愛は生きる姿なのです

参加者全員の合作としてのマイクさんの生前葬ENJOY DEATH

マイクさん

〈結局家内は強かった〉

笑っちゃあいけないとは思いますが、笑っちゃいました。
マヤさんも、ぼくも、その他大勢の人がいろんなことを言い、いろんなアイデアを出し、いろいろ議論を深めても、そこに帰結しちゃうんですね(笑)
でもそれ、マイクさんの奧さんに対する愛なんですよね。何にも増して愛が優先するという感じですね。じゃあ別の解決方法を考えないといけないかなって、ちょっと思っています。

〈ここまで皆さんにマイクのことを考えて貰える幸せを感じます〉

もちろんマイクさんのことを考えてはいるのですが、それはご家族と切り離してマイクさんのことというわけではありません。ご家族と一体となった生活をするマイクさんのことです。だから、何をどう考えても、工夫しても〈結局家内は強かった〉という結論になるとしたら、さて、どうしたものかと思案にくれてしまいますね。

甲谷さんや、先行するスーパーALSの人たちの事例に学んだとしても、それはそれぞれ個別の状況にあるわけですから、そのまま取り入れるられないのは言うまでもありません。ならどうするか……。ENJOY DEATHグループでやっている議論の中に、ご家族、特に奥さんですね、を巻き込めるといいなあと思うのですが、なかなか難しそうだなと思います。ならどうするか……。

なるようにしかならない。できるようにしかできない。ということになってしまうのでしょうねえ。だったら「なる」「できる」範囲をできるだけひろげることを考え、そのために動くことが必要なんでしょうが、そこでやはり〈結局家内は強かった〉となると、もうお手上げって感じですね。このことを無限ループのように繰り返すと、

〈マイクが、また家族が、介護地獄や転院地獄の現実が訪れる事を知りだすと自暴自棄自死願望が湧いて起こったのです〉

という診断確定直後のマイクさんに戻ってしまうのじゃないかと心配です。そんなことにならないようにとマヤさんや大勢のお仲間が「ENJOY DEATH」の企画を立ち上げたり、具体的な支援としての行動ができるように研修を受けたり、資格を取ったりし、ぼくはぼくで精神的なサポートができないかと「往復書簡」をはじめたりしたわけです。で、マイクさんがスーパーALSへの入り口に立とうとしているまさに今、さらに具体的な支援ができないか、できるとしたら「マイクの家構想」はどうかという話になっている現状ですね。でも……。ならどうするか……。

〈スーパーALSを体験できる事を喜びと思う様にすることにしています〉

ぼくは〈体験できる事を喜び〉に思うんじゃなくて、それでも生きている、生き続けられるということを喜びと思って欲しいと考えています。可能な限り生き続けて、その姿でぼくたちに生きるってどういうことかを教えて欲しいと思っています。

愛の力が、マイクさんをよりよく生きることに向かわせてくれるよう祈っています。愛することは生きることだと思うから。マイクさん、愛しましょう。そして生きましょう。愛は生きる姿なのです。

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