E.Dをやり続ける意味

マイクさん

テレビ番組での尊厳死、安楽死の扱い、気になるところですね。

尊厳死するかしないかではなく、その前に大事なことを忘れています。延命治療はするしないでなく、どのレベルでしたらどのレベルに回復または生命維持できるかの前提がなければなりません。

マイクさんのこの見解は、非常に大切なことだと思います。一つひとつの医療行為の意味と効果を明確にすることが大切かと。特に患者当事者と家族に対しては、このことを明確にするのは最も大切なことかと。さらには、通常の治療と延命治療の線引きも明確に行われるべきだと。胃瘻などは緊急避難的に行われる場合もあるわけで、自力での嚥下が回復すれば胃瘻を元に戻すこともありえます。この場合の胃瘻は治療の時間を稼ぐための延命といってもいいのではないでしょうか。

昨日のテレビ番組では、この治療と延命の定義に関しての十分な意見交換は無かったと聞きました。この定義が不明確ということは、尊厳死、安楽死の定義についても不明なままだったのではないでしょうか。ただし、延命を望まない場合の緩和のみのケアについては実際かなり増えており、実質的な尊厳死になっているという現状の説明があったようですね。延命の定義なしに延命を、あるいは尊厳死、安楽死を議論することが可能だということです。あまり言われることではありませんが、末期ガンの様な患者にモルヒネを投与すること自体が、尊厳死、安楽死だと見る向きもあるようです。

自死や幇助の法律的な問題について、変えるべき、変わるべきという意見が多かったですが、ぼく自身はテレビ番組という性格上、表層的にならざるを得ないのではないかとも。そういう意味でもマイクさんの「延命の意味を教えて」というひと言はとても重いと思います。

ぼくは、E.Dは自死や幇助の法律的な問題についてや、延命の意味について積極的に発言するというスタイルで関わっていければいいなあと思います。そこに関与できたらE.Dとして社会的な役割を果たせるのではないでしょうか。それこそが、E.Dをやるやり続ける意味であり、マイクさんをサポートする意味だと言ってもいいでしょう。

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