マイクさん
がんと難病ではどちらがラッキーか……、ですか。
ぼくの大腸にがんが見つかった時、まわりの人は言いました。
「清水さん、ラッキーでしたね。見つかって」
そのがんがステージ3だとわかり、検査の結果他の臓器に転移が見られなかったとわかった時、まわりの人は言いました。
「ステージ3でよかったじゃないですか。転移もなくてラッキーでしたね」
大腸を40cmあまり切除し、リンパ節を21カ所郭清して、主治医ががんは取り切れたと思うと言った時、まわりの人は言いました。
「取り切れたんだからラッキーだったじゃないですか」
そのリンパ節のひとつに転移が見つかり、抗がん剤治療がはじまった時、まわりの人は言いました。
「転移は1カ所だけだったんでしょ。最近は抗がん剤も良くなっているし、ラッキーだと思わないと」
抗がん剤の副作用で、死んだほうがマシだと思っていた時、まわりの人は言いました。
「苦しさと引き換えに元気になろうとしているんだから、辛抱しないと。抗がん剤も使えない人もいるんだから、あなたはラッキーですよ」
術後1年の検査で、肝臓に白い影が見つかった時、まわりの人は言いました。
「今度は早期発見。ラッキーでしたね。また取っちゃえばいいですよ」
結局その影は血管腫というもので、悪性のものではありませんでした。その時まわりの人は言いました。
「よかったじゃないですか。ラッキーでしたね」
さてぼくはほんとうにラッキーだったのでしょうか?
ほんとうにラッキーなら、がんになんてならないんじゃないでしょうか?
誰かがいい言葉を教えてくれました。
「ゼロか無限大か」
って。
ラッキーならがんになんてならないし、ややこしい病気にはならない。
でももしなったら、その苦しみは病気ごとに比較しても意味はないのではないでしょうか。
当事者にとっては自分の苦しみがいちばんの苦しみなのです。他人の苦しみなどはどうでもいい。自分の苦しみを際立たせるために、他者との比較をするのだと思います。
大切なことは、それぞれの病気に苦しむ患者は、その人なりの苦しみを抱えているということです。ぼくは人としてそういう人たちにまみれながら、思いを寄せ合いながら、自分の苦しみに向き合いたいと思っています。