ALSになって直ぐにでも死にたかったのに 安楽死は夢見るだけで 自死もできず それなら尊厳死しかないと決めて入院したのに 尊厳死の苦しみを知ってしまい VSEDと鎮静市というものまであること知ってしまったのです
それでもう今一度 尊厳死を思い返してみなければと思いました
患者側からすれば 確実で 直ぐに死にたいのなら 鎮痛死より安楽死を望むべきでは?
と先に書きました
患者側が尊厳死を望んだら 医師がしたがる延命治療を拒否された憤懣で そのまま苦しんでいても放置される懸念があるとも知った
そうはさせないと医師から説明があるのだろうか
VSED(断食往生)は 安楽死の厳しい制限で死ねない患者側が ハンガーストをして抵抗するものの 苦しむこと間違いないのに 医師から放置されるリスクがあるらしい
さて医師からすれば 延命は医師の務めであり 治療は天職であり 何が何でもやりたいに決まっています
古いマイクのブログの書き込みに こうある
「終末期の処置と死の因果立証に司法は次第に遠退いている
現実 医療現場は透析や呼吸器外しを公表して憚らず 実態として安楽死は存在しているのです
しかし一方 胃ろうや呼吸器や 緩和ケアも進歩しており 拒否することに医師からの批判反対も多い
また宗教や弱者差別の倫理に対して向かい合わねばなりません
また オランダでは認知症や精神障害者から視覚障害者へとなし崩しに広がると この書き込みに参考・引用させていただいた京都新聞岡本晃明さんの2018.9.25の記事にあるようなことまで」
かくて 医師にはやりたい気持ちと 司法も同じく面倒に関わりたくない気持ちとがあるが 医療ビジネスとしては 当然 責任を法制化されるよりも無法地帯での 延命を進めるのがやり易いに決まっています
現実はこう言うところなのでしょう
医師やよく分かっている者同士であれば 曖昧な方が良いのでしょうが 患者は突然で初めての病気に 探して探して決めた主治医に運を任すしかないのです
悲運な難病と 医師不信が重なり 死にたくなっても 死に方も分からない不安に取り憑かれるのです
結局何が言いたいのかと言うと マイクがALSになった当初は 不安に取り憑かれて死にたいとしか考えられなかったことを 余裕が出てきて思い直して見たと言うことなのです
尊厳死と決めて落ち着いたと勘違いだったことを知り しかもまだ何時 どんな症状で どんな死に方になるのかが今も分からないのです
こんな甘いことを言うと また必ず清水さんからのご叱責があるのですが それを自分で考え反省するより お聞きすることに快感を覚えるように?なってしまったのかも知れません
これを余裕というとまでは言いません 済みませんが宜しくお願いします