4/19 生きているだけのADLでもそれがQOLに?

今日明日は外泊です
京都の病院では 自宅休養外泊が許されているのはコロナ絡みで少ないとか
見舞いも 家族までにも制限しているらしきに
鹿児島は緩いのでしょうか

大変な状況にあるコロナにはマイクは何もできません
ただ祈るだけしか
自分のALSに対しても パンデミックの世界の現実に対しても 何の因果かと神仏に無性に問い糾したくなります
自分のALSについては諦観あるのみ
コロナには祈りしかできません

自宅や病院にいても回復の望みも QOLの望みも見つけられず
去年の一年で最高のQOLを堪能し 今このALDでは何も望むべきもなし
唯々 あと残された命がどれだけか
分からぬまま横たわるのです
こんなマイクに気切が本当に必要とは思えません
でも体験トライの積りは変わりません

それよりも 気切の後の人工呼吸器までのマイクのADLがどれ程衰えているか
分からないままQOLを妄想するのは無駄かも?
それ以上に 妄想する気力体力が既にありません

昨日本が郵送されてきました
ずっしり重く ページをめくるのも難しいのですが 病院に持ち帰りましたのでゆっくり時間を掛けて読みます

今日は息子の運転で家内と孫娘と大原へ
偶々駐車場で隣にダンス仲間がいて 彼の近所でNHK番組に一緒に出たこともある古民家に住むべ二シアさんの家を教えて貰いました
こんな田舎で悠長に 深い暮らしを楽しんでられる雰囲気を感じてきました
まだまだ生きていれば 何かがあるかもと思っている それくらいのQOLでいいのです
まだまだ生きているだけの

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