ほんとうの敵

まだ外出が可能だった頃。その視線は何をとらえていたのだろう。

マイクさん

いま〈この世〉はエライことになっています。

なにか?って、新型コロナウイルスですよ。なんだかわけのわからない状況になっています(わかってないのは僕だけかもしれませんが)。

去年の今頃は、かかっても風邪程度だとか、若い人は重症化しないとか、死ぬ人は稀だとか言われていましたが、騒ぎ出して1年以上経ったいま、変異株などというものも現れてずいぶん様変わりしてしまいました。数日前の数字ですが、国内の累計感染者数は763,971人、死者数13,659人と、とんでもないことになってきています。しかも若い人も感染するし、重症化し死に至る例も少なくありません。季節性のインフルエンザの死者は3,000~5,000人(2018年シーズンで3,325人)ですから、いかに深刻かと。で、ワクチンなるものが救世主のように現れて、それでまた混乱に拍車がかかるのです。

得体の知れないものに対する、あるいはそこに見え隠れする〈死〉というものに対する恐怖に揺れ動く人々の風景を目の当たりにして、あなたの強さをあらためて感じています。ワクチンを打てば安心と煽る政治と我先にワクチンを打ちたいと焦る無辜(むこ)の人々。僕もその1人に違いありません。6月9日と23日にワクチンを打ちます。

そんなに死ぬことが恐怖なのかと自問すると、僕自身はそうでもないなと思います。かの養老孟司さんもおっしゃいました。永眠というけれど、まさに眠っている状態だと。生きている我々も眠っている間は何もわからない。そんな状態が続いて目が覚めないだけだと。

僕もそんな経験をしました。全身麻酔です。5時間も6時間も眠っていましたが、苦痛も何も感じませんでした。夢もみませんでした。まったく〈無〉の時間を過ごしたのです。〈死〉とはそんな状態なのだと思うと、それ自体はそんなに恐いもんじゃないなと。

じゃあ〈死〉の恐怖って何かと考えると、多分〈この世〉との関わりが絶たれるということなんでしょうねえ。好きだった人、家族とも会えなくなるし、酒も飲めないし、美味いものも食べられなくなる。この世の享楽を一切味わえなくなる。そんなことじゃないでしょうか。昔、西行法師がこんなことを言ったと吉田兼好が書き残しています。

某とかやいひし世捨人の「この世に絆(ほだ)し持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。(「徒然草」第20段)

世捨人って西行のことです。「絆し」ってしがらみとか執着になるでしょうか。そんなものないから美しい空の名残だけが惜しいだなんて。執着の塊のような僕には到底口にできない言葉です。その執着の基本にあるのは何かと考えると、人と関わり、人の中で何かを楽しむ、そこから何かを生み出す、そうして何かを味わい幸せや満足を感じるってことなのでしょうねえ。それをコロナが邪魔しようとしているのなら、邪魔を排除するためにもワクチンを打ちますよ、僕は。「〈生きるため〉より〈享楽〉のためにか俺は」と自嘲してハッと思いました。

マイクさん

あなたは最後の4カ月を、ほぼ病棟での隔離状態で過ごしました。それまで楽しみにしていた週末の自宅外泊もできず、家族の面会すら病院に拒絶されました。誰にも会えずに、残された短い時間を数えていたのですね。「最後まで人との関わり、社会とのつながりをあきらめないで」と僕はあなたに言い続けました。だけどいま振り返るとその言葉がいかに虚しいものだったか、あなたがいちばんよく知っていたんだろうなと。そう思うと胸がとても苦しくなります。会いたい人に会えない中で、伝えたいことを伝えられない中で、刻一刻と身体が衰え死が迫ってくる。それでもあなたは、真正面から〈死〉を受け止めようとしていたし、自ら獲得しようとさえしていたように思えてなりません。呼吸器を着けない選択もそうでしたが、ほんとうに強い人でした。だからこそ、あなたの辛さ、無念さを思うと、たまらない気持ちになります。人と会いたかっただろうな。話したかったでしょうね。

ほんとうの敵は、ALSでもなく新型コロナウイルスでもなく孤独だったのでしょうね。「あなたを決して孤独にはしない」とこの往復書簡で言い続けてきた僕の責任はとても大きいと、いまふり返って強く思います。

マイクさん

「ALSの進行に関わる遺伝子を特定 東北大チーム」というニュースが流れました。ALS治療の標的になり得る遺伝子が特定でき、研究を重ねて行けば治療につながる発見だと。医療の現実としては、あなたの命を救うことはできませんでした。しかしその間も、いまこの時も、研究者や医療者はずっと努力し続けているのです。あなたの症例も将来のALS治療に必ず生かされるはずだと、僕は思います。そういう意味でもマイクさんは、記憶の中だけではなく命を守る医療の現場でも生き続けるのです。

もちろん僕はこうやっていろんなことを考えさせてもらっています。そしてあなたの冷静さと強さを受け継いで生きていきたいと思っています。僕の中でもマイクさんは生き続けていくのです。

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