右往左往ジタバタが続く

マイクさん

難しい問題ですね。
この問題は我々の倫理観、生死観はもちろん、政治や制度、経済のあり方まで幅広く複雑な問題を孕んでいると思います。ぼくのようなあやふやな人間が軽々に論ずるようなことではないと。
だけどこの死をどう扱うか、どう見るかについて、ぼくが大きな影響を受けた一文があります。徒然草第九十三段です。短いので全文を引いておきます。

牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛を取らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。
これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、生あるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵝毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふ。
また云はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危く他の財を貪るには、志満つ事なし。 生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず*。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。もしまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲る。

吉田兼好著・吾妻利秋訳

この文の眼目は3段目の「」の中です。

「死を怖がるのなら、命を慈しめ。今、ここに命がある事を喜べば、毎日は薔薇色だろう。この喜びを知らない馬鹿者は、財や欲にまみれ、命の尊さを忘れて、危険を犯してまで金に溺れる。いつまで経っても満たされないだろう。生きている間に命の尊さを感じず、死の直前で怖がるのは、命を大切にしていない証拠である。人が皆、軽薄に生きているのは、死を恐れていないからだ。死を恐れていないのではなく、死が刻々と近づく事を忘れていると言っても過言ではない。もし、生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人は悟りを開いたと言えるだろう」

嘲る人々を世間あるいは社会と考えればいいでしょうね。
生死についてまともに議論することを回避して、そのことすら経済と結びつけて損得でしか論じられない。なんだか今の時代にもピッタリあてはまりますね。
実際に医療の現場で起きていることに目をつむり、近い将来47万人もの人が自分の最期をめぐって彷徨うことが明らかなのに何も手を打たない。
死に方の問題など、現世の損得になんの関係もない。そんなことよりもっと儲けることを考えなくっちゃ。だって金があったら死に方だって思い通りになるんだよ、と嘯く社会ですね。

これは政治の問題ではなく、ぼくら自身の問題なのだと思います。マイクさんとお付き合いさせてもらうようになってから、ぼくは自分の生死について、特に死に方の選択についてはよく考えるようになりましたが、それを社会でどう受け止めたらいいのか、個人の死を社会がどう受け止めてどう扱ったらいいのか、よくわかりません。苦しいのは嫌だ、安楽な最期を迎えたい、とは思いますが……。
どうやらぼくはまだまだ悟りなどという境地とは対極にいるようです。右往左往ジタバタが続く毎日です。

Share this...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です