マイクさん
リハビリの様子を見せていただきました。今のマイクさんが、嚥下がし辛く、食事に時間がかかること、誤嚥しかけてむせるととんでもなく苦しいこと、だから食事にとてつもないエネルギーが必要なことなど、ようくわかりました。そういったことも愚痴やネガティブな考え方の原因のひとつなんだなあと。
このまま経口で食事ができなくなったら、胃ろうは拒否すると言っておられましたね。それも緩やかな自死だということでしょうか……。
マイクさんは自死の条件に、死が怖くなくなる、耐えられない疼痛がある、強い孤独感があるという3つをあげられています。前の2つは仕方ないとしましょう。個人的な感じ方の差もあるでしょうし。でも、孤独っていうのはどうかな。ぼくはマイクさんのくらしを垣間見て、決して孤独じゃないと思いました。家族の皆さんに囲まれて、必要なサポートがあって、大切にされているじゃないですか。
たしかに家族それぞれに仕事や生活の在りようが違うわけですから、マイクさんが絶対的なメインになるのは難しいかもしれません。でも暮らしのシフトはマイクさんの療養のために、という方向になってるんじゃないかなと思います。
自分でできることは自分で、できないことは家族の手を借りて、家族でカバーできないことは公的な介助の手を借りて。とてもシンプルなことだと思います。家族にあまり手をかけてもらえないことを、自分は厄介者だ、迷惑をかけているんだと嘆く療養者もたくさん見てきました。だから私は孤独だ、と。居場所がない、と。
大切なこと、かつ大変なことは暮らしを維持することだと思います。在宅での療養で、そこがいちばんの問題になるんじゃないでしょうか。経済の問題もそうですが、ルーティンの暮らしを維持するということがいちばん大変なんだろうと思います。働く人は普通に働く、学校へ行く人は普通に通い勉強する、つまり当たり前のことを当たり前に続けるということです。
そういう暮らしの中に、誤解を恐れずに言うと、療養を、介護を持ち込むわけですから、少々の軋轢、摩擦が起こっても仕方のないことだと思います。それを自分は邪魔だ、居場所がないととらえれば孤独になるし、逆に自分のために出来る範囲で頑張ってくれていると思えばうれしい気分になれるんじゃないでしょうか。
結局ものは取りよう、考えようだと思います。マイクさんの居場所は間違いなく、いまの場所、家族の中だと思います。そして決して孤独じゃないと思います。
それにぼくは、決してマイクさんを孤独にはさせないと思っています。