マイクさん
2泊3日の前立腺生検のための手術入院から、たった今戻ってまいりました。半身麻酔をかけ、前立腺の15カ所にに針を刺し組織を取り出すというものです。麻酔の注射がずいぶん痛かったけど(情けないですね:笑)、検査自体は何の苦痛も感覚もありませんでした。
手術前日から入院し、2日目に手術というスケジュールでした。術後は状況を観察するのに回復室というところに入ります。ぼくは14時からの手術に備えて10時頃にそこに移動しました。ベッドが4台並んだ部屋でしたが、ぼくひとりだけ。点滴を打ちながらぽつんと時間を過ごし、ぼくはこの後の人生もこうやって検査と手術を繰り返していくんだなあ、ぼくが生きていくというのは、きっとそういうことなんだと思っていた時でした。カーテンの向こうの隣のベッドに、患者が運ばれてきました。数人の家族も付き添っているようでした。
漏れ聞こえてくる家族と看護師の会話から、いくつかのことがわかりました。患者本人は96歳であること、耳がよく聴こえないこと(補聴器がないとほとんど聴こえない)、日常の行動はほぼひとりでできていたこと、認知症はないこと。今回の入院は貧血がひどく、翌日輸血を受けるためであること、かなりしんどいと訴えているということなどでした。実際カーテンの向こうからは、苦しそうなうめき声が頻繁に聴こえてきました。
ぼくは95歳になる母のことを思い浮かべていました。母は元気で今この時を過ごしているのだろうかと。その時です、96歳の患者が苦しそうな息でつぶやきました。
「早よう死なんならね(早く死なないとね)。早ようお迎えが来んもんかね」
そこまで生きて、それでも早く死んでしまいたいって……。母もそんなふうに思うのだろうか。
娘らしき人が言いました。
「お迎えが来るまでは元気で生きんとね」
「迷惑やなかけえ。厄介やなかけえ」
「なに言うとるの!」
「家で死にたかあ」
「元気になってお家に帰るよ。まだ死なんよ」
「こげなしんどかこつ。長生きした甲斐もなかなあ……」
長生きしたのに、幸せな人生だったはずなのに、最後はこんなにしんどい。家族にも迷惑をかける。いっそのこと早く死んでしまいたい。そんな悲しい思いが伝わってきました。
今の世の中は「楢山節考」の時代と何も変わっていないのです。家族のために年老いた人々が自ら死に向かっていく。マイクさんがよく言う「死に場所を求めて彷徨う」などというのは、まるで現代の姨捨山譚だと思いました。先進国であり、福祉国家だというのに、「楢山節考」の時代と何も変わっていないのです。しかも、高齢者が福祉や医療の制度を利用しながら生き続けることを、家族の迷惑どころか、社会の迷惑だとも受け取れるような社会のあり方を考えると、「楢山節考」の時代よりももっとタチが悪いように思えてなりません。
若い世代は「老い」を他人事のように捉えているようです。こう言うぼくもそんなひとりでした。これは自分が歳を重ねるしか実感できないのかもしれません。
「介護地獄」からの介護保険導入から、ようやく老いの問題を良くも悪くも社会の問題として捉えようとするようにはなってきました。でもね、もっと言うなら「老いの幸せ」を社会の問題としてちゃんとサポートできるような時代になってほしいと思いました。
母はもちろんですが、マイクさんにも幸せな人生の終焉を迎えてほしいと願っています。いえ、すべての人に幸せな人生の終焉をと。