苦しむ姿は、生きようとする姿なのです


マイクさん

〈しかし酸素吸入のまま寝転んで朝食を注入した後は元のようにゼーゼー音に戻る。また塞ぎ込んでしまう。これでは生き続ける意味があるとは考えられないと思うばかり〉

苦しそうですね。しんどそうですね。辛そうですね。ほんとうにそう思います。でもね、口ではそう言ってても、そう、その苦しさがさもわかるようなことを言うことはできても、ほんとうにその苦しさを分かち合うことなどできないのです。できることなら共有したいと思います。そうして苦しさ、辛さ、しんどさが半分になればいいなと思いますが、多分そんなことは不可能なんだろうなと思います。
繰り返しになりますが、「わかりますよ」と言ったところで、慰めにもならないし、マイクさんの辛さや苦しみが和らぐわけではないとも思います。僕にできることは、僕だけじゃない、他の誰かにできることは、その辛さ苦しさに寄り添うことだけだと思います。


〈本人の問題は本人が解決すればいいのですがもう力がありません〉

僕は、ちょっと前の返信の中で、「辛さに立ち向かうべきは、苦しさに立ち向かうべきは自分自身」だと書きました。僕は思います。今、マイクさんが抱えている問題、僕が抱えている問題、つまり生きる意味とは何か、生きる意味があるのかなどという問題は、決して解決できる問題ではないと。
死ぬことですべてが解決するとは思えません。これらの問題には向き合い続けるしかないのです。とことん徹底的に向き合い続ける。できるのはそれだけだと思います。

〈苦しむ姿を家族に見せたくなくとも、何もできない。本人よりもっと辛いと思います〉

苦しむ姿は生きようとするからこその姿じゃないでしょうか。それがわかるからこそ、僕は父が苦しむ姿をちゃんと見続けることができました。父は苦しみながら生きようとしていたのです。そういう父を見て、誇りに感じることはあっても、辛くて目を背けるなどということは一切ありませんでした。マイクさんのご家族だって、生きようとしてもがき苦しむマイクさんの姿は見ることができても、辛いから、生きている意味がないから、死んでしまいたいと口走るマイクさんを見ることは、はるかに辛いのじゃないでしょうか。

苦しむ姿は、生きようとする姿なのです。

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