人は誰も、ぶれて歩く、揺れて歩く

マイクさん

こんばんは。緊迫してきた状況が伝わってきます。僕の中でさえ不安がひろがります。マイクさんの不安はどれほど大きいだろうと思うと、とても苦しくなります。

〈口の中の鬱陶しさと、窒息しそうになる危険
今後の治療でも解決するようには思えません〉

僕は、誤えん・誤えん性肺炎を防ぐための気管切開だと聞かされていたので、この件に引っかかりました。気管切開をして気管カニューレを挿入しておけば、痰はとれやすくなるし、呼吸もしやすくなり、完全にではないけれども誤嚥もほとんど防げると聞いています。もっと言うと、その後の人工呼吸器の装着がとても簡単になると。

〈マイクの要望は、早く、薬を使ってでも苦しまなく、です〉

誤えん自体がすごく苦しいし、窒息の危険もありますものね。これは回避しないと。そのための気管切開ですね。それで楽に、しかも安全になるんじゃないでしょうか。で、自発呼吸はまだまだできるわけですから、できなくなりそうだという時に至って、呼吸器を着けるか否かを決めたらいいんじゃないでしょうか。そのための判断材料をしっかり収集しておくということですね。

〈苦しむ時間を少なく、家族の介護を少なく、経済負担も。尊厳死の前に、家に戻り、或いは家で死ぬ方法はないか〉

前段はその通りだと思います。でもこれが〈尊厳死=緩やかな自死〉で実現されるとしたら、後段はありえないんじゃないかなと思います。だって、これは1年以上前に随分話したことですけど、呼吸器を着けないマイクさんを、自宅で見守るというのはとても難しいんじゃないかと思います。公的な介護、訪問看護、ボランティア、家族による24時間の見守りが、きっと欠かせなくなるでしょう。しかもマイクさんは、1日も早く死にたいと言う。家族の献身はなんのためか……、と僕は思ってしまいます。後段が実現されると、前段が成り立たない。

マイクさん

僕は思います。気管切開をすると決めた。今はそこまででいいんじゃないかと。呼吸器を着ける着けないは、ギリギリまで考えたらいいんじゃないでしょうか。きちんと決めた道を進むというのは大切なことだと思います。でも時には既定の道を踏み外してもいいんじゃないかとも。

僕はね、先を見通すのがとても苦手な人間なんです。人からはよく「見通しが甘い」って言われます。でも見通しってなんでしょう。僕はそっちの方がいい加減だと思っています。あらかじめ決めていたことがあっても、もっといい選択肢があれば躊躇なく既定方針を変える。それでいいと思っています。その新しい決断が前へ進む力を大きく強くするのだと。

ただし大切なことがあります。それはふり返った時に自分の足跡がちゃんと見えるということです。真っ直ぐでなくてもいい。右往左往あっちにふらふら、こっちにふらふら、時にはぐるぐる回ったり、大きくぶれたり、揺れたり……。それでもちゃんと足跡が見えて、その揺れがなんのためだったか、なぜ既定の道を変えたのか、ちゃんと説明がつくことが大切だと思っているのです。

しかもそれは誰か他の人に説明するのではなく、自分自身が納得して前へ進むために。
ぶれたり揺れたりすることはダメでもなんでもない。ぶれたり揺れたりを否定することの方が、僕はダメだと思います。

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