは、ちゃんと見たいと思っています。マイクさんのこれからの事実を、これからのすべてを、たとえ離れていようと、ちゃんと見続けていきたいと思っています。

だから共にあると思ってください。病と共に闘おうなどとは言いません。ただ共にあるだけでいいです。言葉を交わし、前向きにも後ろ向きにも、思いを通わせ、思いだけでもただ共にある。それだけでも続けていきたいと思います。

ぼくだけじゃないと思います。マイクさんと共にありたいと思う人は、ご家族だけじゃなく大勢いるんじゃないかな。ご家族はもちろん、そういう人たちと思いを共有するためにも、ここにありのままの思いをぶつけてください。
〈自信が萎みそう〉
〈気力も落ちて往復書簡の話題も思いつきません〉
辛いけど、そういうありのままの思いを、これからはもっと聞かせて欲しいと思いました。

いいことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、言葉にして思いを伝えて、頑張り過ぎずに、共に生きましょう。てげてげに楽しみましょう!てげてげに!

生き地獄への加速度は?

土日祝の3連休でしたが 今日13日は孫娘の成人式で ひと目見ておきたく 昨日今日だけの外泊にして 11日は家内の初釜があって邪魔できないので 家に行かず病院でユックリする様にしました

家での休息が結構疲れることを 正月明けての再入院で 気が付いたようです
それは家では食事に疲れるばかりでなく 病院だからの安心感と比べるからなのでしょう
それどころか マイクをALS新参者と言って身体に余裕があった頃とは違って 急に体調に変化と言うより衰えを感じます
胃瘻造設以降からだったかもとの思いもあります
造設時の肺炎を避ける為の絶食で 4.5kgも痩せたのが 筋萎縮を促進させたのではないか
不可逆進行性のALSだから取り戻そうと懸命に完食しようと頑張りましたが 筋肉が増える訳もなく 脂肪で半分戻しただけだと思います
造設前より確実に筋肉減少して右手が90度も上がらなくなったのもそれに違いない
左手で色々こなしてはいるのですが 右のサポートなくては何も出来ないのに 右の不具合で左も儘ならなくなるっているのです

ALSには頑張り過ぎ禁物ですが エンジョイの為なら頑張ります
だけどその気力も新参者の時とは違い弱気に思います
頑張らねばと思っても気力をキープ出来るか自信が萎みそう
喋りと右手の衰えの劣化が これまでより相当進んできた感があります
それに並んで気力も落ちて 往復書簡の話題も思いつきません
ここ何日かに症状の進み方に時間軸を感ずるようになったと書きましたが それは症状が今まで以上に加速度を付けてきたからで それを感じてしまいます
それで今日はいつもなら家の夕食をとってから戻るのを 病院の夕食に合わせて早く家を出ました
病院にる方が安堵感?

ラッキーなことに 長期に病院の安心感が8ヶ月続いているのです
しかし明後日に10ヶ月で強制転院となったパーキンソンの方がマイクに夕食時に挨拶されました
今夜までは 転院地獄とは無縁かと思っていましたが この希望は消えた様です
かと言って我が家での在宅療養は これから症状が加速度的進み 今でももたもたして疲れる老老介護地獄なのです
介護地獄か転院地獄か いよいよ迫ってくるのでしょうか
生き地獄は?

勇気付けられているぼくです

マイクさんの「チョロ毛トートバック」

マイクさん

お孫さんの成人式、着物姿、楽しみですね。
ぼくは自分の娘の着物姿を見たことがないので(2人もいるのに!!)、とっても羨ましいです。

ところで、マイクさんの「チョロ毛トートバック」、鹿児島でも人気です。今度みんなであれをぶら下げて天文館を練り歩くという企画を立てています。きっと注目を集めることでしょう。イラストのマイクさんだけではなく、実物のマイクさんにも鹿児島に来て欲しいと思っています。「ENJOY DEATH in KAGOSHIMA」ですね。KDEの皆さんとも相談してみようと思います。

〈頑張れる病気と頑張ってもどうにもならない病気があるのです〉

マイクさんのこのひと言にハッとしました。頑張らないといけないのはぼくの方でした。なのに頑張りましょうなんて、余計なことでした。なのにぼくはボヤキばっかりで、ちょっと恥ずかしくなりました。少なくともぼくの病気は治る可能性がある。ぼくこそ頑張らないとって、思い直しているところです。

その上でぼくも、病気そのものでなく、病を抱えていて充実した生活が可能だし、そのために、そこを目指して頑張らないとと思います。でもこれはマイクさんの病気でも同じでしょう。病気自体は頑張ってもどうにもならないかもしれないけど、暮らし自体を豊かにすることはできる。そのためにはどんなサポートが必要で、それを得るためにはどうしたらいいか。

そこは大勢の知恵で、大勢の人と一緒に頑張ることで解決できるような気がしますし、ぼくも、鹿児島のみんなもできる限りのことをしようと思っています。もちろんこれはマイクさんのためにですが、いつかきっと自分のためにもなるはずだととも。

〈なる様になれで次のステージを済ませたくないのです〉

やはりマイクさんは強いなあ、冷静だなあとあらためて思いました。ぼくなど〈頑張ってもどうにもならない病気〉だと告知された瞬間に逃げ出すだろうな。マイクさんはよく「闘病ならぬ逃病」という言葉を言われますが、結局マイクさんは踏みとどまって闘わないまでも向き合おうとされていると強く思いました。研究者ゆえの冷静さなのでしょうか。憧れさへ感じてしまいます。その姿に勇気付けられているぼくです。

マイクさんのことを思うと、へこたれてなんかいられない。がんという病と、治療と、ちゃんと向き合わないといけない。と、強く感じた朝でした。

頑張れば妄想叶う/意識し過ぎで弱気かも

正月を家でユックリの積りが 余裕がなかったので 身体の調子など余り考えなかった
所が再入院生活でゆとりでの所為か 確かに身体の症状を敏感に感じてしまい このブログに書いたら特に親族にマイクにいらぬ心配をさせまいかと思ってしまいます
清水さん他からも一寸弱気なマイクを読み取られたようです
久し振りに頑張れと励まされて微妙な気持ちです
頑張れる病気と頑張ってもどうにもならない病気があるのです
病気そのものでなく 病を抱えていてもその生活が充実しているか その為に頑張らないとと そう出来るしそうしなければとお励みの言葉を頂く
往復書簡の二人は病も性格も相当な違いで それだからボヤキや妄想が夫々に進展していて 結果を期待しないか したくてもできないか

さて 正直 若干弱気になり掛けたのは間違いありません
昨日検査した 肺機能の低下はALSの進行が人工呼吸器のステージに近付く指針なのです
再入院の時決まってするレントゲンと心電図検査よりも 胃瘻の次のステージへの時間を知らせて欲しくてマイクからお願いしたのです
実は機能低下を自覚する事もなく 現役時から耐久レースに自信があったのでまだまだ先の事と決め込んでいたのですがそうでもなさそうかも?

検査後主治医から所見をもらっていないのですが 人工呼吸器の気管切開までの時間を大凡でいいから知りたいのです
でも多分心配するなと慰めるだけでしょう
それで自分で予測して見ようとすると何となく何かを感じたのです
それが 新参者頃は症状を部位だけで見ていたのに 身体中進むと 時間軸をも意識していたのです
素人の患者がと思いますが 次のステージでは大事な選択があるのです
正確でなくとも覚悟するのに選択条件など知っておかねばなりません
内容は難しい筈で時間的余裕は欲しいのです
必然的に時間軸を意識せねばなりません
これまで主治医がマイクの進行が遅いと言っておられるが なる様になれで次のステージを済ませたくないのです

これ以上書いての要らぬ心配は無用です
それよりマイクとしてのエンジョイ探しの方が大事なのです
昨日今日とゆとりあると言っても三食を口から 胃瘻から流動食375カロリーを朝夕食後の2回と食前服薬を朝夕で2回 寝る前に1回 それに腕に点滴をベッドで1時間
それに毎日30分のリハビリを3種類 週2回の風呂と不定時に回診を待つ
結構忙しいのですが 充実感はあります

明日土曜は家内の社中さんの初釜なので邪魔にならないよう家には帰りません
リハビリはなく 食事と胃瘻服薬だけでユックリ出来る筈です
明々後日は孫娘の成人式の着物姿を楽しみに

あえて言います。頑張りましょう!

マイクさん

いきなりですが、頑張ってください! いえ、頑張りましょう!
ぼくはこの「頑張る」という言葉があまり好きではありません。特に人に向けては、あまり使わないようにしています。「頑張って」と言ったとき、その人はすでに十分すぎるくらい頑張っているに違いないですから。でもあえて、今日はマイクさんに「頑張って」と言いたいのです。

ただしこれは、何が何でも頑張れってことではなくて、軽く背中を押す程度のことだと思ってください。もうすでに頑張ってこられたマイクさんに、これ以上頑張れというのは見ている人間のわがままだとさへ思いますから。

〈これからの生き地獄への時間軸を感ずるようになった〉

この一言は、ぼくにとって衝撃以外のなにものでもありませんでした。現実と向き合って、ALSの事実を後に続く患者や家族、さらには社会に発信していくことこそが、ALS患者としての社会的役割だなどと言い続けてきましたが、マイクさんのこの一言で、全てが凍りついてしまいました。ぼくの言葉のいかに軽かったか、いかに虚しかったかということに。

しかしマイクさんはその「生き地獄」に対しては「全て覚悟済み」だと。そういうマイクさんに対して、ここ2日の投稿を読んで「頑張って」という言葉しか持ち合わせていない自分自身の浅はかさ、いい加減さを嫌というほど感じています。ぼくも、ひょっとするといつか余命宣告を受けるかもしれません。そのときの覚悟はできているはずなのですが……。

昨日も放射線治療のための位置決めをするためのCTを撮り、マーキングをしただけなのに、いろんなことを妄想して疲れ果ててしまいました。情けないです。とてもじゃないですが全て覚悟済みだなどとは言えません。

「マイクさんは、強いなあ」

これがぼくの素直な思いです。ぼくも強くなりたいなあ、と。

〈ボヤキにはマイクの現実に見つけた非合理や矛盾が煮えたぐっていて、妄想に繋がるのです。マイクはその妄想を精度の高い未来像に発展させたいと思っていますが、実際には無力なマイクでは願望で終わるのが現実です〉

ぼくのボヤキには泣き言しかありません。自分を悲嘆し、こんなはずじゃなかったと。ぼくのボヤキの中には社会の非合理や矛盾の投影など微塵もないような気がします。弱虫の自己中です。だからこそ、マイクさんのお手伝いがしたいと改めて思いました。ぼくの中にはない非合理や矛盾、マイクさんが感じている非合理や矛盾を、社会に発信し、大勢の人と一緒に知恵を働かせ、精度の高い未来像に発展させるお手伝いを。

マイクさんが言うように、人は誰しもひとりでは無力です。でも、ひとりの小さな思い、声を繋いでいけば、共感がひろがれば大きな声になり、大きな動きになるのだと思います。そうすることで精度の高い未来像が生み出せるのではないかと。ぼくらの時代でなくてもいいです。もっと先になってもいい。その未来像が実現できるそのために、ぼくはマイクさんの見つけた非合理や矛盾を大切にしていきたいと思います。

だからずっとボヤキ続けてください。煮えたぎらせてください。
そうしてぼくは、自分自身にも、マイクさんにも、軽く背中を押すくらいの気持ちで言います。

頑張りましょう!

時間軸が生き地獄を妄想させるかも

再入院で 症状の進展を書き出したら 昨夜は止まらなくなりました
それでも実は球麻痺の進行を書きそびれています
ここ1ヶ月で唾が出っ放しで止まらず 喋りを邪魔していて 文字盤なしでは全く意志伝達ならない程に
食事もミキサー食でも蒸せる事が多いので 胃瘻造設をしたばかりですが これが思っていた以上に面倒なのです
マイクの食べると話すの苦労は大変なのです
まあまあなのは左足だけで全身に萎縮の兆候が現れているのです
それでもまだ自立出来ない作業動作はこれと言ってないので滅入ることはありません
だからと言って出来ない事何もない訳でなく 随分苦労するのですが誰かに手助けして貰うのに少しは躊躇し 自分でやってしまう事も多い
有り難い気持ちを伝えられる間はしてもらい易かったのです
最近は喋りが面倒で頼み控えてしまう事もあります
その内 殆ど何から何までやって貰うようになった時はなった時では任すしかありません

ここまで進んだマイクの様子を 昨日今日と少し大袈裟に書いておくのもどうかなと思いましたが 症状に時間軸を感ずるようになったからでもあるのです
この感覚は大事にしたく思い つい書いてしまいました

昨夜は清水さんから年賀状がボヤキのマイクを容認して頂くような内容でした?
ボヤキにはマイクの現実に見つけた非合理や矛盾が煮えたぐっていて 妄想に繋がるのです
マイクはその妄想を精度の高い未来像に発展させたいと思っていますが 実際には無力なマイクでは願望で終わるのが現実です
(マイクが心している石門心学は実践を重要視しているのです)
そのマイクがライフワークにしたいとしている安楽自死もそのようにして生まれた妄想なのですが 実践実現の難しさで悩むくらいで終わりそうなのです
いやそんな事のないように 実戦のチャンスの時間を天から頂いているのです
まだまだ頑張ります

時間軸が見えてきたように

実質 在宅迎春の為の正月休みからの退院でしたが 正月明けて今日8日は再入院をしました
もっと長い在宅療養をしなければと思ってたのですが 11日土曜は家内の初釜の日であり マイクの世話なんぞしてはおられないのです
邪魔にならないよう11日まで家に戻れないのです
それが終わる12日日曜に外泊帰宅し 13日祝日は孫娘の成人式を祝う予定です

家では家内の作る病院食を時間を掛けて食べ るのですが 胃瘻から砕いた薬と流動食を摂るのも結構邪魔臭いのです
そんなこんなで懐かしい思いで再入院で同じ部屋に帰って来たのです
再入院では毎回血液検査と胸部レントゲンと心電図を撮るのが恒例ですが 今日は担当医に呼吸機能を是非とお願いした
直感で相当弱り掛けているように思うからです
自覚症状としては弱いのですがALSにとっては大事な機能なので
案の定4月の初めての入院時に測っただけで その時とは格段に低下しているのです
もう一つ自覚しているのは 右手の力がほとんど役に立たなくなっていることで生活不自由度は急に増しました
左手も遅れて進行しているのも自覚してしまいます
首の座りが悪くなっているのかなり気になります
背中と腰も弱くなっているのも感ずる
ただ右足は確かに痩せているが歩行に不自由なのは腰痛によるもので 生前葬vol.2で踊り切るくらいのことは出来ます
つまりここ1ヶ月くらいで全身にALSが現れたと言う感じなのですでも全て覚悟済みで 時間軸を意識するようになったのです
2〜3ヶ月前は自分はまだ新参者と言っていたのは 症状の進行を時間軸で判断できていなかったからです
それが殆どで進んでいて これからの生き地獄への時間軸を感ずるようになったので もう新参者ではなくどう呼んだらいいのかと考え始めた理由なのです
胃瘻造設がターニングポイントで新参者を卒業しステージ2に入ったのです

そして今日は肺機能の衰えが追加判明したのです
つまりスーパーALSを予感するステージに入ったのです
だけど時間軸は何しろ初めての経験でマイクはまだ妄想もできません
人工呼吸器の世話になって生きることはどの程度辛いことなのか スーパーの方を何人か見て知ってはいますが まだまだ先のことと思っていますので真剣には考えていません

今日は年賀状がボヤキから始まるマイクのことを清水さんにお話しした事に返信いただいた事を話題にしようとしながら書き進めたのに就眠時間を過ぎてしまいました
途中にしたまま一先ずクローズします

もっとボヤキを!

病院の談話室で話すマイクさん、七枝さん、永山さん

マイクさん

ぼくは〈妄想の効用〉と言うことをずっと考えています。
先だってマイクさんの入院先に同行した永山由高さん、七枝大典さんと一緒にやってるネットラジオ「しみてつ×ながやん 妄想ラジオ」は、そのことを実際にやってみてそういうことがあるのかどうかを確かめてみようと思っているのです。で、これが、ええ、妄想自体がとっても微妙だなと気づきました。どういうことかというと、妄想を言葉にせず自分の頭の中に置いておくだけなら、これは文字どおり妄想なのですが、言葉にして外に向かって発信するといったいどうなるのかと。

「妄想ラジオ」では、自分について、家族について、仕事について、社会について等々様々な妄想をネットという場を借りて発信しているわけですが、聴く人によっては愚痴になり、妄言になり、屁理屈になり、泣き言になり、暴言になり、絵空事になり、ほんの稀ですが正論になったりするのです。それは「妄想ラジオ」の配信を聴いていただければなるほどとわかっていただけると思います。

大切なことは何かというと、自分の頭で妄想したことを、自分の言葉で発信することだと思っています。つまり徹底的に自分に徹するということです。極言すれば「自己中」などという言葉があてはまるのかもしれません。その背景には、世の中に溢れかえっているあまりにも「私は世間を知っています」というふうな社会的、優等生的な発言にうんざりしているぼくという存在があるのです。

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