難病患者だけがわがままか!?

マイクさん

いろいろ充実のご様子、その姿を思い浮かべて、ぼくはうれしくなりました。
それにしても生前葬パフォーマンスやマイクさんの療養生活をサポートしようという人がなんと多いことか。なんと心強いことか。それは、これまでマイクさんが人のため、社会のためにいろんなことをされてきたことの裏返しだと思いました。いい人生を送ってこられたのですね。そうして思いました。人は支える側も支えられる側も、決してひとりでは生きられないのだと。人は自分が思うほど、孤独ではないのだと。

これを介護する側と介護される側にあてはめて考えてみたいと思います。「ALS患者は我が儘か?」ついての考察です。被介護者のわがまま、介護者のうんざりはよく語られるところであり、映画「こんな夜更けにバナナかよ」の中でも描かれていましたね。それはぼくの拙い作品「死亡退院」の中でも何度もくり返し登場するテーマでもありました。

例えば主人公、ディシェンヌ型筋ジス患者轟木敏秀がぼくの自宅に泊まった夜の話。
何が食べたい? 何でも好きなものを食べさせてやる。贅沢言っていいんだよと言うぼくに、彼は「目玉焼き」と答えました。寿司でも、ステーキでも、もっと贅沢言っていいんだよと言いかけて、ぼくはハッとしました。一度に大量の調理をしなければならない病院食で、当時1個ずつつくらなければならない目玉焼きは、決して口にできるものではなかったのです。こんなものが贅沢になるなんて……。ぼくは喉が詰まりそうになったことを覚えています。

逆にその夜一晩中体位を変えてくれと要求する彼にうんざりしたことも。「ゆっくり寝させてくれ」と言うぼくに、「ぼくは身体が痛くて寝られない」と訴える彼。介護、介助をしてやるから泊まりに来いと促したぼくに、身を委ねて泊まりに来た彼。ぼくはどちらがわがままなんだろうと思いながら一晩を過ごしました。

こんなこともありました。
病院で食事介助をしていた時のことです。予て好物だと言っていた冷やし中華がトレイに乗っていました。それを彼の口に運ぼうとすると、振れない首を横に振ろうとして拒絶したのです。どうして? 好物じゃないの? そうたずねたぼくに彼はこう答えました。
「切り刻んであるでしょ。麺を食べてるという気になれないの」
通りかかった看護師さんに、どうして切り刻んであるのかとたずねたら、喉に詰めたりしないようにですよとさらっと答えました。すると敏秀が、
「食べやすくじゃなく、食べさせやすいようにだよ。しかも事故を起こさないような危険回避もね。患者のためじゃない」
と吐き捨てるように言ったのです。
多くの患者を限られたスタッフで介助、介護するには仕方ないことなのかもしれませんが
「麺を長いまま食べたいと言ったら、わがまま言うなと前に言われた」
という彼の表情はとてもさみしそうでした。

危険回避と効率。それが背景にあるなら被介護者はまだ納得できるかもしれません。だけど、もし介護者に「ここまでやってやってるのになんだ……、まだ要求するのか」という思いがあるとしたら、そしてそれがもし職業として介護に携わっている人ならとても残念だし、その思いは介護される側に必ず伝わるはずです。


被介護者、介護される側は要求が多くて当たり前です。だって自分でできないことをしてもらうために介護、介助を要求するのですから、ほどほどなんてことないのです。そういう意味でいうと、被介護者であるALS患者はわがままではないとぼくは思います。ほどほどの介護で満足してなさいという介護者の方がわがままだと思いますが、いかがでしょう。

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