
マイクさん
ぼくはちょっと甘かったようです。ええ、放射線治療の副作用のことです。8週間に及ぶ放射線治療は、無事というか問題なくというか、とりあえず終了しました。その間、頻尿、排尿困難、残尿の末の尿もれという副作用があることはすでにお話ししました。でもそれも治療終了とともに収まるだろうなと思っていたのですが、違いました。
「副作用というか、後遺症は終わってしばらくしてから出てくると思いますよ」
医師の言葉通り、放射線火傷一歩手前の皮膚炎みたいなもの、排尿困難だけに止まらない排便困難がひどくなった気がします。ぼくは直腸の縫合部と前立腺がほぼ癒着していたので、縫合部へも放射線があたっていたことは想像に難くありません。そこに何らかの影響がないとは言い切れないと。だからくれぐれも注意を払うようにと医者からは言われています。しかし、注意しろと言われても、いったい何をどうしていいのやら……。
しかも、放射線治療でがんが根治できたのかどうかも不安です。当面PSA値は下がっとしても、がん細胞がわずかでも残っていたら、それがまたいつか芽吹かないとも限らない。それについては経過観察しかないというのです。
まあ、がんと一緒に、がんと向き合ってゆっくり生きていくしか術はないようです。
マイクさん、ぼくもこの1年を振り返ってみました。
マイクさんと会ったのは最初の手術から1年3カ月後でした。その前の術後1年の検査で肝臓に白い影が見つかり、鹿児島に戻り次第精密検査を受けることになっていました。結局それは血管腫で悪いものではありませんでした。マイクさんとの往復書簡をはじめる頃にはひとつ不安を乗り越えたぼくでした。ところが術後1年半の検査で、今度は前立腺に影が。しかも腫瘍マーカーのPSAは明らかに異常を示す数値でした。
「何でだ!? 抗がん剤治療にも耐えたのに……」
そういうぼくに医者はあっさり言いました。
「前立腺がんには関係ないですからね、お使いになってた抗がん剤は」と。
生検の結果は真っ黒。ステージ2の前立腺がんでした。で、外科的な手術ではなく放射線治療に。
それからの経過はご存知の通りです。で、今日があります。
この1年、ぼくが何を感じていたかというと、それは自身の加齢はどうしようもない事実だなということです。まだまだ若いつもりでいたのですが、正真正銘のじいさんになったなということでした。目も悪くなり、反射的な身体の反応も鈍くなりました。うまく言葉が出なくてイライラしたり、つい昨日のことが思い出せなかったり……。できないことがどんどん増えていくなって感じです。
でもね、これがいまのぼくなんだと思えばそれでいいことだとも思えるようになりました。
若い人と張り合って、いつまでも先頭を行こうとするのではなく、そう、いつまでも競争の中に身を置くのではなく、もうちょっとゆっくりしようかと。いろんなこともっと楽しもうと。仕事だって、この歳になったからこそできる仕事があると思います。そういう分野でいままで蓄積してきた力を発揮したらいいんだって。そんなことを感じるようになりました。
4月に新しい本が出ます。若い人たちに担がれて、新しい試みの末上梓できることになりました。それを機に、まったく新しい試みをしてみようと思います。まだまだ枯れる気はありません。自分なりの新しい世界を、大勢の人の力を借りながら切り開いてみようと思っています。マイクさん、これからですよ。どんな状態になっても前を目指しましょう!