今 こちらから往信しようとしたら 清水さんからのが入っていました
結果が思わずの方向だったのかの知れませんが 難しい状況のご本人に安っぽい励ましは今夜はやめて書き立てをそのままの返信でお許しください
でも一つだけ加えてみます
マイクが今のALSを”ENJYOY DEATH”と言えるようになったのは 実は2008年のダンス公演の後 激痛の椎間板ヘルニアになり 「腰痛日記」ブログを立ち上げたのですが 半年ほどヘルニアの勉強をし治療に苦しんだことを 治ったからでもあるのですが 「腰痛にこんなに楽しい思いをさせて貰った」と思ったのが原点なのです
その時同時に こんなことになるとは知らず「自死という生き方」読後感ブログも立ち上げました
では
多分清水さんは前立腺の精密検査の結果待ちで 不安のピークの頃かと思います
これも多分ですが 結果が出てもそれならそれでどんな選択肢を選ぶかが待っている筈です
医師の勧める標準治療の他まで考えると多分頭がパンクします
選択権は本人ですと念を押すのですが 自己責任にするのは医師の言い逃れ?で それが医師の義務だとは変な決まりです
それより医師からの説明責任の方が問題だと思います
専門知識のない患者本人が短時間で自分の症状を理解し 治療方法も数多ある全てを理解し 自分の財力にあった処方なのか迄もは判断できません
説明の程度を明確にするのはできる筈がありません
医師に任せるような責任なら 医師を信ずるしかないでしょう
自己責任というのであれば医師無責任と何も変わりません
自己都合利益優先の商業医療が放置されている実態を知っても 医師を信ずるしかないのです
どの選択肢にしても条件付きなのですから複雑すぎて素人には直感か神頼みのギャンブルでしかないように思えます
医師の説明が完全である筈はなく 最悪怪しげな教唆?かも?
加えて何れにしても 第三者があれこれ知ったか振りするに違いないのです
今マイクが言っていることもその類かも?
病気そのものよりも 高度医療が複雑化して 精神的ストレスで悩まされているのではないでしょうか
同じことが 社会福祉制度の完全性のお陰で 貧富に拘らず 平等な治療が保証されているのですが 野放図にはできず 申告主義で判定は慎重で長期間 何よりも書類が難しく煩雑でストレスが溜まる
医療と福祉に護られて 最高に安心な社会なのに これで十分な技術と財政だと言える筈なのに ほんの少しの不満と不安な筈なのに ストレスが無い訳ではありません
如何してか人間には 有り難さを思い知る心が希薄で もっともっとと欲張る「みっともなさ」と 「勿体無い」と我慢や諦めや 満足感謝することを知らないし またストレスとなるもの「矛盾」の改善を他人事とする「情けなさ」しかないのです
またまた清水さんのことをどれだけ思って書いたのか マイクが慣れない病気と入院に不安を持っていた頃のことを思い出しながら この長期の入院だからこそ見つけられた 社会福祉の有難さや それでも矛盾と言うだけでは済ませられない福祉の歪みや改善点を 当事者として感謝と期待を表意する義務を感じてなりません
ついつい 何時もの様に 思い付きばかりの妄想のトッカカリで失礼します