命の力を回復するため

マイクさん

〈今週のこの忍耐試練は過剰なリスク意識ではなかったのでは?〉

マイクさんの側に立った「忍耐試練」は実は、

〈3日前の朝食のミキサー食を酷く咽せ込んだのを看護師のカルテに書かれて、リハビリ療養士から問題視され、直ぐ絶食指示が医師から出て、その日の夕食から今朝まで2日半は点滴だけでした〉

という病院側のドタバタ劇だったんだなって、泰然自若としているマイクさんの姿が思い浮かんで、不謹慎ですが笑ってしまいました。〈過剰なリスク意識〉はいったいなんのためだったんだろうって。転院した病院では、胃ろう造設手術をする医師が、お腹減ってるでしょうからすぐに夕食にしましょうって、どんな形であれギリギリまで可能なことを追求するというのは大切なことだと思いました。

何かができなくなれば、それを何かで補うことができる。経口で食事ができなくなったら、胃ろうで食事する。それもできなくなれば点滴で栄養補給を……。それを延命というか、代替というか。確かに延命かもしれないけど、それこそ過剰なんじゃないかと思います。自立して、歩いて移動できなくなったら、車椅子で移動する。車が運転できる間は車で、自転車に乗れる間は自転車で。車椅子はちょっとねというなら、電動カーでって。移動手段なら、その代替を延命などとは言わないでしょうが、それだって同じことですよ。きっと。

何かができなくなれば、それを何かで補うことができるって言いましたけど、もうちょっと前向きな言い方に変えたいと思います。人は何かを失っても、その度に何かを得る。そうやって生きていくものだと。

ぼくの前立腺に再発したがん。前にもお話ししましたが、大腸がんを摘出した時の直腸の縫合部が前立腺と癒着しているので、手術の場合だと直腸も一緒にとらなければならず、人工肛門になる可能性が高いと。しかし、生きていくためにはがんを除去しなくてはならず……。人工肛門になったって生きていけるわけで、別に大きな問題ではないのですが、これから先まだまだアクティブに仕事を続けていくことを考えて、それを避け放射線治療を受けることにしました。

実はこれだって、放射線が縫合部にあたることで、なんらかの不具合が出るというリスクもあるわけですが、いずれにしてもがんの治療を避けて通れないのは明白です。何れにしてもリスクによって命が後退するというイメージがあるかもしれません。でも、ぼくは生きていくための選択だと思うし、がんによって後退を余儀なくされたぼくの命の力を回復するための選択だと思っています。

〈楽天と慎重の狭間〉

そういう意味では、ぼくもその狭間を揺れて生きているわけです。
あれができなくなったらこれ。これができなくなったらあれ。
そうやって命の力を回復していくのです。

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