自分の非力を忘れない

決断のOKマーク 2020年7月23日

マイクさん

7月に入りました。去年のことを思い出します。
去年の今時分、あなたは非常に厳しい状況にありました。肉体的にはもちろんですが、精神的により苦しかったのではないかと思います。
6月末から7月はじめにかけて、あなたとあなたのご家族は、改めて重大な決断をしました。自発呼吸ができなくなっても、呼吸器を着けないという決断です。大変厳しい決断だったと思います。ですが、主治医から最終確認をされた時、胸元でOKマークをつくって見せたあなたの表情の清々しさを、僕は決して忘れません。

ALSとの診断がついた頃からマイクさんを見続けてきましたが、僕がいちばん驚いたのはあなたがいつもとても冷静だったことです。ややもすれば他人事のように自己分析をして見せたり、ALSについて持論を語ったり、この人はほんとうに命の時間を限られた人なんだろうか。もし僕自身が同じ境遇に置かれたらどうなるだろうかなどと、ずいぶんいろんなことを考えさせてもらいました。そんなことをあなたに話すと「研究者、科学者ですから」と軽く笑われたことを覚えています。

その果てのあの決断です。
あなたの支援者を自認する人たちの中からは、当然のことですが、呼吸器を着けてでも
生き続けてほしいという声が上がりました。僕も、1日でも長く生きてほしいとは思いましたが、それはすべてマイクさんとご家族が十分話し合った上で決めることだとも思っていました。
主治医を中心にして病院も何度となく意志の確認をしました。おそらくギリギリまで心の揺れも含めて考える時間、心の変化に対応する余地を残したのだろうと思います。すべてがマイクさんの決断を最優先するという配慮のあらわれでした。それでもあなたの決心、決断が揺らぐことはありませんでした。

マイクさんの決断に対してある人は「生きることの放棄だ」と言いました。「呼吸器を着ければまだまだ生きられるのに」と。それはあなたが自死を選んだとも思わせるような主張でした。しかし、僕は思います。マイクさん、あなたが選んだのは「尊厳ある生と死」だと。
折しも、京都でALS患者嘱託殺人事件が明るみに出た時期でした。メディアでの論調の多くが、ALSのような難病患者が生きたくても生きられない社会のあり方を指摘するものでした。「こんなことなら死んだほうがましだと思わせる社会が問題だ」と。確かにそうかもしれません。生きたいと思う人が、徹底的に生きられる社会・制度は必ず実現されなければならないと思います。

しかし、この問題とマイクさんの選択は明らかに違う問題なのです。あなたは決して生きることを放棄したのでもないし、諦めたのでもありません。あなたの選択は、その肉体に自然な死が訪れるまで徹底的に生きるというものでした。死は誰にでも100%訪れます。それが早いか、遅いか。人生十分か不十分か。それは自分でようく考えなければならない問題だと思います。あなたの、そうして僕の人生に対する評価は、自分自身のものなのです。決して社会の問題ではないのです。ましてや支援を申し出た人に応えるという問題でもありません。自分自身のものなのです。マイクさんの決断はそこを十分考えた上での決断でした。

もし僕に言えることがあるとすれば、あなたの決断をただ黙って見守ることしかできなかった自分の非力を決して忘れはしないということです。僕があなたが亡くなってからもずっと、この「往復書簡」書き続けているのは、そばにいることくらいしかできなかった自分の非力さを穴埋めするためなのかもしれません。
夏の盛りがやってきます。あなたの病室で黙って向き合ったあの暑い日々を思い出します。

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