
マイクさん
3月25日に鹿児島MBC「ど~んと鹿児島」〈ENJOY DEATH 往復書簡が綴る生と死〉を見て、ドキッとしました。
往復書簡をはじめた1年前、あるいは〈生前葬「ENJOY DEATH」〉の去年6月29日、胃瘻造設の直後に病院に訪ねた時、年末にラジオのスタッフとお邪魔した時、そうして先だって禁を破って病院に押しかけた時と、1年を通してマイクさんの病状進行を目の当たりにしてきました。球麻痺、構音障害、嚥下障害、そうして文字を入力する右手の衰え、体幹、下半身の衰え……。改めてALSという病気の恐ろしさ残酷さを感じましたが、この45分の番組はそのプロセスをはっきり捉えていると思えたからです。
これはある意味、マイクさんが常々言っている「ALSという病気の真実を伝えることで、社会と関わる」姿そのものだと思いました。発信し続けることにはふたつの方法があると思います。自ら伝えることと、人を介して伝えることです。ALSに限らず難病患者はその障害によって自らの動きを制限されます。伝えたくても伝えられない状況に必ず行く手を阻まれます。自ら伝えられる時期は自ら伝える。伝えられなくなったら、人の手を借りてでも伝える。それでいいんだと思いました。MBCはそれをきちっとやってくれました。
「ALSという病気の真実を伝えることで、社会と関わる」。そのことをスーパーになってからの存在意義、生き甲斐にするというマイクさんです。これから先人の手を借りずして、それは不可能だと思います。じゃあ、どうやって手を借りて、どうやって伝えてもらうか。
ぼくはそれを可能にするのは共感の輪だと思います。マイクさん自身の生きたいという思い、伝えたいという思い、どんな状況になっても社会と関わり続けたいという思いに、ひとりでもふたりでも共感する人がいると、その人が思いを伝えてくれる、共有してくれる。きっとそんなことなんだろうなあと。新聞やテレビ、ラジオのメディアだけではありません。
マヤさんがインタビューに答えて言いました。「家族じゃないから」と。ぼくはそこにマヤさんの口惜しさと苦悩を読み取りました。もちろんぼくもマイクさん本人とご家族の思いがいちばん大切だと思っていますし、それを軸に動いていくべきだとも思っています。でも、明らかにマヤさんを中心とした仲間たちはマイクさんの共感者だし、マイクさんを支え、共に生きようとさえしていると思います。そういう人たちもたくさんいるということです。マヤさんが「マイクさん本人とご家族の思いが大切」というなら、逆にマイクさん(ご家族も含めて)もマヤさんたちの思いを大切にするべきじゃないかとも思います。彼らはマイクさんの暮らし、命を支えながら、共感の話を社会に広げようとしているのです。それがもっと強力に支える力になるから。
マイクさん流に命を価値に置き換えた冗談みたいな話をしますが、マイクさんには難病患者としての社会的保障や医療費などを考えるとかなりの税金が投入されています。これはマイクさんが私人であると同時に、社会によって生かされているということなのです。投入された税金に見合うだけの役割をこれから果たす義務もあるのじゃないかと。ご家族も含めてマイクさんがこれからどのような生き方をするかは、社会から注目されているということを忘れないで欲しいと思います。この国の制度の中で生きている人にすべて共通する話ですけど。
冗談はさておき、マイクさんがこのところ頻りに問題にするコミュニケーションの不調も、きっと寄り添ってくれる誰かが側にいることでしか解決できないと思います。
ひとりで生きるって、とてもさみしいし難しいと思います。人はひとりでは生きていけない。誰かに支えられて、誰かを支えて生きていく。