5/21の清水さんのお言葉「死にたいなんて言わせない」は 相当ショックでしたことの原因は そして連発で死にたいを告白してしまった原因は 実はもう一つ前の清水さんの発信にもショックを受けたことにあります
その返信はその日に準備できていたのですが 読み返すと自分の浅はかさが気になり 返信せずに死にたい連発に走ってしまいました
尚更浅はかを上塗りです
今日はそれを塗り重ねる馬鹿なマイクです
5/19の返信を今日ここに
「生きようとする限り」と 清水さんから5/19に頂いた言葉は 手術医が言う「79歳で生きようとする限り」 と ダブっているように思いました
彼がそう言うのは 簡単には治らぬ 辛い目も仕方がない それなりのこと(代償)があって然りだと言うのでしょう(医者として直接ではないが代償を求める)
合理性を当たり前とするアメリカ経験者です
なる程
主治医も立石さんも清水さんも日本人的と言っていいのでしょうか
マイクは?
清水さんからの5/17には 「生き様を見せて欲しい」と頂きました
苦しくとも 細やかでもいいので QOLを見付けて生きる意味と生き様をと
それも死際まで見届けよと・・・
生き様死に様が大往生か 生き地獄かによって 自分で見るのも 見て貰うのも躊躇するかも知れません
苦しまない尊厳死が可能と言う訳ではありません
準スーパーマイクにとっては 呼吸筋力が次第に落ちて苦しくなり 延命措置として呼吸器装着するのを拒否する時です
呼吸がいつから苦しくなってどれほど続くのか
しかも準スーパーで既に生き地獄なのですから尊厳死前は生き地獄ダブルなのです
これでは知人友人までに生き様を見て欲しいとは思えない予感がします
家族には最期を 感謝の言葉と笑顔で看取って貰おうと信念と頑張りを通すつもりです
逃げられない繋がりで何事も一緒でしたが こんなことになり苦労させたのです
最近同じような事ばかり書いています
精神的に気力が相当落ちていますが それより身体が動きません
こうしてタブレットを触るのも相当時間も掛かるししんどいのです
文章になってないのも次第に多くなっています
言いたい事 推察して頂きたく お願いします
追記 5/18に気切の手術をしました
その時の手術の辛さより その結果が思ったようではなく辛さが声を失ってでも楽にになると言う期待した結果でなかった
それから一週間の昨日5/25 何の目的か知る良しもなく手術医がベッドの上で力尽くに引き抜き交換した
期待通りでない悲しさと痛さで涙が一杯になる
その後主治医の回診で 一週間で慣れるどころか痰が増え苦しくなるばかりと訴え 死にたいくらいと訴えました
痰切れをよくする薬を増やすので一週間待ちなさいと指示があった
また涙が流れる
準スーパーがこのまま続くのなら生きる意味を見つけられるのでしょうか
勿論自分のために生きたり死んだりを考えてのことではありません
家族・・・・・