もっとボヤキを!

病院の談話室で話すマイクさん、七枝さん、永山さん

マイクさん

ぼくは〈妄想の効用〉と言うことをずっと考えています。
先だってマイクさんの入院先に同行した永山由高さん、七枝大典さんと一緒にやってるネットラジオ「しみてつ×ながやん 妄想ラジオ」は、そのことを実際にやってみてそういうことがあるのかどうかを確かめてみようと思っているのです。で、これが、ええ、妄想自体がとっても微妙だなと気づきました。どういうことかというと、妄想を言葉にせず自分の頭の中に置いておくだけなら、これは文字どおり妄想なのですが、言葉にして外に向かって発信するといったいどうなるのかと。

「妄想ラジオ」では、自分について、家族について、仕事について、社会について等々様々な妄想をネットという場を借りて発信しているわけですが、聴く人によっては愚痴になり、妄言になり、屁理屈になり、泣き言になり、暴言になり、絵空事になり、ほんの稀ですが正論になったりするのです。それは「妄想ラジオ」の配信を聴いていただければなるほどとわかっていただけると思います。

大切なことは何かというと、自分の頭で妄想したことを、自分の言葉で発信することだと思っています。つまり徹底的に自分に徹するということです。極言すれば「自己中」などという言葉があてはまるのかもしれません。その背景には、世の中に溢れかえっているあまりにも「私は世間を知っています」というふうな社会的、優等生的な発言にうんざりしているぼくという存在があるのです。

この「往復書簡」は何か結論を求めようとしてはじめたわけではありませんでした。ただただ言いたいことを言い合う。会話すること自体を目的にやりとりしようというものでした。そこに生きるている実感や、楽しみや、苦悩や悲哀、喜びを見出せたらいいなと。「妄想ラジオ」もそうです。結論を求めているわけではないし、これで社会に一石を投じて何かムーヴメントを起こせたらいいなどとは思っていません。何かの話し合うこと自体を目的にして、何らかの共感がひろがるきっかけになればいいかなと。

そういう目でこの二日間のマイクさんの投稿を見ていて思いました。マイクさんは「無言の妄想」「ボヤキ事」「実に惨めな年賀」とおっしゃってますが、その中に今の社会、これからの社会が向き合わなければならない事実がたくさん隠されていると。これをマイクさんの事情だとだけ受け取ると、確かに愚痴になるかもしれません。しかし、ALSという難病と向き合うひとりの患者が徹底的に自分の状況、境遇に目を向けた時、そこには現在の医療が、あるいは福祉が、あるいは高齢化社会が抱える普遍的な問題があぶり出されてきます。そこに共感できる人はきっと多いはずです。実際ぼくもそのひとりです。

それに、こういう個人的な「ボヤキ事」を賀状で、ネットで書き連ねる人はあまり多くありません。その多くは社会的な視点に立った発言になるので、切実な問題として響いてこない。ところがマイクさんの「ボヤキ事」は個人に徹した〈生の言葉〉なので、読んでいる人の心に良くも悪くもストレートに伝わると思います。そこには、きれい事では済まされない介護を受ける側の思い介護する家族の思い、周囲の支援、サポートのあり方、医療のあり方、行政の動きなど、その協和・不協和をちゃんと伝えてくれていると。

考えてみれば、ぼくらはみんな、多かれ少なかれ協和・不協和という関係を果てしなく繰り返しながら生きていくのですね。でもこの不協和を言葉にして、人に伝えることは難しい。だから黙っちゃう。そうするとそこにある問題の本質が見えなくなってしまいます。

ぼくは考えます。
マイクさんの「ボヤキ事」は、曖昧になって見えなくなった問題の本質を取り戻すためのワイパーみたいなものだと。雨に濡れたフロントガラスをさっときれいにしてくれる、あれですよ。だからぼくにとってマイクさんの「ボヤキ事」は、とっても爽快な一撃なのです(笑) まさに〈妄想の効用〉なのです。

だからマイクさん、もっとボヤいてください!

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