現実を紡いで生きる

マイクさん

おはようございます。
前回返信の続きのような話から。命の価値の話ですね。
写真はとある社会福祉法人の広報紙を送る際の帯封です。母の写真と手書きの言葉が入っています。そこにはこう書かれています。

外に出る事ができるうれしさ
1人ぽっちでも みんなと溶けあえるから 淋しさはうすれる
毎朝大きい声で「おはようございます」の交かんは
元気100倍になります
今日もよろしくね

そうしてこれをぼくに見せながら、母はこう言って笑いました。
「いくつになってもどんなになっても活躍する場はあるんや」
94歳という高齢で鹿児島に移って2年半、ぼくは母がちゃんと自分の居場所、生き方を見つけてくれたような気がして、とてもうれしく思いました。それだけではありません。必要とされている自分、だからこそ愛されているという自分、そういう自分が96歳になってなおも生きていくという意味、価値をちゃんと知っているということ、それが他者に対する大きな愛になっていると、強く感じることができました。命の価値ってこういうもんじゃないかなあと。

生産性の問題でいうと、果たしてどれだけのものがあるのかはわかりませんが、少なくともこの帯封で届けられた広報紙は、読んでみようかなと思わせるだけの力は持っていると思います。生産性とは係数で測らないとダメだと言われるとそれまでですが、それこそがあの殺人鬼のトリアージュの理屈を支えているものじゃないでしょうか。

〈夢も愛も欠けた現実思考だからなのでしょう〉

マイクさん
マイクさんは少なくとも大勢の人に愛されていますよ。2度の「ENJOY DEATH」がそれを物語っているし、象徴していると思います。サポートしているまやさんたちKDEの皆さんは、「マイクさんを最後までダンサーとして」って一緒に夢を描いてくれているのではないでしょうか。それに実際の療養生活の面でも何とかサポートしたいと考えているはずです。これがマイクさんの現実だと思います。夢も愛もあるじゃないですか。ぼくはとっても羨ましいです。

〈マイクが自身の価値を知り得るものなら知り、自分の価値を実感・納得して生きたいと思うからです。その為には先達の一般的な基準があれば参考に出来ないかと〉

マイクさんの命の価値は、マイクさんが思っている以上にすごいものがあるんじゃないでしょうか。〈先達の一般的な基準〉なんてとうに上回っていると思います。マイクさん自身が新しい基準になるのだと思います。マイクさんがよく言う〈Super ALS〉ですよ。

〈本当言うて知らんけど・・・〉

これ、ぼくも同じ気分です。これから先ぼくの体内のがん細胞がどんなふうになっていくのか、ぼくにはわかりません。不安でいっぱいです。
マイクさんも、胃ろう造設後の暮らし方、気管切開と、これからたくさんの困難が待ち受けていると思います。だから頑張りましょうなどと言うのが、マイクさん、いや当事者である患者本人や家族にとってどれだけ無責任かということはわかっているつもりです。でもその上でなおかつぼくは言いたいと思います。
みんなで、現実を一つひとつ紡いでいきましょう。そうすることでぼく自身の、マイクさんの人生を最後まで織り上げて生きましょうよ。そうすることではじめて命の価値って、生きてきた意味ってわかるんじゃないでしょうか。

マイクさん
マイクさんは決してひとりじゃありません。たくさんの仲間が、マイクさんをひとりにしないと、させないと思っています。

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