辞世の句にも未練が見える

昨日の喪中ハガキ紛いのお別れ/お籠りの言葉については 真剣だったには違いないのですが 迷惑千万なマイクだったのです
娘からはお目玉を頂いたのですが 弁えでは自信があるマイクでも あんな恥ずかしい状態に人はなるのです

今日も白状しますのは リハビリ病院に幾つか持ち込んだ色紙の一つです
それには 4/14のマイクからの返信に 既に紹介したマイクの辞世の句が書かれています

太田「道灌の山吹伝説」で有名な
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき
を本歌取りした

「山吹の 花も実もなく ただ幹の 燈明にてや 片隅照らさん」

です(幹と明は マイクのファーストネームから)

マイクのHPには 次のテーマで 詳細に解説していますので是非覗いて頂きたい
私の解脱道 (そろそろのお迎えに 自ら出向くスタイルとしての マイクの弁え)
http://mike12.web.fc2.com/gedatsu.htm
(VistaバージョンHPで画像が出ませんが)

50歳諦年 山吹の 花も咲けずに 実の一つ ならで五十路の 秋ぞ悲しき
60歳定年 山吹きの 花も実もなく ひたすらの やがて去りぬる 冬ぞ悲しき
辞世の句 山吹の 花も実もなく ただ幹の 燈明にてや 片隅照らさん

辞世の句と言いながら この句は 世を去る末期を覚悟したとの言葉としてではなく 未だ(死しても)世の役に立ちたいとの未練がましいマイクが見て取れます
今のマイクはその通りにしたいならと 神様仏様に見込まれ 精神的延命もされて 余命のある限り 世直しの何かを 命掛けてでもできるチャンスを頂いたのです

マイクの生前葬で 多くの絆がまだまだある事を確かめられて また 生前に準備したこの辞世の句もまた ピッタリで これからの余生を 命を賭けてでも 世の中の片隅を照らし続けるべしと定められた運命であるその事を この句は自分に教えてくれているのです

実は そんなに上手くいくのか自信のないほど その後は くたばり掛けているマイクですが 明日は 去年もあった宇治小倉のパスタイムでのギター仲間のお祝いパーティで 親父ダンス「ロスホコス」として呼ばれているので 喜んで頂ける限り踊ってきたいと思っています
早速 命を掛けて!?
よく考えると 去年と違って 去年は老人が頑張っているところを見ていただいたのですが 高齢とはいえ元気なフォーク仲間に喜んで頂けたのです
今年はわざわざALSの患者のソロ 然もネグリジェを着せられた爺さんが エロ爺 を晒して踊るのです
お祝いの席に如何かではなく 去年の絆を大事にして頂いたものとしか思えません
生前葬であれだけ一体になって頂け事がまたあるのだと!
そしてこれからも 弱者が元気な方々にも何か共感することで繋がることができることを 明日も体験できるかも知れません

そうだ!明日は 「とろみ材」を持っていかないと!お酒にも到頭 要る様になりました!コクのある酒をチビチビ飲みで 元気な皆さんをお祝いできたらと 楽しみにしています

追記:3連休で自宅外泊するについて 副看護師長さんは マイクの誤嚥を心配して 病院の吸引器を持ち帰る様に手配していただきました
パーティに行くとはとても言えませんでしたが 気を付ける積りです

Share this...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です