僕の悩み

どんな思いでマイクさんは生前葬に臨んだのだろう ENJOY DEATH(2019.6.29)

マイクさん、僕はちょっと悩んでいます。

最近のことです。多発性硬化症の患者さんとその家族と知り合いました。この病気はALSのように確実に死に至るという病気ではありませんが、手足のしびれやめまいが現れては消え、そのうちにものが飲み込みにくくなったり、しゃべりにくくなったりするそうです。手の突っ張りや痙攣も現れる人もいると。治療により寛解するけど完治は難しく、稀ではあるけれど寝たきりになる人もいるそうです。知り合った患者Aさんは、その稀な例で、70歳で発症し8年をかけて再発・寛解を繰り返し、その度に緩やかに進行し、最近はベッドの上で過ごすことが多くなったようです。ご家族の言葉を借りると「ほぼ寝たきり」だそうです。もちろん日常生活に介護・介助は欠かせません。

会って欲しいと請われ出かけたのです。
「父の早く死にたいという思いを聞いて欲しい」と。覚えていますか、マイクさん。あなたもALSの診断がついた直後、口を開けば「生きていても意味がない」「死にたい」「安楽自死を」「尊厳自死を」をなどと口走り、家族や支援しようとする仲間をずいぶん困らせましたね。その本心を聞きに出かけたのがマイクさんと僕の出会いでした。そのことを思い出しながらAさんに会いに出かけたのです。

予想していましたが、デジャヴかと思いましたよ(笑) Aさんは、まるであの時のマイクさんのように「生きていても意味がない」「死にたい」と繰り返しました。ただマイクさんと違ったのは、まだ具体的な自死の仕方を考えていなかったことくらいです。「体の自由も効かなくなったので、自力で命を絶つこともできない。情けない」という言葉も、マイクさんのものでした。
その理由を問うと、
「もう死ぬのを待つだけ。介護してくれる家族のお荷物。迷惑をかけるだけ。治療の甲斐もないし、高い医療費だけがかかる。社会のお荷物、迷惑でもある。消えてなくなればすべて解決できるし。私も苦痛から解放される」
と自嘲気味な笑みを浮かべながら消え入りそうな声で答えてくれました。家族のひとりは言いました。
「家族は誰も迷惑だなんて思っていませんよ。だって家族じゃないですか。どんな姿になっても生きていて欲しいと思いますよ」
別の家族も言いました。
「迷惑だなんてとんでもない。誰ひとり介護を厭う家族なんていない。だけど本人が死にたい死にたいと口走るのには心が折れそうになるし、力が失せてしまいます」
ほらこれもマイクさんの時と同じだ(笑)

ということは、と思いました。難病患者の誰もがこういう思いを持って生きているのだと。この国のような医療先進国、社会福祉先進国と言われる社会に生きていても「介護してくれる家族のお荷物。迷惑をかけるだけ。治療の甲斐もないし、高い医療費だけがかかる。社会のお荷物、迷惑でもある。消えてなくなればすべて解決できるし。私も苦痛から解放される」などと思わざるを得ないだと。難病患者だけではなく高齢者もこんなふうに思っているのかもしれませんね。僕らがつくり続けてきた、積み上げてきた社会、制度、暮らしってこんなもんだったんだと。こんなに夢も希望もないものだったんだと。とても残念な気分になりました。同時にマイクさんや、同じように難病で命を落とした大勢の人に、僕ら第三者、つまり社会はなんて冷たかったんだろうと思いました。

今もし、マイクさんがAさんのこの言葉を聞いたらなんと答えるだろうと、ちょっと意地悪なことを考えてしまいました。そして今なら「安楽自死を」「尊厳自死を」と言い続けたマイクさんの本心をちゃんと探ることができるのではないかとも思いました。どうも僕はマイクさんと向き合っている時、第三者の目を、立場を忘れ、ほぼ当事者として喜怒哀楽の虜になり冷静さに欠けていたように思います。そこが今の僕の悩みです。

マイクさん
僕はマイクさん同様、Aさんとも付き合い続けたいと考えています。もちろん僕の悩みとも向き合いながら。そのことでマイクさんとの対話をもう少し続けていきたいとも思っています。

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