ALSをまだ頑張る程でもない/これからです

一昨日は告知から1年間 経ったことを祝って家族からケーキで祝って貰いました
ケーキには黄色のハート型チョコレートに 真っ赤な大きな字の「ALSと スーパー(目指して)頑張れ 」と書いてある
治らない病気に お祝いとはこれ如何に?
あの頃の危機一髪を思い出すと恥ずかしい限りどころか よく生きてこられたものだとの思いと 多くの方の後押しに 改めて感謝を込める機会となりました

また一昨日は鹿児島MBCが 我が家でマイクの胃瘻の食事を取材され またKDEの稽古の様子も そして昨日は入院のベッドの上でのブログ打ち込みの様子も
取材には一生懸命喋りましたが半分は通じてなく 多分テロップ作りに苦労されることでしょう

今日は祝日で殆どベッドに横たわりテレビとラジオで時間を過ごしました
テレビは新型コロナばかりですが 2003年湖東記念病院の人工呼吸器外し殺人の再審も気になる

自供書は04年7月ごろ作成したもの。西山さんが「仕事に不満を募らせ『もうどうにでもなれ』という思いで被害者に布をかぶせた」「この際、何かが外れる感覚があり、直後に人工呼吸器のアラーム音が鳴ったが放置した

人工呼吸器をつけると本人も誰も絶対外せないと言われていています
生き続けるその覚悟を確認されて気切するとか
死んだら 在宅でも病院ででも 過失事件扱いになるらしい

投稿ここ4回は 自分から気切をとか 在宅でとか 人工呼吸器のことばかりを書いて来ました
それは この2月に入ってから 数日で 清水さんからお借りした分厚い「ALS 不動の身体と呼吸する機械」立岩真也 医学書院 2004.11.15 を読み終えたからだと思います
ALSの気管切開の様子を患者本人の言葉を集めてまとめた451ページもなる学術書参考書です
胃瘻のことは全くないに近く 気切受け入れを勧める倫理的な考え方を示唆するものです
立岩は 尊厳死法制化を否定する立命館のコンタクトしたい教授です

入院前にお借りしたものですが あの頃は新聞も読む気力なくなり 分厚さに圧倒されて読めなかったのですが 気力に余裕が出たと言うか 気切に近づいたと自覚する様になったのもあって読み通しました
主治医がマイクにスーパーALSを勧めるのですが 多分その時になってもギリギリになって簡単にしか話して頂けないと思うしかありません
この本に刺激され やるに越したことはない 体験しないでは済まされない そんな気持ちになります
しかしそれからが本当の生き地獄なのではないか
そうだと 体験してからはもうやめられないのです
医者が最もなりたくない病気というのはここら辺なのでしょうか

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