自分の明日は自分の目で確かめたい

清水哲男写真展「虹の旗」@八文字屋、京都市

マイクさん

写真展にお運びいただきまして、ほんとうにありがとうございました。他の誰に見ていただくよりうれしかったです。そうして不思議なことを感じました。

今までずっと〈正確な意思の疎通〉などということを思いながら、人と話をし、文章を書いてきましたが、実はそんなことどうでもいいことなんじゃないかと思いはじめているのです。
どんなに思いを尽くしても、言葉を選んでも、伝わらないことは伝わらないし、その逆に言葉なんてなくても思いを共有することもできるんじゃないかと。ときによっては言葉が邪魔なときもあるんじゃないかと。そんなことを思うようになったのです。

実際マイクさんとの会話は、おおよそ曖昧な感じで、そう、写真展の会場での会話でも、曖昧なやり取りに終始しましたが、なんだか思いはちゃんと伝わっているように感じられました。それは受け取る側の聞き取る力だと言ってしまえばそれまでですが、たとえ聞き取れる言葉が3分の1であったとしても、それですべてが推しはかれるような思いを共有していることが大切なんだと思います。

それがたとえ〈はい〉〈いいえ〉の一言のやりとりだとしても、その背景にある数百、数千、数万の言葉をすべて含んだやりとりができるはずです。そう思うと閉じ込め症候群=生き地獄などという状況は恐れるに足りないのではないかと、ついつい楽観的になってしまいます。たった一言のやりとりですべての思いが伝えられるように、受け取れるようにちゃんと準備をしておけばいいだけのことじゃないかと、そんなことを考えています。

この3週間ほどの間に、ぼくはマイクさんと3度顔を突き合わせて話をさせてもらいました。誤解を恐れず言うと、言葉の明瞭度という意味では絶望的な気分になりました。だって、現状から改善されるはずはないのですから。でも、意味の明瞭度を考えると、ぼくは一言一句を選びながら伝えようとするマイクさんの言葉、身振り、手振りに、伝えたいという強い意志を感じました。だから少々の行き違いはあっても、最後はちゃんとわかりあえるんだという確信を持てました。

文字盤を前にして 清水哲男写真展「虹の旗」@八文字屋、京都市

もっとたくさんのことをお話ししたいのですが、想いが先走ってうまく言葉にできません。ごめんなさい。

ところでぼくの前立腺がんですが、年明け1月16日から治療が始まることになりました。3月11日まで、土日祝日を除く毎日続けられます。どういう状態になるのか予想もできません。でも前に進むしかないと思っています。まだまだやりたいこともたくさんあります。そのためには1日でも長く生きて、1日でも元気に仕事をしなければなりません。そのために、どんな辛い治療でも受けようと思っています。ぼくに今できることは、明日を迎えるために最善を尽くすことだと思っています。頑張るなどという言葉が適当なのかどうかはわかりません。ただ、自分の明日は自分の目で確かめたい。その一心なのです。

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