命をかけたOKサイン

マイクさん

久しぶりに会ったマイクさんは、ずいぶん苦しそうでした。前に会ったのは3月の末でした。その時はまだ自分の足で立ち、歩き、文字を書き、声も発することができていました。

でも、昨日目の前にいたマイクさんは、喉元に穴を開け空気を送り込むチューブをつけ、天井を見つめていました。話しかけるとちゃんと答えてくれましたが、もう声はありませんでした。文字盤を使って会話をしようとしましたが、その文字盤を押すことすら難しくなっていました。

前にあった時から3カ月しかたっていないのに……。僕はALSという病気の恐ろしさを思い知りました。僕が今まで出会ってきたALSの患者さんのほとんどが、すでに人工呼吸器を着けていました。この病気の進行を目の当たりにしたのは、マイクさんがほぼ初めてでした。ALSの恐ろしさをマイクさんに教えられたのです。

主治医の先生の話では、呼吸器を着けなければ後数日の命だと知らされました。僕はただマイクさんを見つめるだけで、何もできないまま病室で時間を過ごしました。なんとかマイクさんと時間を共有したいと思いましたが、マイクさんの辛さ、苦しさを思うと、そんなことわかるはずもないのに、ただただ辛く苦しいだけで、喉の奥に熱い塊が詰まってどうしようもありませんでした。

7月22日、午後2時半を少し回った頃でした。
主治医、担当医、看護師長が病室に来ました。奥さんと娘さん、そうして僕が見守る中で最後の確認がされました。

「藤井さん、最終の確認です。呼吸器を着けますか?」

主治医がゆっくりたずねました。
マイクさんは首を横に振りました。主治医は説明を続けました。一旦着ければ2度と外せないこと、呼吸はできるが身体の状況はさらに症状が進行し、苦痛や辛さは続いて行くこと……。奥さんと娘さんはその状況を黙って見守っています。

すでにマイクさんは何度も呼吸器を着けないと意思表示してきました。それどころか「安楽自死」という言葉まで使い、病苦からの解放と尊厳を求めて死ぬ権利を認めて欲しいと訴え続けてきました。
首を横に振ったマイクさんに主治医が重ねてたずねました。

「呼吸器を着けないのですね」

マイクさんはギュッと強くしっかり瞬きしました。それは「イエス」のサインでした。それだけではなく、あれほど動かし辛そうにしていた左手を胸の上に持っていき、親指と人差し指でOKマークをつくりました。

それを見て主治医が奥さんと娘さんを見ました。2人は静かにうなずきました。その時僕はマイクさんが微笑んだように見えました。すべてが決まった瞬間でした。
「わかりました」主治医が言いました。「できるだけ苦しむことがないように……」

〈命をかけたのOKサイン〉

僕はマイクさんのOKサインをそう名付けて頭の中に焼き付けました。
でも、正直な話をすると、少しのさみしさを感じてもいました。そうして必死に考えました。

マイクさん

マイクさんの命はマイクさんの命です。でも、マイクさん1人のものではないとも思います。家族の命でもあるし、そのほか大勢の、みんなの命でもあるのです。
だけど苦しんできたのは、苦しんでいるのはマイクさんなのです。そのマイクさんが決めたことです。僕はそれを受け入れることにします。

その上で考えていました。もし自分ならどうしているだろう、と。答えなど出るはずはありませんが、必死で考えていましたし、今も考えています。

呼吸器を着けたらきっと楽になるし、まだまだ面白い世界があるんじゃないか……。そんなことを言ったら叱られるかもしれませんね。1人だけの命じゃないと言っても、その苦しみはマイクさんだけのものなのですから。そのことを打ち消す言葉を僕は持ち合わせていません。今はそれが残念で仕方ありません。

マイクさん

僕は今日もマイクさんの病室を訪ねます。見つめて時間を過ごすことしかできませんが、そうすることでマイクさんに寄り添い続けたいと思います。

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