
マイクさん
〈自分のことは自分で考えること。他人と比較することの無意味さに気が付いたような気がしました〉
いい感じですね。実にいい感じです。これに尽きると思います。人はみんな他人のことを気にしすぎなのです。しかも、誰かが悲劇的な状況にあると、もううれしくてうれしくて、気にする、同情するような風でいて、実は自分が思い描く悲劇的状況にその相手を押し込めようとするのです。
ご存知の通りぼくはがん患者です。大腸がんを経験し、2年も経たずに前立腺がんが見つかり、年明けから治療に取り掛かります。この前立腺がんが転移したものなのか、原発性のものなのかそれはわかりません。しかし大腸がんはリンパ節に転移が見つかり、全身のどこに飛び火していても不思議ではないなと自分でも思います。
すると周囲はこう受け取るのです。清水はとても深刻な状況にあると。本人もかなり落ち込んでいるのではないかと。体調的にもしんどいに違いないと。抗がん剤の治療で、髪の毛なんかも抜けているはずだと……。
そういう人が久しぶりに出くわしたりすると、やや残念そうな表情でこう言うのです。
「なんだ、意外に元気そうじゃないか」
そんなときぼくは心の中でつぶやきます。〈こいつはいったい何を期待してるんだ!? ごめんね期待通りでなくて〉と。つい先だっても、何度も繰り返し「意外に元気そうじゃないか」と言われて、「君は何を期待してるんだ」とつい言ってしまいました。すると彼は、「人が真剣に心配してるのに、なんだよその言い草は」とムクれてしまいました。でも本当に心配してくれているなら「意外に」などという言葉は出てこないんじゃないかと思います。
ぼくは確かにがん患者です。でも、だからと言って、何か深刻にならなければならないのでしょうか。
がん患者ですが、1000キロの道を車で飛ばして、京都で2週間の写真展をやり、毎日深夜まで動き回りました。さらに鹿児島に戻った直後に種子島に渡り、みっちり取材をして先ほど帰ったばかりです。その間に思い切り酒も飲みました。「妄想ラジオ」の動画配信では、ビールを飲みまくるぼくが登場しマイクさんも驚かれたはずです。もうちょっと節制して、身体を大切にしたらどうかとはよく言われることです。
でもぼくはこれでいいと思っています。これがぼくなのです。がんになったからといって、何も変わることもありませんし、一般的に語られるがん患者のイメージにはまりたいとも思っていません。〈心配〉してくれている皆さんには申し訳ないのですが、ぼくはぼく、ずっとこのままでいたいと思っています。自分のスタイルにこだわり、自分の生き様を大切にしたいのです。
へそ曲がりなぼくは「心配している」と言われると、「自分の心配をした方がいいよ」と言ってあげることにしています。で「もし君ががんになって落胆したり、落ち込んだりしたらいつでも話を聞いてあげるから」と言い添えることにしています。経験者の言葉は重いですよ。
ね、そうでしょマイクさん。