不滅の存在

生き続けるための工夫をしていた頃

マイクさん

僕は今真っ青な京都の冬空を見上げながらこの文章を書いています。この空を見ていると、あなたがそこここで笑っているような、不思議な気分になってきます。いえ、事実あなたはこの世界から消えてなくなったわけではないと強く感じることがしばしばあります。今日はそんな話をしたいと思います。

マイクさんとのこの往復書簡を切り口にはじめた南日本新聞の〈「生きる」宣言〉が、先月で36回目を数えました。3年です。あなたが旅立ってから16回も続いたことになりますし、僕はまだまだ続ける予定でいます(新聞社がどういうかはわかりませんが……)。
覚えていますか。マイクさんがALSだと診断された直後「死にたい」とこぼす度に、「ギリギリまで生きて社会と関わり続けましょう。生きた痕跡を刻み込みましょう」と僕が言い続けたことを。連載を続けてきて、あなたが社会と関わり続けてきた痕跡を、今強く感じています。

36回目には97歳の母親を看取った男性の話が登場します。彼は医者から食が細り衰弱した母親に胃ろうの造設を勧められました。そのとき彼は思い悩んだのです。97歳という高齢で簡単だとはいえ手術を受けさせるか否かの選択を。医者はこのまま食事が摂れないと、栄養剤の補給だけでは数週間で命の危機を迎えると断言したそうです。胃ろうの造設はまさに延命を意味したのです。

彼は〈「生きる」宣言〉の熱心な読者でした。彼はマイクさんが人工呼吸器を着けるか否かを家族と一緒に悩んだことを思い出します。大切なのは本人の意思だと。97歳の母親が自分自身の人生を、自身の生を命をどう思うか。そのことを大切にしようと決めたのです。彼は僕にこう言いました。
「〈「生きる」宣言〉や〈往復書簡〉を読んだことが私の支えになったように思います。マイクさんがご自身の苦悩をご家族と一緒に乗り越える姿は、死に向かってる生きることの大切さを教えてもらったように思います。母の最期を看取るため、あるいは私自身が自分の命と向き合うための指針になった、参考書といったら変だけど、そんな感じです」と。

マイクさん
ね。あなたの生き方死に方ひとつひとつが痕跡としてある人の人生に関わったのです。そんな人はたくさんいるんじゃないかと思います。そういう人たちが存在する限り、あたはこの世界に存在し続けるのです。そうしてそういう人たちがまた、あなたの生き方死に方ひとつひとつ、生きて死んだ痕跡を次の人たちに伝えていくのです。
僕は思います。あなたは死んで不滅の存在になったのだと。そうして、こうやって続けてきていることを、これからも淡々と続けていこうと。

2021年11月24日付 南日本新聞より

“不滅の存在” への2件の返信

  1. マイクさんの場合は、家族、仲間の力が大きく、共生(ともいき)が見事に実践された好例と思われます。家族、人間(じんかん)の絆・崩壊が指摘され始めている、
    今こそ‼️ 活き、活きと、生きる‼️支え合える家庭、仲間の構築こそが、生命の延長ではなく、活き活きと生きたいという、生活延長への活力源となるのかも?と感じさせられた一文でした。

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