マイクさん
「気管切開手術、無事終わりました」
雅子さんから、写真が添えられて知らせが届きました。お疲れ様でした。いろんな人を見てきましたが、慣れると呼吸が楽になるようですよ。ある知人は、口で息をしなくてもいいと笑っていたことを思い出します。
症状が進行して、苦しいことが多くなる。でも、たとえ対処療法にしても、病自体の治療にはならないとしても、日常の状態は楽になったりする。それがQOLになる。そういう理解でもいいんじゃないでしょうか。
それでも、決定的なことは残ります。それは、当事者は、苦しいのは、患者本人だということです。マイクさん自身ですね。僕らはそれを想像したり、思いやったりすることはできますが、決して交代することはできません。できることなら代わってあげたいと思っているご家族や、ご親族もおられると思います。でも、どんなに愛情を持っていても、親身になっていても、それだけは不可能なのです。
母は、自分ががんであることを告白した僕に言いました。「うちはもうこの歳まで十分に生きてきたしなあ、代われるもんやったら代わってあげたいわ」と。もとより僕は母に代わってもらおうなどとは思っていませんでしたが、逆にそういうふうに
思ってくれる母のためにも、僕自身はしっかり生きていかないとダメだと思いました。母のためも、僕のことを心配し、思いやってくれる人のためにも、1日も長くしっかり生きようと。
マイクさん
考えてみれば、これで胃瘻造設、気管切開というチェックポイントを過ぎて〈今日〉に到達したわけです。現世での最後のチェックポイントは〈死の瞬間〉ということになるのでしょう。これは誰1人として逃れられない瞬間です。前回の繰り返しになりますが、だったらその瞬間まで〈明日〉を自分の目で確認しましょうよ。生きましょうよ。
僕は、マイクさんが生きる姿勢を持ち続ける限り、全力でマイクさんを応援します。