バカばっかり

6月29日 えんじょい・デスのフィナーレ 撮影:清水哲男

マイクさん

「尊厳死協会の詐欺紛い」には笑ってしまいました。
でもちょっと考えてしまいました。ぼくらを取り巻く環境の中で、そういうことってたくさんあるんじゃないかって。

中でもいちばんの詐欺紛いは、医療費総額制度ってやつじゃないですかね。疾病によって医療費がどれくらいかかるか患者にわかりやすくするために、ですって。でもこれ、患者個別の症状に合わせた医療をというんじゃなくて、医療費を抑える目的で導入された制度ですよね。ぼくの経験でいうと、患者は手首にバーコードを巻かれ、何かあるたびにスキャンされる。どれだけ医療費がかかっているかすぐにわかるように。で、決められた総額を超えることはできない。

ぼくの大腸がんの場合、手術から退院まで6日間でした。
なんだ、ぼくの病気はそんなもんなんだと軽く考えちゃいました。6日間で普通の生活に戻れて、すぐに社会復帰(笑)して、仕事にも戻れるんだと。甘かったです。入院6日間で、ぼくにかけられる医療費は上限に届くんですよね。知人の医者が教えてくれました。「6日で退院させられたと言ったほうがいいかもね」って。あとは自宅療養しなさいってことですよね。

ぼくは抗がん剤治療も在宅、通院でしましたから、退院後の方が大変でした。6日間というのは手術でできた傷が治るだけで、体力が回復して普通の生活に戻るというわけではないのです。それでも6日で退院させる。それ以上の医療費はかけられないということなんでしょうね。患者のためではないのですよ。ぼくらはいざという時のために、社会保険や国民健康保険で高い保険料を払っているのに……、って感じです。

マイクさんも、難病中の難病だと言われるALSの患者さんなのに、入院し続けたいのに入院できないのは、そんなことが背景にあるのかもしれませんね。在宅で療養するにも、今度は介護保険制度というおかしな制度が待っていますしね。これまた高い介護保険料を払っても、こちらが望む介護を受けられるわけではない。必要な介護はこの程度だからあとは自分でなんとかねって言われてんですよね。

でも、介護保険の発端は、家族の負担を減らして社会で介護の負担を共有するってことじゃなかったかと記憶しています。これもやっぱり財政の問題で、制限を加えようという方向に進んでいますね。「自助自立」っていうんですか。なんのための介護保険なんでしょうねえ。真面目にじっくり考えてみると、なんだかよくわからなくなってしまいますね。マイクさんの療養生活に対する不安も、こういうところから出てくるんでしょうね。お察しいたします。どうやらこういう制度を決める、国民の代表者であるはずの政治家たちが、「色々な場面で臭いものに蓋をし、我関せずの保身主義自己中ばかり」なのかもしれませんね。

ぼくが鹿児島でやっている「妄想ラジオ」的に言うと、バカばっかり、ということになります(笑)

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4/21までの ・その後7/19までの病状/病歴

マイクの病状について気になされておられる方もいらっしゃいますので時々は報告したほうが良さそうです
マイクとしても病歴履歴のつもりで

去年の春夏に何となくむせたり呂律が気になったりの自覚症状があって 7月に総合病院で精密検査を受けましたが経過観察で済ますことにされる
12月に電話での喋りのヘンテコさを兄妹たちから指摘され 金沢からセカンドオピニオンすべきと見舞いに来てくれた
翌々日の12月5日に再検査を受けたら 大学病院に検査入院するよう言われた
その時は 右手人差し指と親指で掴みに力が入らぬ程度でしたのと 呂律が回らないのも喋るのが少し億劫になる程度でした
1月初めには自分がALSであることを自覚覚悟して 断捨離を楽しむ余裕があったが 入院待ち2ヶ月の長さに 不安よりは怒りを覚えました
入院できたのは1月30日で 直ぐの2月6日にはALSが確定し告知された(2ヶ月待って1週間で しかもすぐ退院せよと)
薬は効くか効かないかも知れず 飲む意味疑問のリルテックのみ
その間に 手足の変化は殆どなく 他人が気にする程に 喋りの進行は進んでいましたが 飲み込みはそんなに気にすることもなかった

確定後の2月は 難病手続きや治験を受けるか 主治医を決める為の病院巡りや介護の申請やらで多忙でしたが ジムでのダンスレッスンは普通に受けていたりなのに 直ぐにでも死ぬ覚悟も出来ていて 深刻さは自覚していなかった
しかし先行きの不透明さに3月は殆ど死を覚悟で沈んでいましたが 症状の進行を気にすることもなかった
3月12日にやっと今の病院を昔は療養型であった理由で選んだが 4月8日からのリハビリ入院2週間だけが決まりました
が それまでの4週間の放置の長さに耐えられず 心にも 喋りの悪さにも影響が大きかった
確定後2ヶ月過ぎた入院の頃の手足は 右手指が動き辛くはなっていて 摘む力のなさに消沈することがありますが それ以外に体は不便を感じていません
しかし言葉は相当喋りにくく また飲み込みに慎重さがいる程度になって 球麻痺の進行が早いのを自覚します
特にこの3月は 自死願望で沈み込むほどに悩んだので進行したとしか思われません
入院迄の様子はこの通りですが もうひとつマイクにとっての大きな悩みは 去年からの腰痛です
確定前は痛くても我慢して普通にダンスレッスンを受けていましたが 確定後は精神的に慢性化してしまったようで 悩みと辛さの7割が ALSでなく腰痛なのです
それが次第に死にたくなるほどの疼痛なのです
そのため入院後のリハは飲み込みのリハと 腰痛のための理学・作業リハをしていています

ところが入院3日目に ラジカットを点滴をすることになり 2週間点滴・2週間休薬の1クールが継続し 4週間入院となったのです
精神的な落ち込みは1ヶ月間だけでも払拭され 平静にこれからを考える余裕が出ました

2/7の難病申請だけはすんなり言ったのですがその後の諸々の登録や申請請求作業が面倒で処理が遅く片付いたのは6月中頃?
健常者でも腹がたつ弱い者いじめとしか思えませんでした

病院生活は快適で 食べず喋らずだったら この難病病棟にいる資格がないような 腰痛7割だけのマイクです
それも死にたいくらいの疼痛ですが 入院3日目から清水さんから用意して頂いた「タブレット」が届き その前では 完全に腰のことも忘れてしまっています
もう一つ 6月29日にマヤちゃん提案で「生前葬」をすることになり これもまた精神的な余裕になり 体調が良くなった訳でもないのに 人が変わったように表情が明るくなりました

入院後の様子はハッピー/ラッキーが続き 第2・第3クール点滴まで リハビリも贅沢に受けられました
第3の休薬2週間を退院にして その中日に生前葬を 大盛況でやり遂げられました
TV取材で喋りすぎ負荷が祟った所為には違いありませんか 喋りと飲み込みは前後で大幅に進行しました
4/8再入院で第4・第5クールを受けることになりました
喋りの進行より 飲み込みの危険があるほどになり 土日毎週帰宅しての酒もトロミでないと飲めず 吸引器を家で用意することにもなりました
体重は 1月から4キロ減ですが 見るからに右腕が痩せ 全身の馬力も落ちているのを自覚します(1月58k 2月57k 3月56.5k 4月56K 5月56k 6月55k7月54k 6/30朝は52.5kでした)

それよりも右指は軽く曲がりが固定し 力が入らず 急に字が極めて書き辛くなりました
ご飯は入院時から 全粥で 右手スプーンですが 少しふるえるように
右肩が服を着るのに痛むのは 右腕の筋肉の痩なのかと勘ぐったりするようになりました
ALSの影響があるのかは気になりますが こんな贅沢なリハを受けているのですから腰痛は相変わらずですが 仕様がありません

それでもまだまだALS新参者のステージです
胃瘻のステージが近いことは分かるのですが いつかは予想すらできません
その前に窒息死の危険が迫っていると脅されている毎日です
確かに飲み込みは落ちてきています
これで死ねるとは限らないのと 姉(今も元気)の肺炎入院の話から 死ななくとも呼吸のできない苦しい辛い思いはしたくありません
況してや スーパーALSになることを拒否する時の辛さを知ってしまった今は 尊厳死協会の詐欺紛いに引っ掛かって 苦しみ踠いて死にたくはありません

死亡退院を夢見ていた?/有賀さつきに続け!

雨でハラハラさせられっ放しの今年の祇園祭も 昨日の山鉾巡行は見事に行われたようです
21日(日)は 生前葬をKDEの皆んなで 振り返りしますのに外泊して参加します
この日は選挙ですので 比例代表は「安楽会」を お願いします!

その安楽死に関して マイクはALSの告知を受けた今年の丁度1年前から 「有賀さつき」こそ安楽自死先駆者と崇めていたのです
哲学者でマイクを「私の自死道」http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htmに嵌り込ませた須原一秀の愛する「五輪書」を 有賀がバイブルとするところも そう信ずる根拠なのです
告知1年前と翌日の認定の日の マイクのブログを振り返ってみます

2018/2/6「有賀さつきが五輪の書をバイブルに」(死に方教えます)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180206/archive
この前にブログに書き込んだ 2018/1/24「西部邁が自裁死をとかを」では 保守論客の残念な 勿体ない自死を紹介した

昨日からテレビでは 有賀さつきの 52歳の早すぎる死を しかも急死を伝える
今日の今のテレビでは 自分の病名を家族にも伝えないよう医師に頼んでいたという
独立独行で生きてきた意志の強い彼女が自分の死で 誰にも迷惑をかけたくないと 秘かに身辺整理の準備を怠らなかったとも
彼女の生き方のバイブルは「五輪の書」だったと

52歳の死で 斯くも刺激的な死は前例を思いつかない
西部が逝く前に 彼女が先に逝っていたら 西部は立ち止まって考え直したかもしれない

知名人の死は 有意義でなければならない
そう思った

続いての翌日 2018/2/7「有賀さつきは自裁死を」(死に方教えます)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180207/archive
有賀さつきの死を 報道は 以外に淡々と済ませている
マイクには 自裁死を遂げた西部邁氏以上の自裁死だと直感して ここで取り上げました

乳癌だったとか カツラだったとか それこそ自殺だったのだと詮索する
だからと言って 死因を公表できない しない彼女ではないはずです

色々考えると 病院で自死したことになる
そんなことが日本でできたのだ
安楽死を 病院で

真実はわかりませんが 真実こそ日本のこれからを 有賀さつきが先駆者になってくれたのかもしれない
報道は もっとこのことをしっかり学び考え 日本のために考えて報道を進めてほしい

単なる自裁死ではなく 安樂死をも彼女は考えていたのではないか

流石のニュースキャスターだ
もっともっと 彼女から学んで欲しい

彼女は 死亡退院を夢見ていた?有賀さつきに続け!
1年半経ったブログを読み返してみて直ぐにそう思った!
持病の腰痛くらいで安楽自死を急ぐべくもないマイクの思考だけでは 日本での実現に限界のある安楽自死を そろそろ自分で仕掛けるしかないのだと悟り出した頃だったのです
それにしても有賀さつきもマイクも 同じく 自死が社会的に非難される風潮の中で 病院の中での死亡なら 世間の非難を避けられると考えたのです
それには病名を伏せることで(医師の理解か 警察への工夫がいるが)自死か又は 医師支援の鎮静死や安楽死で 院内「死亡退院」したものに違いありません

マイクは慢性腰痛ごときで自死すれば批判どころか馬鹿にされるだけのALSのステージでしたが 療養体制の不安だっただけなのに危機一髪にまで追い込まれたのです
そんな状況は余り理解されず そんなことでヘコタレルなと言われるくらいでした
それに比べ 安楽死を望んだであろう彼女の苦痛を見て 誰が幇助を拒否できるでしょう
拒否するそんな自己中・自己保身な人間は 友人・医師なら尚のこと生前に 閻魔様に裁かれるべきです

こんな気持ちは マイクのこれからに益々膨らむと思います
自死を幇助するような情け心のある人でしか 自死願望者は救えないし そんな方を閻魔様は罰する筈がない
閻魔様が裁くのは危機一髪の念慮者を見て見ぬ振りし それどころか責め立て非難するだけの情け心の微塵もない奴なのです
色々な場面で臭いものに蓋をし 我関せずの保身主義自己中ばかりの日本人を マイクは「情けない」と言い 非難をし続けているのです

(日本人を批判し 誹謗中傷する言葉は 「勿体ない・見っともない・情けない」だけで済むと信ずるマイクです)

どこにいるかより誰といるか

マイクさんと清水哲男@えんじょい・デス 6月29日  撮影:金久まひるさん

マイクさん

祇園祭、ながく見ていないです。BSの中継で見るくらいです。京都が懐かしいです。

25日から27日の2泊3日で生検を受けてまいります。結果が黒ならまた手術ですね。どうやらぼくはこういうことをくり返しながらの人生になるようです。気落ちしていても仕方ないので、気持ちは前に向けたいと思います。

このところのマイクさんの投稿、マイクさん自身が断ち切ろうとした大勢の人との関係が、困難な時期を乗り越えて一層強く太くなり、そのことがマイクさんの背中を強く押しているということが読み取れて、ぼくはうれしくなりました。「ALS患者としての社会的役割を果たす」というマイクさんの言葉が現実のものになってきましたね。

中でもぼくは「居場所」という言葉に心を奪われてしまいました。
ぼくは若い頃から、そう10代の半ばから放浪のようなことをくり返し、大学を卒業してからは拍車がかかり、1カ所に定住し落ち着くということがありませんでした。人は移動する勇気に驚き、関心を寄せてくれます。すごいですね!と。だから文筆業みたいなことができるんだと。

ものを見る、知る、経験するという意味では、人より多くのことを蓄積してきたという思いはあります。その一方で、自分の居場所はどこかと自問すると、明確な答えは見つかりません。強いていうなら、その時関心のある場所ということになるでしょうか……。それでも若いうちはなんの気にもなりませんでした。ところが年を重ね、難しい病気などになって、ちょっと変わってきました。

振り返ってみると、確かに移動距離とそれに比例するように様々な体験はたくさんしてきたのですが、濃密な人間関係というものがないのです。無頼を気取って放浪を重ねてきたから、当たり前と言えば当たり前なんですが、今となってはずいぶんさみしい人生だなと思えてなりません。

ぼくには、マイクさんの言う「死に場所」という意味での「居場所」はないと言ってもいいかもしれません。そう感じて身震いした時気づきました。「居場所」って空間のことではないのですね。そこに誰がいて、その人たちとどういった関係をつくりあげるかということなんだとわかりました。

だからぼくにとっては最期を迎える時、どこにいるかより誰といるかが問題だと思いました。そういう人間の関係を大切に残りの時間を生きていきたいと。大切な人との関係を真ん中に置いて、マイクさんの言う「死に甲斐」を自分なりに探してみたいと思います。

でも今は、マイクさんをスーパーALSにすることに全力を注ぎます(笑)

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安楽死党について/世直しの奔りに

清水さんは 最近は祇園祭をお忘れかも?
何とか天気は持ちそうで安堵しているようです
お身体や検査結果は如何でしょうか
選挙もトーンが低く 安保育ちのマイクには耐えられません
世直しの思いが 「死に甲斐」のためにも湧いてきます

今度の第25回参院選に安楽死党が出ることはTVで知ってはいましたが 2010年の東京で落選の時のことをマイクのブログに書いているように 空耳で聞き流していいものだと決め込んでいました
所が 7/8の再入院の時から 看護学校の実習生がまた3週間マイクにベッタリ着くようになったその子が 安楽死制度を考える会(安楽会)のことを話題にしてきたのです
勿論 既に 彼女にはALSや死にかけた事や 安樂自死を天命としている事も話ししているからです
それで遅ればせながら調べてみると 比例代表は2009年から5回も落選している例の人でした
しかし粘った甲斐あって今回は相当の票になるのではないでしょうか
安楽死が「そこまで言って委員会」3/30 と4/21 にも取り上げられ このブログでも紹介しました
安楽死の肯定的な風潮が見て取れました
「Nスペ 彼女は安楽死を選んだ」は もっと反響があって このタイミングにはぴったりなのです

政治団体「安楽死制度を考える会」は参院選の公認候補として10人を擁立すると発表
【比例代表】佐野秀光
2009年6月「どうせ自殺するなら臓器提供を」をキャッチフレーズとした政治団体「新党本質」を結成 第45回衆議院議員総選挙で比例北海道ブロック に義母の本藤昭子とともに立候補し落選 2010年第22回参議院議員通常選挙で東京都選挙区から立候補し落選

【選挙区】北海道=中村治▽埼玉=佐藤均▽千葉=門田正則▽東京=横山昌弘▽神奈川=加藤友行▽愛知=牛田宏幸▽大阪=浜田健▽福岡=本藤昭子▽選挙区未定=鮫島良司

勿論 マイクが安楽会に投票するか? 分かりませんが 頑張って欲しい一番の党です
マイクも応援したくなりますが 気付くのが遅すぎました
生前葬で話せたら250票は固かったのですが

尊厳死法制化議員連盟の議員とコンタクトしようとして上手くいかなかった経験が マイクを億劫にしています
東京の安楽死ブログコミュニティにも参加していますが 活動が本格的ではないのです
太田典礼の初心を忘れて詐欺ビジネスとなった尊厳死協会はいずれ訴えねばと考えているくらいです

序でにサイトを調べてみると 2018年2月の韓国の前の 1月6日に台湾で尊厳死法が施行された事を次のサイトで知って とてもショックです
https://www.swissinfo.ch/jpn/命の尊厳_台湾の有名司会者がスイスで安楽死-その後台湾で起こった大きな運動とは-/44993418
このサイトは 小島ミナさんより前に台湾のキャスターが実行した事を伝えるのものです

何で こんな情けない日本になってしまったか
社会全体が 自己保身のために 弱い者虐めをし 弱者を助けないどころかネグレクトするのが当たり前に許される 悲惨で みっともない世間に
それも 決して安全でもなく 生き易くもない 管理過剰な末期社会になってしまっている
既に先進諸国から遠く見捨てられ 何事にも精神的貧困文化国なのに お互い顔を合わせても他人事のように眼を瞑る
唯の中国並みトランプ並みに自己中で 最悪に落ちぶれてしまっているのです
これは妄想でもなく単なる予感でもない現実なのです

こんな日本を世直し出来る切っ掛けに 安楽会(安楽死そのもの方がよかったのに)がなって欲しいマイクです
マイクの望みは ALSだけでなく 弱者への愛へも そして安楽死を切っ掛けに日本の精神文化の恥ずかしさを知識人・政治家・国民が最悪に陥る前に自覚して欲しいのです

大恩人から勿体ないお言葉を

この度の生前葬パフォーマンスプログラムの初めと終わりに「マイクの部屋」なるマイクと色々の知人友人18人との1分トークがありました
そのひとり ダンサー大御所の なにわのコリオ“しげやん“こと北村茂美さんから勿体ないお言葉を頂いたので 嬉しくてまた自慢げに紹介したく思います
何時ものように度肝を抜く衣装でマイクに迫って会場をびっくりさせたエネルギッシュなエンタメダンサーです
その晩のフライトがあるのにノーギャラで出演して頂いたのです
そのネシアから帰って直ぐに 摩耶観音に伝えたメッセージを紹介したいのです

市川まや様
このたびは「エンジョイです!」に参列させて頂きまして本当にありがとうございます。フォトブック1冊お願いいたします!!。あの日、これ以降の私の全てのパフォーマンスは生前葬足り得るものするとマイクさんに心で誓い、その足で出発し遠くインドネシアの地で踊らせて頂きました。エンジョイです!は私の人生に大きな転機を与えてくれました。マイクさんに出会えたことを心の底から感謝しています。どうかよろしくお伝え下さいませ。
北村茂美http://www.shigeyan.com/profile.html

マイクからはマヤちゃん経由で
「勿体ないことです!嬉しいです お伝え願えれば!でもALSとマヤちゃんのお陰です!!!」とお礼の言葉を返しました

しげやんは マイクの所属するダンスカンパニー「KDE」と「ロスホコス」の立ち上げと育成に深く関わって頂いた恩人師匠です
こんな勿体ないお言葉を頂いて嬉しいだけでは済みません
あの一体感はなんであったのか
しげやんに ここまで言っていただけたことは何故か
答えは何であれマイクには あの会場の熱気は ALSを超えた奇跡としか思えませんでした
所が本当は こんな幸せの可能性を見捨てて 自ら終末期に入ったと決め込んで しまい これまでの仲間からまで 勝手に遠ざかろうと決めかけていたマイクなので 皆さんからの賞賛を受ける資格はありません

でも奇跡は起こったのです
ALSをマイクへの「九重苦の天罰」として承った事を率直に受け止めました
加えて安楽自死を自ら実践せよとの「天命」までを頂いており このことは紛れもなく 神仏からの 奇跡としか言えないことが重なっているのです
これからのマイクは皆さんと知らず識らず育んできた絆が こんなにも熟成し奇跡になる可能性のある事を教えられたのです
命ある限りです天命に向かって細やかでも世の中のお役に立てることを生き甲斐でもあり死に甲斐にもなると信じて生き続けます

療養も死ぬこともできない貧乏国なのです

祝日なのに今日から点滴が始まりました
身体がラジカットを欲しがっている
肉体が?
いや精神的にも肉体の落ち込みを感じているからなのです
継続・・院の・・・にも!!

外泊を心配して副看護師長から病院の吸引器を貸して頂いていたのに 何回か咳き込んだのですが 使わずに済んだ
それをナースセンターに返してから 部屋に着くとホッとする
居場所に帰ったと言う気持ちで安堵感を味わう
我が家へ帰った時より・・・?

今朝 家のテレビで丁度 生出演の村田諒太が世界戦再挑戦を決断した時の彼の言葉に 感激して来たばかりです
ボクシングで貰った「居場所」南京都高・東洋大・帝拳に感謝と報恩の為ですと
ではマイクにとっては 我が家が居場所か?
確かなことは 田舎金沢に帰ると 姉兄妹々がいるだけに そこが一番の居心地いい場所 故郷なのです
当然自慢の高校・先ず先ずの大学・有り難かった帝人・そして今の京都のど真ん中の小さい稽古場でしかないような家
勿論どれもマイクには勿体ないほどの居場所ですし 満足してい(た)ますが 最近何となく気になってきたのが この病院生活への慣れ具合です

広くはない四人合部屋ですが なんの不足も無く メイド付きのビジネスホテル以上です
個室より確実に楽しいし 勉強になります
気楽な付き合いとかで 家族以上かも知れません
食堂でも部屋へも配膳下膳してくれて 飲み込みに苦労する患者に合わせた安全に気配りされた食事です
ここにいる限り窒息死など心配不要と主治医から保証されています
週2回の風呂も流してもらえるのです
我が家では考えられないことです

病院で死ぬより家で死にたいと世間で言われているようですが どんな方のどんな状態の方なのか考え込んでしまいそうです
現実に在宅で看取られるような裕福で家族に恵まれた人は 8人に一人なのです
マイクは勿体なくまた満足している家と家族に恵まれていますが 実はその他47万人の彷徨える老人ではないにしても 在宅で看取られることない(られたくない)老人の部類なのです

元よりこの病院には 2週間のリハ入院を継続し 死亡退院をしようとの強い希望と期待を持って入ろうとしたマイクなのです
所が実際は療養型の病院は昔のことで 在宅でしか「生きられない」現実を入院前に知ってしまい危機一髪になるまでに悩まされてきたのです
マイクが転院地獄のなかった療養が許されたバブルの時代の患者なら こんなALSぐらいで悩むことなど全くなかったのです

ALSは結核やハンセンとは違って 隔離も不要で 出入り自由な介護並みの簡単な施設で ステージに合わせた医療介護体制がが取れればいい
欧米の透析はホテルのロビーの様な 或いは談話室の如き場所で 普段着のまま友達と雑談しながら受けると言う
日本ではガウンに着替え神妙に待つようで 管理過剰?無駄なコストと時間とかでも誰も批判しない

随分前 入院して暫くして直ぐに 清水さんからだったと思いますが この先の使命感で高揚しているマイクに 病院に閉じこもることなく 病院慣れしない様に言われてビクッとした事を思い出します
外との繋がりのためだったと思いますが 自己責任の効かない日本では 院内飲酒や外出もままならずの世界です
確かに病院でできることには制約がありますが 時間の余裕が増えて 妄想には適しています
その妄想を実践するには工夫や体力が要ると思いますが それはそれでこのままではやり難く苦労するでしょう

ALS発見のフランスには 専門の仏ALSセンターが16以上あると言うことまでしか把握できていません
フランスでは外国人アーテイストにも医療福祉が優しいと良く体験者から聞きました
英国は全ての病気は無料です
財政豊かなアメリカの医療費の高さは事実でも 保険がない貧困層には二つの保護政策でなんら問題ないのだと聞いています

財政的にも精神的にも貧乏国日本国ででも 参考になることはないでしょうか?

辞世の句にも未練が見える

昨日の喪中ハガキ紛いのお別れ/お籠りの言葉については 真剣だったには違いないのですが 迷惑千万なマイクだったのです
娘からはお目玉を頂いたのですが 弁えでは自信があるマイクでも あんな恥ずかしい状態に人はなるのです

今日も白状しますのは リハビリ病院に幾つか持ち込んだ色紙の一つです
それには 4/14のマイクからの返信に 既に紹介したマイクの辞世の句が書かれています

太田「道灌の山吹伝説」で有名な
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき
を本歌取りした

「山吹の 花も実もなく ただ幹の 燈明にてや 片隅照らさん」

です(幹と明は マイクのファーストネームから)

マイクのHPには 次のテーマで 詳細に解説していますので是非覗いて頂きたい
私の解脱道 (そろそろのお迎えに 自ら出向くスタイルとしての マイクの弁え)
http://mike12.web.fc2.com/gedatsu.htm
(VistaバージョンHPで画像が出ませんが)

50歳諦年 山吹の 花も咲けずに 実の一つ ならで五十路の 秋ぞ悲しき
60歳定年 山吹きの 花も実もなく ひたすらの やがて去りぬる 冬ぞ悲しき
辞世の句 山吹の 花も実もなく ただ幹の 燈明にてや 片隅照らさん

辞世の句と言いながら この句は 世を去る末期を覚悟したとの言葉としてではなく 未だ(死しても)世の役に立ちたいとの未練がましいマイクが見て取れます
今のマイクはその通りにしたいならと 神様仏様に見込まれ 精神的延命もされて 余命のある限り 世直しの何かを 命掛けてでもできるチャンスを頂いたのです

マイクの生前葬で 多くの絆がまだまだある事を確かめられて また 生前に準備したこの辞世の句もまた ピッタリで これからの余生を 命を賭けてでも 世の中の片隅を照らし続けるべしと定められた運命であるその事を この句は自分に教えてくれているのです

実は そんなに上手くいくのか自信のないほど その後は くたばり掛けているマイクですが 明日は 去年もあった宇治小倉のパスタイムでのギター仲間のお祝いパーティで 親父ダンス「ロスホコス」として呼ばれているので 喜んで頂ける限り踊ってきたいと思っています
早速 命を掛けて!?
よく考えると 去年と違って 去年は老人が頑張っているところを見ていただいたのですが 高齢とはいえ元気なフォーク仲間に喜んで頂けたのです
今年はわざわざALSの患者のソロ 然もネグリジェを着せられた爺さんが エロ爺 を晒して踊るのです
お祝いの席に如何かではなく 去年の絆を大事にして頂いたものとしか思えません
生前葬であれだけ一体になって頂け事がまたあるのだと!
そしてこれからも 弱者が元気な方々にも何か共感することで繋がることができることを 明日も体験できるかも知れません

そうだ!明日は 「とろみ材」を持っていかないと!お酒にも到頭 要る様になりました!コクのある酒をチビチビ飲みで 元気な皆さんをお祝いできたらと 楽しみにしています

追記:3連休で自宅外泊するについて 副看護師長さんは マイクの誤嚥を心配して 病院の吸引器を持ち帰る様に手配していただきました
パーティに行くとはとても言えませんでしたが 気を付ける積りです

恥ずかしいマイクをふたつ告白します

まず一つ目は 今 清水さんからの返信を読んで 気付かせて頂いたことです
清水さんのお父さんとのお話から マイクにも家内との絆と言うものがあったのだと 思い知りました
父息子の血の絆があっても難しいのに それがない家内とは命の絆というものに縛られて?いたのです
こんな恥ずかしい事をと思いながらも 正直に話したくなる程に嬉しくなれたことを いつものお言葉の中から見付けられたことに感謝します

ふたつ目は 昨夜も 自ら知人友人の絆を裏切るような恥ずかしいマイクであった事を告白しましたことです
実は それも唯 自分の狭い心の中だけで済ますのではなく 今考えると 皆に恥を晒して心配させるだけの仕掛けまで 4月8日の入院の時には用意してたのです

元々役行者や仙人に憧れ 山が好きなマイクには 「閉じ篭り念慮」があったのです
マイクの最期は 白隠禅師の病を癒したと言われる白幽子の修行した京都瓜生山の巌居で 酒だけで断食死すると決めていたくらいなのです
元よりネガティヴマイクの人付き合いはシャイで孤独好みなのです

転院地獄ならまだマシで この先の看取られ場所が 「その他47万人」の「死にたくても死ねない老人」となることしか考えられないマイクを 白幽子が手招きしているのです
入院先も分からぬまま 最悪を考えながらも 遁世の夢を叶えられたらとの夢を捨て切れませんでした
その時に格好悪く惨めなマイクの記憶をこの世に残したくないとの思いもあって せめて賀状を交換している方々には 年賀欠礼の案内を兼ねてこれまでの感謝とお礼を報告すべく 次のような葉書を 宛先も印刷しすぐにでも投函する覚悟で リハビリ入院先にまで持ち込みました

『皆様にはご健勝のこととお喜び申し上げます
いつも年賀状でぼやいてばかりでしたが 先の夏から 私は 不治の難病ALSを発症し 余命分からぬ状況ですが 何れ尊厳死を選択いたす覚悟です  金沢で生まれ育ち親兄弟に恵まれ 友人にも恵まれ 大学で物理を学び 山に遊び 社会人としてまた恵まれて 家庭と子供に恵まれ 50歳からスイムバイクランに嵌り クライミングやインラインもやりました  また退職後は多くのボランティア仲間と またダンス仲間にも恵まれた人生でしたが 最後はまさかの運命に驚くばかりです  それでもマイクは10年前から終末期老人には安楽死支援施設の必要をブログで考え続けてきました  奇しくもその当人になったことで 誇りをもって実践の覚悟ですが 現状ではとても死ぬことは簡単ではありません
ALS確定後の毎日は エンジョイ・デスを享受すべく 断捨離と友人とのお別れを楽しみに過ごしてきました  78歳既に思い残すことなくその時が来れば 家族葬だけで献体する積りです
最期は不確かでも確実に近付いて参ります これをもちまして ご放心のことお願いしてお別れしたいと思います  生前受けましたご厚意に感謝を申し上げるとともに お会いできなかった方からは哀悼を頂けたらとの思いを手紙にしました
誠に失礼ながらこちらからの勝手なお別れをお許しください
不遜を覚悟の私を ご理解お願いします
マイクスタンディングこと藤井幹明(よしあき)』

良くも悪くも無駄な仕掛けに終わりましたが 恥ずかしくもマイクだけでなく家族からの検閲を受けて用意したくらい真剣だったのです
是非こんな馬鹿なマイクをお笑いいただけたら 恥を隠したままより気が楽になりそうです
でも本気で笑わないでください 声を出される程だと辛くなります

大切に育てていきましょう

マイクさん

今日感じられたこれだけの絆の存在は、マイクがALSという特別の同情があったにしても、ここにおられる皆さんにもこれ以上の絆をお持ちであるに違いないという事をお伝えしたかったのです。

絆って、自分ではなかなか気づけないものですね。かたく結ばれて、守られているにもかかわらず、そのことに気づかない。そのことに気づくのは、多くの場合失ってからかもしれません。それはとても悲しいことですね。

ぼくは4年前父を亡くしました。ぼくが60歳、父が87歳の時でした。そんなに長い時間一緒に生きてきたのに、決してわかり合うことはありませんでした。反発しあい、時には憎しみあい、背中を向け合うそんな関係でした。ひとことで言うと、とても嫌いな父だったのです。でも、あたりまえのことですが、ぼくらは父子という絆で結ばれていました。

ぼくがそのことに気づいたのは、父の命の灯がまさに消えようとしたその時でした。父の命の時間が限られた時、大嫌いな父だけど、ぼくが看取らなければと思い、京都と鹿児島を往復する暮らしをはじめました。そうするうちに、父の口から信じられない言葉を聞いたのです。

「すまん。苦労かけるな……」
それに対してぼくは自然に答えていました。
「嫌いでもあんたの息子やからな。しゃあないやんか。苦労なんて思ってない」

父の言葉に驚いたのはもちろんですが、その言葉に素直に答えた自分に驚きました。俺とこの人は親子なんだ、と。その関係はどちらかが消えていなくなっても、絶対に消えることのない関係なんだとわかりました。でも残された時間はわずかでした。ぼくが1分1秒を惜しむように父の話を聞いたことは言うまでもありません。そうしてようやく父という人がなんとなくわかったような気がしました。父がぼくのことをわかってくれたかどうかはわかりませんし、決して好きにはなれませんでしたけど(笑)

おたがいがおたがいのことを、いろいろ考えた結果として、摩擦や衝突が起きる。思いが募れば募るほど、自分の思いが届かない苛立ちや、失望が、新たな摩擦や衝突を生み出す。そんなことはわかっているはずなのに、なのに素直になれない。そんなことを繰り返してきたのです。
でも、そのことに気づかせてくれたのは、ほかならぬ父だったのです。それを絆と呼んでいいのかどうかもわかりませんが、父とぼくの絆を気づかせてくれたのは、大嫌いな父であり、大好きな父だったのです。
父はいなくなりましたが、ぼくは父が気づかせてくれた絆を大切に生きていこうと思います。 

絆を気づかせてくれるのは人。マイクさんを支えようとする大勢の人を目の当たりにして、強くそう思いました。ぼくもその輪の中に入っていることをうれしく、誇らしく思います。

マイクさん

その輪を、絆の輪をもっと大きく、何重にもひろげていきましょう。
そうしてみんなで生きていきましょう。ひとりの力では何もできないかもしれません。でもまずそのひとりが何かをはじめないと、何もはじまらないと思います。マイクさんを中心にひろがりはじめた命の絆。大切に育てていきましょう。

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