仕方がないなあという生き方!?

ある陶芸家の先生にいただいた骨壷。これだって骨を拾ってくれる人がいないと……。

マイクさん

「迷惑をかけたくない死に方を望むのが最近の終活の流行り」という一節に引っかかってしまいました。果たして人に迷惑をかけない死に方なんてあるのでしょうか。たとえば猫は死期を悟ると身を隠しひっそり死ぬと聞いたことがあります。もっと大きな動物では象もそんなことをすると聞いたことがあります。人でもそういうふうに、ひっそり誰の目にも触れずに死にたいと思う人もいるようです。富士山の麓の樹海に入って死ぬという人はそうなのかもしれません。でもそれにしたって、年に1回はそういう人に遺体を捜索するということが行われているようです。これって、ごっつう迷惑な話ですよね。

ぼくは思います。人間って社会的な生き物だと言われていて、その通りだとしたら、死んだら必ず人の手を煩わせるものだと。勘違いしないでくださいね、迷惑だと言っているのではありません。煩わせると言っているのです。煩わされて迷惑だと思うか、思わないかは、亡くなった人と見送る人の関係によるのじゃないでしょうか。迷惑をかけないというなら、何が迷惑で、何にが迷惑でないかを、ちゃんとわきまえておくことが大切じゃないかと。

ぼくには3人の子どもがいますが、早くに家族関係を解消したので、ぼくが亡くなったからといって子どもたちに後始末をしてくれと頼めば、これは言うまでもなく彼らにとって迷惑な話になるでしょう。だけどぼくにだってそれ以降の人間関係というものがあります。その関係の上で後始末を頼めば、まあまあ仕方ないなあと動いてくれる人もいるでしょう。そういう人たちに甘えなければ、自分の始末もつけられないのです。そう、人は誰でも自分の死んだ後の始末をつけられる人などいないのです。人に「迷惑をかけない死」などというものはありえないと思います。

だったらどうするか。迷惑をかけても、手を煩わせても、仕方ないなあと思ってもらえるような人間関係をつくるということではないでしょうか。「迷惑をかけない死」などというのは、幻想に過ぎないと思います。きつく言い放つと思い上がりだと思います。いや、ゴミのように扱ってくれたらいいんだと言っても、じゃあゴミ処理をする人にとっては迷惑ではないのか!?という話になります。

ぼくは思います。人間が社会的な生き物だという側面には、人の手を煩わせるとか、迷惑をかけるということも含まれているのだと。だったら甘えてもいいのじゃないでしょうか。甘える甘えられるというのも、人と人の関係の中ではとても大切なことだと思います。そういう関係を構築できるかどうか、それはその人の生き方にかかっていると思います。だからこそ人を大切にして生きていくことが大切なんじゃないでしょうか。甘えたいから大切にする。大切にするから甘えられる。ぼく、なんか、おかしいこと言ってますかね。

マイクさん

迷惑をかけてもいいんですよ。裏切りさへしなければ。

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