Re:死に方の選択、生き方の選択

清水さんの 2019.4.13の「死に方の選択、生き方の選択」に マイクは感激し直ぐにコメント欄に返信しましたが 表に出るように投稿し直します

『夢のある人は あるいは人生に意義など考えもせずに生きていられる若さ溢れる人も 当然 死とは無縁でいいのですし 自死など考えることも無用で当たり前です
しかし現実には 自死しかできない悩める若者や もう死にたいが死ねない老人が多くいるのです

詰まり 死や自死は ALS患者だけの問題ではないのです
そのため 一般論として自死を捉えられると 例えALSであっても否定されるしかないのです

生き方は多様です
信念で最期を生きられたお父様の凄さには畏敬の念を感じます
死に方も多様なシチュエーションがあって然りなのですが 死に際に自己決定(西部邁の言う自裁死など)の余裕がある筈がありません

死に方はシンプルでいいのです
自然死ができる人はラッキーですし 不運な事故死は別として どんな病気でも いつでも 最後の最後に 安楽死さえできるならば 思い切りの闘病もチャレンジし易いし ずるい生き方かもしれませんが 逃病としてでも安心して選べるのではないでしょうか

尊厳死は確実に苦しみますし 自死がなくならないのは 自死する者の悩みの辛さを自分の事として考えられない非情な社会だからなのです

自然死と安楽死しか要らないのです

安楽死を支援する施設の必要を説いてきたマイクは 支援することが幇助罪になるならと思い 昨年から安楽自死と言い換えています
自分の意思でスイッチを入れるだけの駆け込み寺なのです
勿論誰でもと言う訳にはいきませんので 終末期老人に限定していたのですが 弱者にまで思考を巡らす資格がないと思って避けたのです
しかし悩める若者や 死にたい老人にも 赤ちゃんポストが社会的非難を受けながらも役目を果たしているように 駆け込み寺で いつでも死ねると分ったなら 多くの人は再起をすべく努力をし救われるのです

弱者にまで論ずる資格がないと思ってた去年と違って 自分が弱者になった今 自死を否定するだけの社会に反旗を振って言えるかも知れません』

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