じゃあ俺も頑張るかな

みづよさん

マイクさん

「他人の命の価値」を見つけようとしても、そんなこと無理なんじゃないかとぼくは思います。だって、これはぼくに限ったことですけど、自分の命の価値さへわからないのに、他人の命の価値なんてわかるわけないじゃないですか。他人の命の価値を理解しようというならまだしも、他人の命の価値を決めるなどということになると、それはとんでもないことにつながるのじゃないかな。ぼくなんかいちばんに言われちゃいそうです。

「あなたは生きている意味も価値もないから、早く死んじゃいなさい」

って。怖い怖い。そんなこと人に決められたくないし、人にも言いたくないし。人の言葉に左右されることなく、意味なんて、価値なんてわからなくても、自分で生きたいだけ生きたいと思います。もちろん死ぬ自由を担保した上での話ですが。

ちょっと前に脳性麻痺の画家の話をしましたが、今日は脳性麻痺のふつうのおばさんの話をしたいと思います。ふつうって変な言い方だけど……。だって障害を持ってるだけでふつうじゃない逆境を生きてるわけですからね。この場合のふつうていうのは、障害を持っていても画家として活躍している彼とは違うという意味です。毎日を淡々と生きているという意味くらいかな。

彼女の名はみづよさん。彼女も脳性麻痺で重度の身体障害と、60年以上向き合って生きてきました。生まれてずっとです。ようやく座れるくらいで、手も足も思い通りに動かせるわけではありません。ずっと車椅子で、ずっと人の手を借りて生きてきたのです。彼女も家族もずっと不老の連続だったと思います。ぼくらには、それがどんな苦労だったか、どれだけ辛かったかを想像することや同情することはできても、共感することはできないのではないかと思います。だってぼくらはそんな苦労を知らずに生きてきたのですから。

その彼女が10年ほど前急性骨髄性白血病だと診断されました。多くの人がなぜ彼女がと声を失いました。重度の障害を抱えた上に白血病に、と。しかし彼女は辛い治療に耐え白血病を克服したのです。その後再発することもなく、まわりのみんなが安心しかけた頃に、今度は乳がんが見つかりました。

「私も女だったぁ」

という彼女の冗談に、素直に笑えなかった自分を覚えています。しかし今度も彼女はがんに打ち勝ちました。今はとても元気に過ごしています。先だって久しぶりに顔を合わせて、おたがいの病気自慢をしたばかりです。ふたりともこうやってがんを繰り返して生きていくんだろうねって笑いながら。
ぼくははっきり感じています。彼女が生きていく意味、価値は、彼女の中にこそあるのだと。それは人の理解を超えているのだと。そうしてそのことが彼女の生きる力につながっているのだと。制度による保護を受け、大勢の人の手を借りて、病と闘いながら、障害と向き合いながら、ふつうに生きていく。不幸でも、悲劇でもない、ありのままの人生を、ありのままに生きていく。その姿の中に生きる意味があるのだとすれば、それはぼくらがちゃんと受け止めればいい。

〈若い障害者を見て、しかも他人の命の価値を見つけ出そうとしましたが、その思考の入り口にさえ辿りついていません〉

マイクさん
もっと単純でいいんじゃないでしょうか。ああ、頑張って生きているんだなって。じゃあ俺も頑張るかなって。
ぼくは安易すぎるでしょうか。

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