薩摩魂よりもっと相応しい言葉があるのかも知りませんが 清水さんの返信から西郷のように理想を創り上げる鹿児島人の魂を感じました。
またそこが 清水さんを遠くそしてこれまで長く惹きつけてやまないところなのでしょう。
お陰様で精神的に安定したALS新参者のマイクには 医師からは殆ど余命宣言らしきこと知らされず せめて胃瘻や気管切開の見込みぐらいは知りたくて 自分でALS占い師にでもなろうかと考えています。
その始めに、ALS同病者に沢山合って、自分で推測するのが一番頼りになると思い京都難病連に行ってきましたが、京都にALSは200人は居るらしいのに革新京都に「ALS友の会」はないのです。
ALSマイクはこれから、ALSに拘らず 「死に切れない老人」や力及べば「悩める人」も、全ての弱者の何らかの支援を当事者か経験者として「マイクらしい遣り方」でやりたいと考えています。
(本当にできるかはこのブログで妄想することから始めたいと思います)
今、終末期の老人のためを考えることを、マイクは使命にしたいと思っています。
老人は決してマイノリティではありませんし、いまやメジャーなのですが、悲しいかな他人に頼るしかない弱者としての存在なのです。
その多くの老人が、死ぬに死ねない地獄のような現実を知り、看取られる最期の場所もなく彷徨うであろう真実を見過ごすことを出来ないマイクは、救世の解決策として、安楽死の必要を直感し、多くの終末期の老人には 特に貧乏な弱者には それを支援する施設が必要と結論したのです。
(今も安楽自死支援施設の実現を夢見ています)
一般に、その弱者への政治の取り組み方と、多くの国民の弱者への関心は、弱者支援福祉全般の質や充実そのものの為の理念よりも、自分の立場だけの周辺にしか関心や見る目がないように思えます。
多くの老人は、自分の年金が充分貰えることだけに関心があるのであって、自分に関係無い他の弱者には関心関係無用なのです。
そしてその老人ががメジャーなので、多数決民主政治のターゲットになるのです。
(世間の弱者への関心の希薄さに問題があることが気になりますが メジャーによるマイナー差別こそ問題なのです)
マイノリティを差別する者が現実にいて、それを許せないとの思いを持つ反差別者がいることも事実です。反差別者が差別是正への対決をする社会現象もよく見られるようになりました。
しかし反差別活動はマイナーだと思います。
大方は、より平等であるべき社会の実現には関心なく、平等という言葉すら無視して暮らしています。民主主義を誤解し、マイナーを無視したメジャーだけの世界の中だけでは豊かで擬似平等なのです。
それが多数決主義を誤解し、メジャーがメジャーであることを正当だとする風潮がのさばっているのです。
(民主主義の誤解を解かねば社会を変えられない)
社会をラジカルに完全にフラットに方向付けしないと差別は無くならないと考えがちです。しかしラジカルは不幸を生む危険と完全遂行の困難が在ります。マイナーがメジャーに立ち向かうことのバランスから明らかです。
しかしマイナーがメジャーの論客指導者とだけ正論で戦うのは容易なのです。それを見越せなければ戦う意味がなく、見越せるから戦うのです。
メジャーと雖も、その中身はマイナーなエリートだけで、その他大勢のメジャー構成は、メジャーパラサイトに過ぎず、戦いに勝った方に鞍替えする輩ばかりです。
(ラジカルとは正論で戦うことだけです)
しかし実際の戦いはメジャーの中のエリート軍団が、甘い既得権や、大きなメジャーを支持するパラサイト軍団を固守するのは当たり前で、最後まで生き残るしか活路はないのです。
それに対抗するのには、メジャーパラサイトをマイナーだったこちら側にパラサイトさせることです。この方が、労力がいるが確実にメジャーを引っくり返せるはずです。
メジャーパラサイトとは、どっち付かずと言うより、ただの自己中がメジャーが強そうな方を正義とする民主主義偽善者なのです。
(ポピュリズム社会での社会変革の仕方)
こんな論文?を書く積りではなかったのですが、途中で修正が効かなくなってきました。
だからと言って今日の返信を作り直すには消灯時間もすぎたので、いつもの書きながら考えを展開する支離滅裂の 、れも相当酷い返信のままお読み捨て置きいただけるようお願いして終わります。