死にたいなんて言わせない

マイクさん

怒涛の書き込みですね。なかなか追いつけずに申し訳ありません。

僕はここ数日激しい腰痛で、身動き取れない状況にあります。起きて椅子に座ることも辛いので、床に寝そべりながらパソコンやタブレットで仕事の真似事のようなことをしています。カッコだけです。仕事してるフリをしているだけです。

〈分かって欲しいのです〉

マイクさん、辛そうですね。苦しそうですね。でもね、その辛さ、苦しみは、マイクさんのものなのですよ。マイクさんが辛くて、苦しいのです。僕は決して「わかりますよ、その辛さ、その苦しみ」とは言えません。それは僕の辛さ、苦しみではないから、わかろうとすることはできますが。わかりはしないのです。「わかりますよ」と言ったところで、慰めにもならないし、マイクさんの辛さや苦しみが和らぐわけではないとも思います。僕にできることは、僕だけじゃない、他の誰かにできることは、その辛さ苦しさに寄り添うことだけだと思います。

僕だって、多分マイクさんほどではないにしても辛いこと、苦しいことはあります。人に言えないこともあります。でも、わかってほしいとも思いません。わかってくれる人はいるでしょうし、手を差し伸べてくれる人だっているはずです。でも、わかってほしいとは思いません。辛さに立ち向かうべきは、苦しさに立ち向かうべきは自分自身ですから。僕は自分の辛さ、苦しみに、自分で向き合おうと決めています。支えてくれる人は、応援してくれる人は、実際に力を貸してくれる人は大勢います。決して孤独ではありません。でも立ち向かうのは僕自身なのです。

〈言いたいことはいっぱいあるが文字盤では控えてしまう〉

でもねマイクさん、どんなにもどかしくても、面倒臭くても、結果として通じなくてイラついたとしても、何がどうあるのか、何をどうしたいのか、どうしてほしいのか、ちゃんと伝えないとはじまらないと思います。あきらめないでください。思っていることのすべてを伝えてください。

〈そんなの要らない「早く逝きたい」と……〉

それから、マイクさんに寄り添いたいと思っている人は、ご家族や親戚の方をはじめ大勢おられるのではないでしょうか。だとすると、この「早く逝きたい」というひと言はその人たちにとって、ほんとうに辛い、苦しいひと言になるのではないでしょうか。マイクさんはそんなつもりはないにしても、その人たちはマイクさんにそんなふうに思わせるのは、自分の無力、非力が原因だと思ってしまうのではないでしょうか。せめてマイクさんのことを親身になって考えている、思っている人たちが悲しむようなことだけは言わないでほしいというのが、僕の思いです。

家族の縁の薄い僕ならひとりで死ぬことはあるかもしれません。でもマイクさんはちゃんと家族がおられるじゃないですか。今は帰れないかもしれませんが、ちゃんと帰るべき自宅も、迎えてくれる家族もいるじゃないですか。そう思うだけで、辛さや苦しみは少々楽になるのじゃないでしょうか。

立ち向かうのは自分自身です。それは孤独な闘いかもしれません。しかし寄り添うべき人たちは必ずいる。そういう人たちのために生きるという選択肢もあるんじゃないかな、と思います。

昔、トシヒデに言ったことがあります。

「お前は確かに筋ジスという不治の病に侵されて気の毒だし、同情はするけど、決して悲劇の主人公じゃない。逆に大勢の人に支えられて幸せだ。その幸せを噛み締めて、じっくり味わうまで、死にたいなんて言わせない」と。

彼は最後に「ありがとう」というひと言を残して旅立ちました。

それを聞いた時、筋ジスという病を得たことは不幸だったけど、彼の人生は幸せだったに違いないと思いました。僕もそういうふうに生きたいと、今、強く思います。

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