同じ水脈を生きる者として

マイクさん

返信ありがとうございます。
ぼくは今日のマイクさんの返信を、胸をチクチクさせながら読みました。
はじめてマイクさんに会って話をした時、マイクさんに対して「関心が湧きました。興味をそそられました」とお話ししたことを覚えておられますか? その時のぼくの本心を正直にお話ししますと、ぼくの文屋根性に火がついたことは確かです。
そういう意味では、ぼくをマイクさんとのお付き合いに駆り立てた動機はとても不純で、愛などというものとは対極にある、打算であるとか、魂胆であるとか、そういうドロドロとしたものでした。ですからぼくの行為を肯定されたり感謝されたりすると、ほんとうに胸がチクチクするのです。

でも、この往復書簡でマイクさんのどうしようもない不安や絶望のようなものに触れるにつけて、マイクさんのその思いに寄り添いたいと思うようになり、今となっては「死亡退院」の主人公敏秀を見ていたような抱きしめる思いさえ抱くようになりました。なぜかと言えば、敏秀やマイクさんが抱える不安や絶望のようなものは、ぼくが抱えているものと同じようなものであり、マイクさんとぼくは限られた命という同じ水脈を生きる者同士だというふうに思えるようになったからです。

それに、ぼくにはぼくを抱きしめる思いで見てくれている人たちがいます。そういう人たちに支えられて、ぼくはこれまで自由にいろんなことを、思い通りにやってこれたのだと思っています。この人たちの愛情や思いやりがなければ、ぼくはここまで生きてこれなかったかもしれないし、これからも生きていこうなどという気になっていなかったかもしれません。
同じ水脈を生きる者としては、マイクさんにマイクさんを抱きしめるような思いで見つめている人たちの眼差しを感じて欲しいし、愛情と思いやりを実感して欲しいと思っています。余計なことかもしれませんが、ほんとうにそう思っているのです。ここに至って、ぼくの文屋根性は儚くも消え去ってしまったのです。

ですからどうぞ本心でお付き合いください。
ぼくも本心でお付き合いさせていただきます。

マイクさん
最後の余計なひと言を、飲み込まないでください。どうぞすべてをぶつけてください。

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