本当は死にたくない!

マイクさん

浮き沈みを楽しむ余裕……、って(笑
お元気そうで何よりです。

さてと、今回は「共感」の問題ですね。ぼくは人が自分の思いに共感を求めるというのは、当然のことだと思っています。これは病気のあるなしにかかわらず、人の共感を求めるのは誰でもごく自然の思いでしょう。だけど「死にたい」という思いに共感できる人がどれほどいるでしょうか。「言われた周りの迷惑を考えよ」というのは、ごく自然の反応だとも思います。

しかし「死にたい」と言いやすい時代になってきたという話も、どこか恐ろしいなと思いました。それだけ生きづらい世の中になったということでしょうか。「死にたい」と同時に「生きたい」という思いもあるはずですよね。その「生きたい」という思いを「死にたい」という思いの影から引き出して、「生きたいと」いう思いを否定してしまうほどの生きづらさに共感をするべきではないでしょうか。つまり「死にたい」と思うことへの解決策を一緒に考えることもひとつですが、生きづらさにこそ共感し、それをどう解決するのかを一緒に悩まないと意味がないと思います。

マイクさんも言ってますよね。「人迷惑顧みずとは、本当は死にたくないからしてしまうのです」と。これは死にたい死にたいと誰彼なしに言いまくるのは、ほんとうは死にたくないからだと理解していいのですよね。そうやって誰彼なしに言葉をぶつけて、共感という救いを求めていたと。そこに執念を燃やしていたと。

ぼくは思います。
マイクさんが求めているのは、「死にたい!」ということへの共感ではなく、「死にたい!」と言わざるを得ない苦しみ、状況にこそ共感を求めたいのだと。
だったら「死にたいと言わせて!」の前に「なんでこんなに苦しいのだ!」「この苦しみを取り除くにはどうしたらいいのか」と言ってください。マイクさんの苦しみの根っこがどこにあるか、これを読み続けている人にはおおよそ見当がつくと思います。自分の予後への不透明感、それをきちんと説明してもらえない不信感、さらには目下の治療に対する効果の有無や継続することへの疑問……。挙げればきりがないかもしれませんね。でも、死にたいと思うことへの解決策というのは難しいかもしれませんが、苦しみや不安をもたらすこれらの問題を解決することは可能かもしれませんね。そこは大いに共感したいと思います。

特に「ほんとうは死にたくない」というマイクさんの思いに
心底共感いたします。

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