
マイクさん
今日感じられたこれだけの絆の存在は、マイクがALSという特別の同情があったにしても、ここにおられる皆さんにもこれ以上の絆をお持ちであるに違いないという事をお伝えしたかったのです。
絆って、自分ではなかなか気づけないものですね。かたく結ばれて、守られているにもかかわらず、そのことに気づかない。そのことに気づくのは、多くの場合失ってからかもしれません。それはとても悲しいことですね。
ぼくは4年前父を亡くしました。ぼくが60歳、父が87歳の時でした。そんなに長い時間一緒に生きてきたのに、決してわかり合うことはありませんでした。反発しあい、時には憎しみあい、背中を向け合うそんな関係でした。ひとことで言うと、とても嫌いな父だったのです。でも、あたりまえのことですが、ぼくらは父子という絆で結ばれていました。
ぼくがそのことに気づいたのは、父の命の灯がまさに消えようとしたその時でした。父の命の時間が限られた時、大嫌いな父だけど、ぼくが看取らなければと思い、京都と鹿児島を往復する暮らしをはじめました。そうするうちに、父の口から信じられない言葉を聞いたのです。
「すまん。苦労かけるな……」
それに対してぼくは自然に答えていました。
「嫌いでもあんたの息子やからな。しゃあないやんか。苦労なんて思ってない」
父の言葉に驚いたのはもちろんですが、その言葉に素直に答えた自分に驚きました。俺とこの人は親子なんだ、と。その関係はどちらかが消えていなくなっても、絶対に消えることのない関係なんだとわかりました。でも残された時間はわずかでした。ぼくが1分1秒を惜しむように父の話を聞いたことは言うまでもありません。そうしてようやく父という人がなんとなくわかったような気がしました。父がぼくのことをわかってくれたかどうかはわかりませんし、決して好きにはなれませんでしたけど(笑)
おたがいがおたがいのことを、いろいろ考えた結果として、摩擦や衝突が起きる。思いが募れば募るほど、自分の思いが届かない苛立ちや、失望が、新たな摩擦や衝突を生み出す。そんなことはわかっているはずなのに、なのに素直になれない。そんなことを繰り返してきたのです。
でも、そのことに気づかせてくれたのは、ほかならぬ父だったのです。それを絆と呼んでいいのかどうかもわかりませんが、父とぼくの絆を気づかせてくれたのは、大嫌いな父であり、大好きな父だったのです。
父はいなくなりましたが、ぼくは父が気づかせてくれた絆を大切に生きていこうと思います。
絆を気づかせてくれるのは人。マイクさんを支えようとする大勢の人を目の当たりにして、強くそう思いました。ぼくもその輪の中に入っていることをうれしく、誇らしく思います。
マイクさん
その輪を、絆の輪をもっと大きく、何重にもひろげていきましょう。
そうしてみんなで生きていきましょう。ひとりの力では何もできないかもしれません。でもまずそのひとりが何かをはじめないと、何もはじまらないと思います。マイクさんを中心にひろがりはじめた命の絆。大切に育てていきましょう。