清水さんからの昨日の便りは 死に掛けマイクにまたもグサリときました
一つは清水さんご自身の大腸癌術後2年半検査とポリープの切除の大仕事についてのこと
もう一つは そんなお身体でマイクの自死願望振り返し徹底的に厳しく批判いただいていること
最後にある
「死にたいのなら、まず生きることからじゃないでしょうか。徹底的に生きないと、ちゃんと死ねない。「死にたい」がただの泣き言に聞こえる。僕はそう思います。」
確かにマイクの泣き言
確かにボヤキのマイクそのものでしかない恥さらしなのです
先程立命館の立岩さんとのコンタクトを進めたく 尊厳死法案反対の方だからこそ 生きろと言われるからには 死に方にも安堵できる死の妙案がある筈で 触りでも急ぎ知りたいと 研究室のdr.Yに催促したら 次のように返事があった
研究室は死にたくなる病や社会を捉えるが 死に方を考え出そうとはしていない
そういう方が如何生きるか そう言う社会に生きられるにはを考えようとしているのですと
マイクは呼吸器拒否を目標に生きているのです
その為の死に方は論外だとキツイ返信がありました
それはそうなんでしょうね
でも一言ありました
辛さ現実を吐き出してくれるならトコトン付き合いますよとも
さっき主治医の回診で苦しんで生きる意味がないと言ったら モルヒネを使った薬を投与すると言っていただいた
どんな意味があるのか呼吸が苦しく問い返せなかった
文字盤挿すのもシンドイのです