マイクさん
おはようございます。
三ヶ日もあっというまに過ぎてしまいました。ご自宅での、ご家族に囲まれたお正月どんなだろう、楽しんでるかなあと、いろいろと想像しておりましたが、なんだかしんどそうで読んでいるぼくまで辛くなってしまいました。
食べるということはとても大切なことなんですね。普通にモノが食べられないというのは、食べられているぼくらには想像もつかない辛さがあるのだろうな。でも食べないといけないし。そのための胃ろうなんだし、もっといっぱい胃ろうから食べたらいいのにとも思いました。それだけでは味気ないだろうから、わずかな量でも口で咀嚼するだけでも、あるいはミキサー食を口からとって、ちゃんと味わえばいいんじゃないかなとも思います。栄養補給のためと言ってしまえばそれまでですが、胃ろうって食事を楽しむためにもあるんじゃないかなとも思うのです。
何が言いたいかというと、マイクさんなりの食事のスタイルをつくりあげちゃえばいいということかなと。〈これがマイクの飯の食い方だ〉ってやつですね。そう言ってそうする。それを繰り返す。周囲もそれに合わせる。合わせて欲しいと要求する。そうやってスタイルをつくりあげたらどうかと。マイクさんがそれを言わない限り、ご家族もだんだん何をどうしていいかわからない状況になってくるんじゃないかな。そのことがマイクさん自身も、ごサポートしようという家族も、結果的に疲れさせることになるのじゃないかと思います。簡単じゃないかもしれないけど、例えばメールで1日の食事の中で、コレが食べやすかったとか、あれは無理とか書くとか。そこからはじめてもいいんじゃないかと。
これは食事に限ったことではないでしょう。こんなこと想像したくもありませんが、これからさらに症状が進行し、生活のすべてに介助・介護が必要になった時、〈何をどうして欲しいのか〉〈何をどうしてあげたらいいのか〉がうまく伝わらないことほど、どちらにとってもしんどい状況になるのは目に見えているでしょう。だったらどうするか。
マイクさん、ぼくは思います。
まわりの状況に身を委ねるのではなく、様子見をするのではなく、まず自分を第一にああしたいこうしたいという声を上げないとダメなんじゃないかと。遠慮や諦めを先行させて考えるより、まず自分がしてほしいのはこうだけど、どうだろうと声をあげることが大切かと。声をあげて押し付けるのではなく、思いを伝えて相談するのです。
そう思うと、ぼくは急がなければならないなと思います。
何をって「マイクの家」構想です。マイクさんのこれからの日々を豊かにし、なおかつご家族の介護負担を軽減し、社会を巻き込んでマイクさんの療養生活をサポートする体制づくりですね。これはマイクさんのためだけではなく、後から続くぼくたち、つまり介護を必要とする人たちの、人としての豊かな暮らしをどう維持するかというモデルを構築するということなのです。死に場所を求めて彷徨う47万人の高齢者のなにがしかを救済することになるかもしれないと、ぼくは思っています。それこそがALS患者の社会的な役割になるはずです。
マイクさん。社会に向かって声をあげましょう。