生に向きあおう/「ほぼ」で良いから❗️

どこかの調査です
https://www.sankeibiz.jp/business/news/180119/prl1801191302061-n1.htm
100歳まで「生きたい」12.6%、「生きたくない」65.4% とにかく不安なのは健康とお金、認知症 人生100年時代には「公的支えが必要」85.9%

ポックリで死にたいと言いながら 100歳までとは言わず何時迄も人はそのまま生きてしまいます
その日その日に向き合うことを忘れていたら 無理して死ぬことも生きることも必要ないのでしょう
しかし 成るように成るとか 在るが儘にとかではなく 向き合って生きることを忘れるなと言う条件があって欲しいものです
(5/10の往信の最後にあった「向きあおう」と言う清水さんの言葉で目が覚めたマイクです マイクはもともと向き合うことが好きでしたとその日に返信しました)

セネカは 哲学する閑暇こそが人生だと言った(古代ローマの哲学者 前4年頃~後65年)
向き合うことだけで哲学だとは言いませんが ほぼ哲学なのです
セネカは人生を短いと捉え 生の使い方を知れば長いと結論した
使い方を知るにはまず向かい合うことから 「ほぼ」哲学に繋がるのだとマイクは悟ったのです

5年前に セネカを噛み締めようとしていたマイクでした

2014/12/2「セネカは素晴らしい」(心満たされて死にましょう)https://sky.ap.teacup.com/jishi/446.html

「人生の短さについて」セネカ・浦谷計子 PHP研究所 (2009/2/21)

あなたがせわしなく過ごすうちに、人生は急ぎ足で去っていくのですよ。寸鉄のような警句が胸に刺さる、ローマの哲人、セネカの手になる古典的人生論。

セネカ 古代ローマ帝国の政治家にして哲人。紀元前4年頃~紀元後六五年
運に支配される生き方ではなく 自分の意志で生きよと説く
それならば逝き方も然りだと思う
皇帝ネロに自殺を命じられ 友人たちと会話をしながら毅然と死んだようです

今まだ読みかけですが 古ビトに教えられることが多い
そしてそれを踏まえた今様の生き方・逝き方を 考え出さなければなりません
自分の意思・自己決定による積極的な死に方を 考え出さねばなりません

2014/12/3「セネカの死に方?」(心満たされて死にましょう)https://sky.ap.teacup.com/jishi/447.html

セネカは曰く。

「ほぼ例外なくだれもが まさに生きようとしているそのときに 人生の方から見放されたと気づくのです」
「天寿を全うしないうちに すでに死にかけていることに気づくでしょう」
「せわしなく過ごすうちに 人生は急ぎ足でさっていくのです」

あくせくするな 自分の意志で自分の人生を哲学せよと説く

「哲学に時間を割く人間だけが 悠々自適する 真に生きている人間なのです」
「指図や支配を受けずに 自分自身を主人とせよ」

しかしセネカは 皇帝ネロに自殺を命じられ 指図と支配を受け入れたのか 仲間と語りながら毅然と死んだとある
「過去の賢人たちは 死を強要することはなく いかに死ぬべきかを教えてくれるでしょう」
と言いながらのセネカが どのような死に方をしたのかも気になる

気になる言葉もある
「飲み食いや性欲に身をゆだねている人間は 恥辱にまみれて醜いばかりです」
「最大の幸福とは悩みの種でしかありません 至福の瞬間ほど幸福は信じられないのです」
セネカの言うこのことは 短い人生をい自分の意志で効率的に美しく恥じない生き方をする教えであって 最後の最後の人生の瞬間までを 否定するものではないとマイクは解釈することにします

終末期安楽死センターは 最後の晩餐を楽しみ
セネカの最後は 友と語るだけで歓喜を味わったのでしょうけれども・・・

「時間デザイン」のサイトに セネカの良い解説があります
http://tokidesign.jp/ningen-toki/story15.html
お勧めします

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