徹底的に妄想を!

マイクさん

ぼくはどんなにコストがかかっても、助けたい命があり、救わなければならないのが社会だという論点に立っています。
そういう社会でありたいということですね。コストを否定しているわけではありません「命のコスト」から、どんな社会が望ましいか、どんな制度が望ましいかという議論になれば面白いかなあ。救いたい命のためのコストを社会全体でどう分担するか……。福祉の全体像みたいな話ですが。目指すべき社会のあり方も遠くに見えているような気がします。

でも、「救いたい命にかけるコスト」という表現は捉え方によっては違和感を感じる人もいるかもしれませんねえ。
たとえば「救いたい」と「救いたくない」の選択の話や、ぼくが思うように「命」に対して「コスト」という表現が適切かどうかというところですね。
たとえその先に社会や福祉の理想像があるあったとしても。

それに「救いたい命」の対極に「救いたくない命」「救う必要のない命」があるのかと指摘する人もいるでしょう。
その指摘に対しては、「たぶんぼくは、すべての人の命を救いたい!と思う」と答えたいと思います。
というか、生きたいと人が思うさま生きられない社会の矛盾をただしたい、と。

そうかと言って、死にたいという人を、簡単に死なせたくはないとも思います。
死にたいと思う理由、原因を見極めて、それを改善の方向に持っていけるような社会を目指せないのかということです。
「妄想ラジオ」では、そういう妄想を徹底的にしてみたいと思ってます。

救いとしての安楽死や尊厳死の判断も難しいですね。でもそこも妄想したいと思います。極論が出てくるかもしれませんが、極論を楽しみたいとも思います。思うに、誰もが言いたいことが言えない世の中なんじゃないかな。マイクさんみたいに言いたいこと言ってる人は珍しいと思います。だから極論で議論することも時にはいいかもって。
今流行りのプラグマティズムのような、現実にがんじがらめにされた議論は、結局何も生み出さないんじゃないかと思っています。
現実から離れた所の議論を自由に、活発にすることだけでも、なにがしかの意味があるのではないでしょうか。

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