決して独りにしないために

読者のみなさん

しばらくマイクさんから書き込みがないので、大勢の皆さんからマイクさんを心配するおたずねをいただいています。

マイクさんは今ALSと闘っています。それは勝算のない戦いかもしれません、けれど一分一秒を、残された命の時間を数えながら頑張っているはずです。

どうぞみなさん、マイクさんと心をひとつにして日々を過ごしてください。気持ちだけでかまいません、どれだけ離れていてもかまいません、どうぞ寄り添ってください。気持ちが届くよう祈ってください。

今は苦痛が気力を上回っているようです。でもきっとまた、ここに笑顔で帰ってきてくれると信じています。その時を静かに待ちたいと僕は思っています。

あの1年前の「えんじょい・デス」をみんなで集まって再現することは、新型コロナウィルスの影響で実現することは叶いません。そのかわりに、一言でもかまいません、ここにみなさんのメッセージをいただけないでしょうか。そうして、マイクさんに、みんながついていることを知らせませんか。マイクさんは決して独りでないことを、知らせませんか。

気力が苦痛を上回るように。決して独りにしないために。毎日一言でもこの場に書き込む力になるために。

みなさんのメッセージをお待ちしています。

僕のお願い

マイクさん

僕は痛みに耐えようと思いました。痛み止めを揚棄しました。

確かに辛いですが、痛みの中に自分を感じていますし、生きているという実感もあります。それを十分に味わい尽くそうと思いました。いよいよ命が尽きるという時に、苦しければ、耐えられなければ、また考えればいいかと。

〈これが最期の「行」になるかもと思いナースコールでやっと取り上げる〉

すみません、マイクさん。ちょっと質問です。ここのところのマイクさんの投稿、もう明日をも知れないって感じですが。主治医から余命の宣告があったのでしょうか? 「あなたはもうダメですよ」と。あるいは「時間の問題ですよ」と。

雅子さん、博子さんからの情報では、決してそんなに切迫した状況だとは思えないのですが……。ちゃんと治療・処置をすればまだまだ生きられると思えるのですが。さらに主治医K医師が中心となって開発したALS治療薬は、特効薬となるかどうかはわかりませんが、かなりの効果を上げているとも聞きます。まだまだ時間はあるのではないでしょうか。

〈自粛したままで終わるのを残念と思い また・・・・・。今このようになってこれまでより深い真実が書けそうとちらり思う。天命としてなのかとも・・・・・〉

そのとおりですよ。マイクさんが今味わっている苦しみ、辛さを、ちゃんと社会に還元しましょうよ。あるいはK医師の薬を使っての効果、感想などをちゃんと伝えましょうよ。もっと深い真実に迫ってほしい。それがマイクさんの天命ですよ。

誰もが不可能だと思える状況を超えて、書き続けてほしい。

それが僕のお願いです。

やばいです

マイクさん

ちょっとやばいです。

右足の付け根が痛くて痛くて、どうやら放射線治療の副作用というか後遺症というか……。出されていた痛み止めが効かなくて、昨夜病院に駆け込んで痛み止めの点滴を打ちました。麻薬系の鎮痛剤ですね。ヘロヘロしてます。正気に戻ったら改めてお返事いたします。

末期癌のペインクリニックってこんな感じなんだなというのがわかったのが収穫です。

今日は短いですが、ご勘弁を。

僕は生きますよ。

マイクさん

何だか辛いですねえ。

新型コロナウィルスへの警戒感が少々緩んだのでしょうか。危険は何も少なくはなっていないのに、何だか浮ついた空気が流れていて、感染するもしないも個人の意識と自己責任ってことでオーライみたいな感じで、ああそうですか、じゃあ自由にさせてもらいますよと言いたいところですが、もともとビビリですからそんなわけにもいかず、よくわからない毎日を過ごしています。

19日には県境をまたいだ移動もOKになるのに、鹿児島じゃ県境をまたいで移動したり、県外からの来訪者に接触したりしたら2週間の自主隔離が必要になります。仕事はもちろんですが、普通の暮らしもままならない。そんなことを考えてるだけで、何だか疲れちゃって、あ〜〜、もうどうでもいいやって感じです。

感染すると重症化すると散々脅かされて(?)、随分と怖気付いていました。ちょっと前の僕なら、そう無頼を気取っていた頃の僕なら、んなもん知るかあ!と嘯いて勝手気ままに生きていたんだろうけど、2回のガンを経験すると、生きることに欲が出て死にたくないって思うんですね。長生きしたいって思っちゃうんですよ。右往左往して、ジタバタしてでも長生きしたいって思うんですよ。だから、今は動きたくないって気分になるんですけどね、この寝ぼけたような気分と暮らしを何とかしたくて、でも何ともできなくて、もやもやしてるわけですよ。

マイクさん

人それぞれ辛さや苦しさは違います。僕は僕の辛さを生きています。この先も生き続けていきます。後ろ向きに言うと、生きていかなければ仕方ないのです。前向きに言うと、とことん生きたいのです。

僕は生きますよ。

とことんお付き合いいたします

マイクさん

離れてませんよ。放してません。
風邪をひいて、少々拗らせて、僕もゼ〜ゼ〜やってました。すわコロナかっ!と一瞬緊張しましたが、そうではありませんでした。で、ようやくましになり、元気になったので手書きでと。これはiPhoneのちっちゃな画面とにらめっこをしながら書き込んでいます。

マイクさん、安心してください。
僕はマイクさんがどんなになろうが、とことんお付き合いさせていただきます。そういう約束をしましたよね。だから絶対に離れませんよ。放したりなんかもしません。

これ、相手が女性だったらかなり艶っぽい話ですが、おっさん2人ですからなんだかねってお話ですけど。大丈夫です。とことんお付き合いいたします。

苦しむ姿は、生きようとする姿なのです


マイクさん

〈しかし酸素吸入のまま寝転んで朝食を注入した後は元のようにゼーゼー音に戻る。また塞ぎ込んでしまう。これでは生き続ける意味があるとは考えられないと思うばかり〉

苦しそうですね。しんどそうですね。辛そうですね。ほんとうにそう思います。でもね、口ではそう言ってても、そう、その苦しさがさもわかるようなことを言うことはできても、ほんとうにその苦しさを分かち合うことなどできないのです。できることなら共有したいと思います。そうして苦しさ、辛さ、しんどさが半分になればいいなと思いますが、多分そんなことは不可能なんだろうなと思います。
繰り返しになりますが、「わかりますよ」と言ったところで、慰めにもならないし、マイクさんの辛さや苦しみが和らぐわけではないとも思います。僕にできることは、僕だけじゃない、他の誰かにできることは、その辛さ苦しさに寄り添うことだけだと思います。


〈本人の問題は本人が解決すればいいのですがもう力がありません〉

僕は、ちょっと前の返信の中で、「辛さに立ち向かうべきは、苦しさに立ち向かうべきは自分自身」だと書きました。僕は思います。今、マイクさんが抱えている問題、僕が抱えている問題、つまり生きる意味とは何か、生きる意味があるのかなどという問題は、決して解決できる問題ではないと。
死ぬことですべてが解決するとは思えません。これらの問題には向き合い続けるしかないのです。とことん徹底的に向き合い続ける。できるのはそれだけだと思います。

〈苦しむ姿を家族に見せたくなくとも、何もできない。本人よりもっと辛いと思います〉

苦しむ姿は生きようとするからこその姿じゃないでしょうか。それがわかるからこそ、僕は父が苦しむ姿をちゃんと見続けることができました。父は苦しみながら生きようとしていたのです。そういう父を見て、誇りに感じることはあっても、辛くて目を背けるなどということは一切ありませんでした。マイクさんのご家族だって、生きようとしてもがき苦しむマイクさんの姿は見ることができても、辛いから、生きている意味がないから、死んでしまいたいと口走るマイクさんを見ることは、はるかに辛いのじゃないでしょうか。

苦しむ姿は、生きようとする姿なのです。

徹底的に生きないと

下部内視鏡の検査結果

マイクさん

〈清水さんのご様子が気になり……〉

僕は5月28日に、大腸がん手術後2年半の下部内視鏡検査を受けました。その直前のCT、血液検査では異常がなかったので少々たかをくくって臨んだのです。下部内視鏡検査というやつは、検査自体より時間をかけて下剤を飲んで腸内を洗浄するという手続きがけっこう大変で、あまり気が進まないのですが……。今回も耐えました。その上で辱めを受けるわけです。仕方ないですが。

結果として、見つかりました、10mm大のポリープが。即座に切除し、縫合して、クリップで止めて処置はすぐにすみました。それが良性か悪性かは生検の結果を待つことになります。悪性だったら、その時はまた何か治療の方法を考えないといけないのでしょうが、今はそのことについては忘れようと思っています。気にしても仕方ないですから。それこそなるようになれ、なるようにしかならない、ですね。

内視鏡での切除とはいっても、一応手術ではあるので、いろいろと制限をつけられました。あれを食べたらだめ、これを飲んではだめ、はもちろんですが、お腹をよじってはいけないとか、お風呂に浸かってはいけないとか、そうそうもちろんお酒は2週間はだめということでした。その上で、腹痛や下血があればすぐに病院に連絡するようにと。

で結局2日目の夜に激しい腹痛に見舞われ……。

いろんなことがありますが、これが僕の人生だとこの頃は肯定できるようになってきました。〈なんで俺だけ何度も何度もがんの不安にさらされないとならないのか〉と腹が立ったり、失望したり、嘆いたりしてましたが、最近では〈まあしゃあないね。逃げても、後ろ向きになってもしゃあないしね〉と思えるようになったのです。がんが見つかり、治療をし、また見つかる。僕はきっとそんなことを繰り返して生きていくのだと思います。そうやって生きて死んでいくんですね。

すると不思議な感覚になりました。死を肯定することで、生をも肯定する。そんな感じだなあと。裏を返せば生を肯定することって、死を肯定することなんでしょうね。でね、マイクさんの最近の書き込みを見て思うのですが、

〈早く死ぬようなことはできないのに ・・・・・〉

に象徴されていると思いますが、マイクさんは自らの〈生〉も〈死〉も肯定できてないのかなあと。
僕はマイクさんの〈死〉を肯定したいと思います。そのことでマイクさんの〈生〉を肯定したいと思います。すると人はなぜ生き、なぜ死ぬのかという問いが見えてきます。それこそが僕自身が僕の明日を生きていく燃料になるのです。そうすることで誰の〈死〉も決して無駄にはなりはしない。そんな気がします。僕の〈死〉もマイクさんの〈死〉も。

マイクさん
死にたいのなら、まず生きることからじゃないでしょうか。徹底的に生きないと、ちゃんと死ねない。「死にたい」がただの泣き言に聞こえる。僕はそう思います。

僕はとことんもがきます

マイクさん

またまた怒涛の連投ですね。僕は素直に感心してしまいます。すごいパワーだなと。いや、ほんとにすごいですよ。マイクさんは、落ち込んだり、後ろ向きになったり、嘆いたりしながら、それでも実はすごいパワーの持ち主なんだと思います。そのエネルギーを僕にも少しでいいから、分けて欲しいな。

〈次女の作ってくれた文字盤があれば、指の力が少しでもある限りなんとか意思表示できると決め込んで気切を覚悟しました〉

アナログな文字盤のことですね。ですよね、少しでも手が動いたり、指が動く限りは意思表示というか、コミュニケーションできますね。というか、ほんの少し指が動くだけでも、タブレットやパソコンのキーボードで入力する方法はあるだろうし。意思表示はできると思います。ちなみに元衆議院議員の徳田虎男さんはALS患者ですが、ずいぶん前にMBCの藤原さんがインタビューをしていましたが、身体はほとんど動かないのですが、透明の文字盤を目で追い介助者に読み取らせて意思表示をするという方法をとっていました。介助者の慣れもあるのでしょうが、かなりのスピードで会話が成立する光景に驚いたことを覚えています。何が言いたいかというと、コミュニケーションの方法はあるということです。

でもマイクさんはせっかちみたいだから、時間がかかったり、相手がなかなか読み取れなかったりということに、すでに耐えられないのですよね。それはわかります。でもね、コミュニケーションっておたがいの歩み寄りじゃないかなとも思うのです。たとえば看護師さんなら、マイクさんがいうように忙しいですから、「何が言いたいの?」「さっさと言って!」みたいなのが、きっとイライラになったり、煩わしくなったりというのが顔に出るんでしょうね。そうなるとマイクさんもシラケちゃって、もういいやってなっちゃう。

家族はもちろん長く一緒に生活してきたわけですから、単語ひとつ、いや、「あ〜」という一声だけでも何が言いたいのかわかってくれるかもしれません。でも、昨日今日知り合ったような関係の浅い看護師さんたちですから、いくら仕事とはいえなかなか理解できなくても仕方ないかなとも思います。やはり、諦めずに歩み寄ることでしか解決できないのでしょうね。1回で通じなかったら2回、3回とチャレンジすることです。期待を込めて1回言えば通じるはずだと思っても、この間に無理なことだと十分すぎるくらいわかったはずです。だったらしつこいくらい粘りましょうか、繰り返しましょうか。そうやって時間をかけることで、歩み寄れるんじゃないかな。甘いかな。

〈何しろメッキリADLが落ちて、ベッドから起きて上肢部にタブレットを置くのも中々できない〉
〈この先のADL低下で生きる意味はと考えると絶望的で〉

でね、この怒涛の連投を見ていて、読んでいて思うのです。これだけ長い文章を書くことができて、自身の落ち込んだり、後ろ向きになったり、嘆いたりを、思い切り吐露できてるんじゃないかと。言いたいこと言えてるじゃないですか。ADLは誰だって年を重ねれば、老いれば低下していきますよ。それは仕方のないことですよね。衰えるスピードは人それぞれですが、衰えるのは誰しも同じ。僕だってそうです。ADLが落ちていくのはマイクさんだけではありません。みんなそうなんです。でもマイクさんはALSがあるから、人より随分早いというのは事実ですね。

でも79歳で、タブレットを使いこなして、こんなに長い文章を書き続けている。文章を書くということを考えると、ADLは落ちても文章を書くことで得られる到達感や達成感、砕いて言うと「言ってやった感」というのはとても大きいんじゃないでしょうか。入力がしんどくて辛いとしても……。それってQOLに繋がるんじゃないでしょうか。

〈これでは知人友人までに生き様を見て欲しいとは思えない予感がします〉

風景としての、姿としての生き様と、この文章ににじみ出る生き様は、随分と違うもの、かけ離れたものなんでしょうか。僕は、マイクさんはすでにこの「往復書簡」で十分すぎるほど生き様をさらけ出していると思います。何を今更と言えば少々言葉が強いかもしれませんが、そう思います。みなさん、もう、見ちゃってる。
そこいらの79歳のおじさんを見て、ここまでハイテク、IT駆使して言いたいこと言ってるおじさんは、そうざらにはいませんよ。だから、マイクさんのQOL、生活の質は高いと思います。

〈何しろどんなにもがいても死ねないのです。何時までもがき苦しまないといけないのでしょうか〉

これって、みんなそうじゃないでしょうか。どんなにもがいても死ねないのですよ。多分死ぬまで、死ねる時までもがき苦しまないといけないのでしょうねえ。それが「生きる」ということだと、父の死に様を見ていて思いました。僕はとことんもがこうと思います。親父にできたんだから、僕にできないはずはない。そう思います。

死にたいなんて言わせない

マイクさん

怒涛の書き込みですね。なかなか追いつけずに申し訳ありません。

僕はここ数日激しい腰痛で、身動き取れない状況にあります。起きて椅子に座ることも辛いので、床に寝そべりながらパソコンやタブレットで仕事の真似事のようなことをしています。カッコだけです。仕事してるフリをしているだけです。

〈分かって欲しいのです〉

マイクさん、辛そうですね。苦しそうですね。でもね、その辛さ、苦しみは、マイクさんのものなのですよ。マイクさんが辛くて、苦しいのです。僕は決して「わかりますよ、その辛さ、その苦しみ」とは言えません。それは僕の辛さ、苦しみではないから、わかろうとすることはできますが。わかりはしないのです。「わかりますよ」と言ったところで、慰めにもならないし、マイクさんの辛さや苦しみが和らぐわけではないとも思います。僕にできることは、僕だけじゃない、他の誰かにできることは、その辛さ苦しさに寄り添うことだけだと思います。

僕だって、多分マイクさんほどではないにしても辛いこと、苦しいことはあります。人に言えないこともあります。でも、わかってほしいとも思いません。わかってくれる人はいるでしょうし、手を差し伸べてくれる人だっているはずです。でも、わかってほしいとは思いません。辛さに立ち向かうべきは、苦しさに立ち向かうべきは自分自身ですから。僕は自分の辛さ、苦しみに、自分で向き合おうと決めています。支えてくれる人は、応援してくれる人は、実際に力を貸してくれる人は大勢います。決して孤独ではありません。でも立ち向かうのは僕自身なのです。

〈言いたいことはいっぱいあるが文字盤では控えてしまう〉

でもねマイクさん、どんなにもどかしくても、面倒臭くても、結果として通じなくてイラついたとしても、何がどうあるのか、何をどうしたいのか、どうしてほしいのか、ちゃんと伝えないとはじまらないと思います。あきらめないでください。思っていることのすべてを伝えてください。

〈そんなの要らない「早く逝きたい」と……〉

それから、マイクさんに寄り添いたいと思っている人は、ご家族や親戚の方をはじめ大勢おられるのではないでしょうか。だとすると、この「早く逝きたい」というひと言はその人たちにとって、ほんとうに辛い、苦しいひと言になるのではないでしょうか。マイクさんはそんなつもりはないにしても、その人たちはマイクさんにそんなふうに思わせるのは、自分の無力、非力が原因だと思ってしまうのではないでしょうか。せめてマイクさんのことを親身になって考えている、思っている人たちが悲しむようなことだけは言わないでほしいというのが、僕の思いです。

家族の縁の薄い僕ならひとりで死ぬことはあるかもしれません。でもマイクさんはちゃんと家族がおられるじゃないですか。今は帰れないかもしれませんが、ちゃんと帰るべき自宅も、迎えてくれる家族もいるじゃないですか。そう思うだけで、辛さや苦しみは少々楽になるのじゃないでしょうか。

立ち向かうのは自分自身です。それは孤独な闘いかもしれません。しかし寄り添うべき人たちは必ずいる。そういう人たちのために生きるという選択肢もあるんじゃないかな、と思います。

昔、トシヒデに言ったことがあります。

「お前は確かに筋ジスという不治の病に侵されて気の毒だし、同情はするけど、決して悲劇の主人公じゃない。逆に大勢の人に支えられて幸せだ。その幸せを噛み締めて、じっくり味わうまで、死にたいなんて言わせない」と。

彼は最後に「ありがとう」というひと言を残して旅立ちました。

それを聞いた時、筋ジスという病を得たことは不幸だったけど、彼の人生は幸せだったに違いないと思いました。僕もそういうふうに生きたいと、今、強く思います。