安楽自死センターの世話になれたなら?

発症前から 高齢者の看取り場所としての事を考えていた次のブログを見直してみます

マイクのブログ 2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
『ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役立つ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものす』

京都に住むマイクは 祇園祭の頃に 呂律異常の自覚があったものの 総合病院で経過観察と言われて放置していたのですが まさかの難病の走りだとも思ってもいませんでした
そしてまた 12/5の再診で 怪しいとしれるまでは 相変わらず安楽自死センターの役割や機能を人ごとのように考えていたのです
家族の世話や医療・社会福利に最大限頼って逝くべきか
麻生の思惑に嵌まって 尊厳死や在宅死を選ぶかまでも まだ他人事だった筈なのです

それでもマイクは財政が保てず 47万人が彷徨うのを憂いて もっと相応しい安楽自死センターをと構想し続けてきたのです
このブログは ALS告知の3ヶ月前のことです
社会的にも 遺族にも最善のことと単純に信じ切っていました
まさかのまさか マイクにとって直ぐにでも最大の悩みになるとは思ってもいなかった頃のことです

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