ひとつの道

胃ろうから栄養を注入する

マイクさん

南日本新聞の連載が終わったことは、前回お知らせしましたね。
終了後、多くの方から感想が寄せられています。今日はその中からひとつ紹介したいと思います。鹿児島市のお隣り、日置市在住の女性からのお便りです。彼女は随分熱心な読者だったようです。
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新聞の連載、終わりましたね。
読み応えがありました。また、いろんなことを考えさせられた連載でした。
胃ろう造設を、アカンベー!と拒絶したお婆ちゃん!最高でしたね。
私は、経管摂取と胃ろうの2択に悩みました。義母でしたが、食事が飲み込みにくくなって流動食でも誤嚥(ごえん)する危険性が高くなりました。誤嚥するようなことになれば肺炎を起こしてそれこそアウト。カテーテルを使って胃に直接栄養を送るか、胃ろうを造設するか……。
お腹が空いたまま死ぬというのは残酷だなと思っていても、私も家族も胃ろうの知識もなければ、それが延命治療のひとつであることも知らなかった。全く無知だったのです。
義母は意識はあるけど判断力はない。自分で選択することなど到底無理でした。胃ろうにしろ経管摂取にしろ、たとえ知っていたとしても何が最適なのか、やっぱり分からなかっただろうなと思います。
だから清水さんが取り上げてくれたマイクさんの悩む姿、決断する姿、それを支えるご家族のあり方は、悩んでいたのは私達だけじゃない、誰だって悩んで当たり前なんだということを教えてくれました。正解なんてないし、自己満足かもしれないけれど、悩んでよかったと思えました。
取り上げてくださって、ありがとう!
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ね、マイクさん
最後まで社会と関わり続けるって、こういうことだと思います。
マイクさんの苦悩、選択、決断は、結果として誰かの苦悩、選択、決断を直接的にサポートすることにはならなかったかもしれませんが、あるいは何らかの結論に導くことはなかったかもしれませんが、明らかにひとつの道を示したと思います。あなたの生き様に触れたそれぞれの人が、自分の立場に置き換えてさまざまに考える材料として受け止めてくれていると言ってもいいでしょう。
こうやって感想を届けてくれるということが、その証です。
僕自身は、あなたに最後まで関わることで社会と関われたと思っています。
そしてこれからも関わり続けたいと思います。

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結果を求めずひたすらに

清水哲男写真展「種子島物語」@京都文化博物館JARUFO京・文博(2022.4.20〜5.8)

マイクさん

どうもいかんです。またまたずいぶん遅れてしまいました。忙しさを言い訳にするのはいちばん情けないですが、ほんとうに忙しい日々を過ごしていました。4月20日から5月8日まで京都文化博物館で写真展「種子島物語」を、ほぼ同時に4月24日から5月15日まで鹿児島の蒲生和紙ギャラリーである陶芸家との2人展と、身体が二つあっても足りないような状況にありました。で、ついつい……。

考えてみると、この歳になってこんなに忙しい日々を過ごせるのは、ひょっとしたら幸せなのかもしれないですね。これは多くの人の力添えで実現したことで、ほんとうに人に生かされ、活かされているんだとつくづく思います。だから忙しいなどと言ってはいけないと思いながらもついつい……。
空の上のマイクさんから「何をやってるんだ!」って叱られそうな気がします。すみません、ちゃんとします。

マイクさん、ご報告です。
あなたとのこの往復書簡を切り口にはじまった南日本新聞の〈「生きる」宣言〉が、今月の第4水曜日25日に最終回を迎えます。当初は1年12回の予定でしたが、なんと3年36回の連載となりました。そのうちの24回は、マイクさんの自慢のお孫さんまひるさんに写真を撮ってもらいました。彼女には大変きつい撮影になったようですが、いろんなことを思い悩ながら泣きながら、ちゃんと撮り切ってくれました。彼女の写真がなければこの連載は成り立っていなかったと思います。そういう意味でも、僕はこの連載で多くの人の力を借り、支えられてきました。もちろんマイクさん、あなたとの出会いがなければ有り得なかった話です。関わってくれたすべての人に深く感謝したいと思います。

そうしてこれは終わりではなく、新しいはじまりだと言っておかなければなりません。人が生きて死ぬ意味を、これからあらためて追究していこうと思っています。社会のためではなく、誰かのためではなく、自分のためではなく、何かのためではなく、考えること自体を目的に結果を求めずひたすら考え続けていこうと思います。その傍らには、マイクさん、あなたがいるのです。

これからもここで、僕の思い、考えを、あなた宛に書いていきます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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マイクさんの遺産

今年のテーマは「種子島物語 文化打ち寄せる渚にて」 新しい展開を目指します

マイクさん

またまた9日に間に合いませんでした。

本当に申し訳ありません。約束したことを、2度も続けて違えるなんて、だめですね。でもね、実は、少々忙しい日々を過ごしているのです。そのことは前回も報告しました。鹿児島と京都で同時に写真展をやるってことです。

京都の方は、マイクさんもよくご存知の石田淨さんと、昨年からいろいんな取り組みをやってきているのですが、去年は10月に京都文化博物館のJARFO京文博で写真展をやり、今年は4月20日から5月8日までふたたび写真展をさせてもらうことになりました。浄さんの強いプッシュがあったからです。
テーマは「種子島物語 文化打ち寄せる渚にて」と、新しいテーマで挑むことになりました。

新しいテーマで、新しい写真展というわけですが、マイクさんもお察しの通り、僕は5年、6年、時には10年以上かけるという長っ尻の取材を続け、写真展を開いたり、本を出版するというのんびりしたテンポで生きてきました。だから毎年のように新しいテーマでということになると、僕にとっては本当に大変なことになるのです。必死になっている光景が目に浮かぶでしょう。ほんと、必死のパッチという感じです。

だけど、これから先何年仕事ができるのかと考えると、このあたりで仕事という意味での人生の第4コーナーにさしかかっていると、ちょっと腹をくくり直して頑張ってみようと思ったわけです。

大きな理由は、淨さんが真剣に僕のことを考えてくれて、物心共に支援してくれていることと、その淨さんと僕を結びつけてくれたのが、他でもないマイクさんだからです。

マイクさん

僕はこの忙しい日々をマイクさんの遺産だと思って、真正面からぶつかっていくことにしました。人の評価を恐れずに、謙虚に自分自身を追求し、徹底的に自分を追い立ててみようと思っています。成果はそのあとに必ずついてくるはずです。そうしてあなたが、研究者として、探求者として、身をもって様々な課題にぶつかっていった姿勢、思いも、しっかり受け継いでいきたいと思っています。

空の上から見ていてくださいね。

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ごめんなさいの巻

綺麗な月を見ていて、あっ、と思い出しました

マイクさん

月命日には必ずアップしますなどと、大見得を切ったくせに、3月9日のアップを失念していました。
ごめんなさい。でもね、マイクさんのことを忘れていたわけではないのです。新聞の連載や、いろんなコラムを書くときに、必ずと言っていいほどマイクさんならどう思うだろう、どう言うだろうと考えるのですよ。

南日本新聞「『生きる』宣言」3月23日朝刊掲載

でもね、ちょっとばかし忙しすぎました。なので、書いたつもり、アップしたつもりになっていたのですね。ごめんなさい。
ちょうど月命日の頃に締め切りを迎える新聞連載〈「生きる」宣言〉では、ALS・難病をテーマに書いていて、マイクさんの話題も必ず登場します。3月もそうでした。なのでついつい書いたような気になっていたのです。

紙焼きに汗を流し

またその頃に、京都と鹿児島2カ所でほぼ同時期に違ったテーマでの写真展開催が決まり、バタバタにが吹き荒れる真っ只中に突っ込んでしまったのです。単細胞の僕は、一度にいくつものことをこなすのがとても苦手で、右往左往でんぐり返し状態の中で、ヘロヘロで仕事を続けています。
実際にその光景を見たら、「よくもまあ……」と苦笑いされることでしょう。

展示計画に頭をひねる

マイクさん

そんなわけで、今回はごめんなさいの巻になりました。
来月は必ず!

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僕の悩み

どんな思いでマイクさんは生前葬に臨んだのだろう ENJOY DEATH(2019.6.29)

マイクさん、僕はちょっと悩んでいます。

最近のことです。多発性硬化症の患者さんとその家族と知り合いました。この病気はALSのように確実に死に至るという病気ではありませんが、手足のしびれやめまいが現れては消え、そのうちにものが飲み込みにくくなったり、しゃべりにくくなったりするそうです。手の突っ張りや痙攣も現れる人もいると。治療により寛解するけど完治は難しく、稀ではあるけれど寝たきりになる人もいるそうです。知り合った患者Aさんは、その稀な例で、70歳で発症し8年をかけて再発・寛解を繰り返し、その度に緩やかに進行し、最近はベッドの上で過ごすことが多くなったようです。ご家族の言葉を借りると「ほぼ寝たきり」だそうです。もちろん日常生活に介護・介助は欠かせません。

会って欲しいと請われ出かけたのです。
「父の早く死にたいという思いを聞いて欲しい」と。覚えていますか、マイクさん。あなたもALSの診断がついた直後、口を開けば「生きていても意味がない」「死にたい」「安楽自死を」「尊厳自死を」をなどと口走り、家族や支援しようとする仲間をずいぶん困らせましたね。その本心を聞きに出かけたのがマイクさんと僕の出会いでした。そのことを思い出しながらAさんに会いに出かけたのです。

予想していましたが、デジャヴかと思いましたよ(笑) Aさんは、まるであの時のマイクさんのように「生きていても意味がない」「死にたい」と繰り返しました。ただマイクさんと違ったのは、まだ具体的な自死の仕方を考えていなかったことくらいです。「体の自由も効かなくなったので、自力で命を絶つこともできない。情けない」という言葉も、マイクさんのものでした。
その理由を問うと、
「もう死ぬのを待つだけ。介護してくれる家族のお荷物。迷惑をかけるだけ。治療の甲斐もないし、高い医療費だけがかかる。社会のお荷物、迷惑でもある。消えてなくなればすべて解決できるし。私も苦痛から解放される」
と自嘲気味な笑みを浮かべながら消え入りそうな声で答えてくれました。家族のひとりは言いました。
「家族は誰も迷惑だなんて思っていませんよ。だって家族じゃないですか。どんな姿になっても生きていて欲しいと思いますよ」
別の家族も言いました。
「迷惑だなんてとんでもない。誰ひとり介護を厭う家族なんていない。だけど本人が死にたい死にたいと口走るのには心が折れそうになるし、力が失せてしまいます」
ほらこれもマイクさんの時と同じだ(笑)

ということは、と思いました。難病患者の誰もがこういう思いを持って生きているのだと。この国のような医療先進国、社会福祉先進国と言われる社会に生きていても「介護してくれる家族のお荷物。迷惑をかけるだけ。治療の甲斐もないし、高い医療費だけがかかる。社会のお荷物、迷惑でもある。消えてなくなればすべて解決できるし。私も苦痛から解放される」などと思わざるを得ないだと。難病患者だけではなく高齢者もこんなふうに思っているのかもしれませんね。僕らがつくり続けてきた、積み上げてきた社会、制度、暮らしってこんなもんだったんだと。こんなに夢も希望もないものだったんだと。とても残念な気分になりました。同時にマイクさんや、同じように難病で命を落とした大勢の人に、僕ら第三者、つまり社会はなんて冷たかったんだろうと思いました。

今もし、マイクさんがAさんのこの言葉を聞いたらなんと答えるだろうと、ちょっと意地悪なことを考えてしまいました。そして今なら「安楽自死を」「尊厳自死を」と言い続けたマイクさんの本心をちゃんと探ることができるのではないかとも思いました。どうも僕はマイクさんと向き合っている時、第三者の目を、立場を忘れ、ほぼ当事者として喜怒哀楽の虜になり冷静さに欠けていたように思います。そこが今の僕の悩みです。

マイクさん
僕はマイクさん同様、Aさんとも付き合い続けたいと考えています。もちろん僕の悩みとも向き合いながら。そのことでマイクさんとの対話をもう少し続けていきたいとも思っています。

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大切なものを伝えるために

生前葬ENJOY DEATHのマイクさん 2019.6.29

マイクさん

新年を迎えると、ああ時間の経つのは速いなあとつくづく思います。
一休禅師に、

正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

という歌があります。めでたい正月も自分の寿命、死に向かってまた一里(1年)進んだと思うと、そう喜んではいられないというくらいの意味でしょうか。人間は誰もが死に向かって、それでも前向きに自分の〈生〉を生きているということですね。死にゆく自分とそれでも生きてゆく自分の間を揺れ動きながら。

僕はあなたとの1年半の交誼の中で、人が生きて死ぬ意味を、それでも生きていく意味を嫌というほど考えました。こう書くとなんだか陰気で暗い毎日を送っていたように見えますが、とんでもない、まったくその逆で、どうせ死ぬんだったらマイクさんのように〈死にゆく過程〉を楽しんじゃえと思いながら日々過ごしてきました。まさに〈ENJOY DEATH〉ですよ。

「どういう意味だ!? 死を楽しむって」とは、この〈往復書簡〉をはじめて以来多くの人に言われ続けてきたことでした。こんなこと、ちょっと考えてみればすぐにわかることですよ。死を楽しむなんてできないです。できることは死に至る日々をしっかり楽しむということ。つまり毎日毎日、その1日を精一杯生きる、楽しむということなんです。最期の瞬間までね。だから僕は今日もこの瞬間を楽しんでいます。

「思い出さえあったらいつでも会える」
これは母清水千鶴の口癖です。両親、兄弟、多くの知人友人を見送り90歳を過ぎ、そうして92歳で最愛の夫を見送りました。94歳で可愛くて仕方のなかった孫、曽孫と別れ、住み慣れた京都から鹿児島に移り住みました。さみしくないかと問うと、
「出会うことがあったら必ず別れはある。けど、思い出さえあったらいつでも会える」と笑って答えました。「心の中でみんな生きてる。みんな笑うてる。そやし大丈夫や」と。
こんなことも言っていました。
「死というのは、健全な肉体が地球からぽとりと落ちて宇宙に還ること。人の命は宇宙の一部。そやしうちが死んでも、みんなの中で生き続けるんや。いつも一緒や。みんなそうなんやで」
97歳の母は、そう言いながら毎日を精一杯楽しみながら生きています。〈ENJOY DEATH〉そのものなのです。

マイクさん
あなたと会えなくなったことはさみしいけど、思い出の中をのぞいてみれば、あなたの姿、あなたの言葉がはっきり浮かび上がります。あなたはいつも僕の隣にいるのです。生き方に迷った時はあなたと一緒に過ごした最後の1週間を思い浮かべます。父と過ごした最後の1週間を思い浮かべます。よみがえる思い出の一つひとつが僕の背中を押し、一歩前へ踏み出す力となるのです。
母の言葉を借りれば、父もマイクさんも僕の中に生き続けているのです。僕にはまだそれが何なのかはっきりとはわかりませんが、何かとても大切なものを伝えるために。それをしっかり受け継ぎたいと思っています。

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不滅の存在

生き続けるための工夫をしていた頃

マイクさん

僕は今真っ青な京都の冬空を見上げながらこの文章を書いています。この空を見ていると、あなたがそこここで笑っているような、不思議な気分になってきます。いえ、事実あなたはこの世界から消えてなくなったわけではないと強く感じることがしばしばあります。今日はそんな話をしたいと思います。

マイクさんとのこの往復書簡を切り口にはじめた南日本新聞の〈「生きる」宣言〉が、先月で36回目を数えました。3年です。あなたが旅立ってから16回も続いたことになりますし、僕はまだまだ続ける予定でいます(新聞社がどういうかはわかりませんが……)。
覚えていますか。マイクさんがALSだと診断された直後「死にたい」とこぼす度に、「ギリギリまで生きて社会と関わり続けましょう。生きた痕跡を刻み込みましょう」と僕が言い続けたことを。連載を続けてきて、あなたが社会と関わり続けてきた痕跡を、今強く感じています。

36回目には97歳の母親を看取った男性の話が登場します。彼は医者から食が細り衰弱した母親に胃ろうの造設を勧められました。そのとき彼は思い悩んだのです。97歳という高齢で簡単だとはいえ手術を受けさせるか否かの選択を。医者はこのまま食事が摂れないと、栄養剤の補給だけでは数週間で命の危機を迎えると断言したそうです。胃ろうの造設はまさに延命を意味したのです。

彼は〈「生きる」宣言〉の熱心な読者でした。彼はマイクさんが人工呼吸器を着けるか否かを家族と一緒に悩んだことを思い出します。大切なのは本人の意思だと。97歳の母親が自分自身の人生を、自身の生を命をどう思うか。そのことを大切にしようと決めたのです。彼は僕にこう言いました。
「〈「生きる」宣言〉や〈往復書簡〉を読んだことが私の支えになったように思います。マイクさんがご自身の苦悩をご家族と一緒に乗り越える姿は、死に向かってる生きることの大切さを教えてもらったように思います。母の最期を看取るため、あるいは私自身が自分の命と向き合うための指針になった、参考書といったら変だけど、そんな感じです」と。

マイクさん
ね。あなたの生き方死に方ひとつひとつが痕跡としてある人の人生に関わったのです。そんな人はたくさんいるんじゃないかと思います。そういう人たちが存在する限り、あたはこの世界に存在し続けるのです。そうしてそういう人たちがまた、あなたの生き方死に方ひとつひとつ、生きて死んだ痕跡を次の人たちに伝えていくのです。
僕は思います。あなたは死んで不滅の存在になったのだと。そうして、こうやって続けてきていることを、これからも淡々と続けていこうと。

2021年11月24日付 南日本新聞より
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僕の自転車スローライフ

自転車で颯爽と町を行くマイクさん/撮影・金久まひるさん

マイクさん

10月は往復書簡とばしてしまいました。なにせ10月2日から11月28日まで、京都市内で連続4カ所、写真展をやることになって(実際今その最中なのですが)、とんでもなく忙しい日々を過ごしていたのです。気がつけば11月、そんな感じでした。
新型コロナウイルスの感染拡大で自由に動くことができず、お酒を飲みに出かけることはもちろんですが、仕事すらまともにできない状況でした。ですからほぼ1年半ぶりに動けるぞ!という状況に変わって、ついつい舞い上がってしまったという感じです。

会期中なるべく京都にいて、それぞれの会場に詰めようということで、長く京都にいてあちこち駆けずり回っています。交通費もバカにならないので売れない作家、写真家としてはちょっと困ったなと思っていたのですが、マイクさんが生前自転車であちこち走り回っていたことを思い出したのです。そうだ!自転車だ! しかも中古なら1万円弱で買えるぞ! ということで、まちの自転車屋さんで程度のいい中古車をゲットしました。

自転車に乗って帰る道、いつもはバスやタクシーの中から眺めている光景が随分違って見えました。まちってけっこうゆっくり動いてるんですね。車のスピードに身を委ねていたときは、なんだか気忙しく動かされていたんだなあと。しかも自転車のスピードは自分でつくり出したものですから、これが自分のペースなんだなと、なんだかホッとしました。そうしてマイクさんもこんな風景を、そんなことを思いながら走っていたのかもしれないなと、少し近づけたようでうれしくなりました。いいぞ!自転車!って。

ところがです。悲しい事実に直面しました。マイクさんは僕が大腸がんの後前立腺がんを患ったことをご存知でしたよね。大腸の縫合部と前立腺が癒着していて外科的な処置ができなかったことも。結局は放射線治療でうまくいったのですが、厳然として前立腺は存在しているわけです。ただでさえ排尿に様々な障害を抱えていることも事実です。頻尿だったり、間に合わなかったり……。で、自転車のサドルって、前立腺にもろ悪いんですね。

乗りはじめて数日後、軽快に自転車を漕いでいたら、両足に温かいものがつたい下りてきました。なんの感覚もなく失禁してしまったのです。慌てて主治医に電話で聞いてみたところ、サドルがいけないねという答えでした。「自転車はオススメできませんね」と。僕の自転車スローライフは数日で終わってしまったのです。で、1万円ほど損した!と落ち込んでいて、あっ、と思い出しました。

マイクさんがサドルの前後を逆さまにして乗っていたことを。これなら前立腺に与える影響は小さいのだと。これだ!僕は思いました。試しにサドルを逆さまにして乗ってみました。するとこれが腰掛けて乗っているようで按配がいいのです。しかもいろいろ調べてみると、前立腺を保護する用のサドルもあったりして、僕の自転車スローライフも安心して続けられそうです。

マイクさん
今更ながら思いました。マイクさんの研究者としての姿勢は、日常のあらゆる部分に目を向けるというところからはじまっていたのですね。そしてそれを自分で実践することで一つひとつ検証していくという。
僕は自分のテーマとして〈現実的に生きている人間の暮らしの事実に迫る〉ということを大切にしています。そんな僕にとってマイクさんの思い出の一つひとつが教えになっていると実感しています。

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第二の人生

マイクさんの生前葬「エンジョイ・デス」で写真を撮るまひるさん

マイクさん

8月はあなたの1周忌を営みましたが、父の7回忌もありました。法要を終えて97歳の母がポツリと言いました。
「あと何年お父ちゃんの法要をしてあげられるやろう。次は13回忌かいな。あと6年やね。うちには無理やね」と。
母はよく言います。そんなことにこだわらなくていいと。節目の法要は、日々忙しい人が故人を偲び思い出に浸るためにあるのだからと。
「うちは毎日お父ちゃんのこと思ってるし、毎日が法要やね」丸6年で普通は7回忌ですが、母の場合は父が亡くなって2189日経つわけですから、2189回忌ということになります。そんなことを言って親子で笑いあっています。
「こんな話をしてる間は、お父ちゃんまだここに生きたはるわ」母はそう言って自分の胸のあたりを指差します。父は母にこんなにまで思われてもちろん幸せだし、母もここまで思いに浸れて幸せなんだろうなと思います。ふたりで生きていた頃が、少しも過去になっていない。そんなふうに思います。

マイクさんだってそうですよ。
1回忌をはさんで、マイクさんのことでご家族とやりとりをすることがあったことは前回報告した通りです。あれからひと月経って、お孫さんのまひるさんからメールをもらいました。彼女には2年間新聞の連載コラム〈「生きる」宣言〉の写真を撮ってもらいました。そのことでのお礼ということでメールをもらったのですが、そこにマイクさんの写真を撮り続けていた毎日の思いや葛藤を吐露した手記が添えられていました。
マイクさんの写真は、僕ではなく家族にしか撮れないと考え彼女にお願いしたのですが、手記の中で彼女も「祖父を撮れるのは、家族である自分しかいないのだと思い、シャッターを切り続けた」と記しています。その背景に、死にゆくマイクさんをファインダーを通して見続けることの辛さ、苦しさにさいなまれている彼女自身の姿が浮かびます。僕はとても残酷なことを依頼したのだなと、読み進みながら胸が痛くなりました。
でもまひるさんはこう気づきます。
「ファインダー越しに、この期間、私は祖父と2人だけの対話をしていたのだ」と。そうして病状が進むにつれ表情までなくしていくマイクさんを目の前にして、必死に内面に迫ろうとカメラを向け、苦しみながらもがきながら泣きながら、彼女は毎月写真を送り続けてくれました。マイクさんの命の灯が消え入りそうな、その瞬間にも
「ありがとうと大好きが少しでも伝わるように、私は最後まで写真を撮り続けるのだろう。あと少しでも多くの時間を(祖父と一緒に)過ごせることを祈って」と。
そしてその想いの一部始終をいま伝えてくれたのです。

1年という時間が伝えることを可能にしたのかもしれませんね。まひるさんの中で、時間が経つことによってマイクさんの存在がよりはっきりした輪郭を伴って浮かび上がってきたのだろうなと思います。それは単なる思い出ではなく、一緒に時を過ごした、死に直面する場面を共有した、堅い絆で繋がれた家族としての思いなのでしょう。マイクさんは亡くなってしまったけど、ご家族の中では生き続けているし、新たに生きはじめたと言ってもいいかもしれません。

「あんたはお父ちゃんと上手いこといってへんかったさかい、お父ちゃんのことなんかすぐに忘れてしまうのとちゃうかて思てたけど、そんなことなかったんやなあ。よかったわ」
7回忌の法要の後、母にこう言われました。確かに折り合いが悪く喧嘩ばかりしていた父子でした。でも父の死を経て、それまで父のことを何も知らなかった自分に気づきました。今は少しでも知ろうと父の残した仕事、写真、手帳などを機会あるごとに見るようになりました。僕の中でも父が生きはじめたのかもしれません。そんな話を母にしたら、
「お父ちゃん、第二の人生やな」
と声をあげてうれしそうに笑いました。

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僕らに残してくれたもの

2019年6月29日 生前葬「えんじょいデス」フィナーレ

マイクさん

あなたが旅立った8月がめぐってきました。ちょうど1年になりましたね。
マイクさんと過ごした1年半はなんだったのか。僕はこの1年、ずっとそんなことを考えてきました。ギリギリまで諦めることなく、この往復書簡を通じて、あるいは僕を媒体にして、社会と関わり続けてほしい。生き抜いてほしいと思いながらの1年半だったなあと思います。あなたはそんな僕の思いを受け取って、最後まで思いを発信し続けてくれました。それは僕に、往復書簡をやった意味・意義はそこにあると思わせてくれました。僕にとってはもちろん、あなたにとっても貴重な時間になったはずだとも。その時間はあなたの生きる力を引き出すという意味でも貴重だったと。

だけど、ほんとうにそうなのだろうか……。最近そんなふうに思うようになりました。確かにあなたの生きる力を引き出していたかもしれないけれど、それ以上に僕の力を引き出してくれたのではないかと。マイクさんにとってより、僕にとって貴重な時間だったのかもしれないなと思うようになりました。
僕は、マイクさんと一緒に「生きる」「死ぬ」について深く考え、やり取りすることで、それまで以上に自分自身に生きる意味、死ぬ意味を問いかけ続けてきたように思います。あなたに「最後まで思い切り生きましょうよ」とかけた言葉は、実は自分自身にかけ続けてきた言葉なのだと。極端に言うと、マイクさんは僕自身だったのではないかと思ってさえいます。

ジグソーパズルと言えばわかりやすいかな。マイクさんの思いと僕の思いを集めてはめ込んで、人が生きて死ぬという、人生とはどういうことかを1枚の絵にしよう。ジグソーパズルを完成させよう。1年半の往復書簡はそんなことだったのかなあと。あなたの思いだけでも、僕の思いだけでも完結しない、より深く鮮やかな1枚の絵を描きあげようとしたのかもしれません。多くの人に公開することで、多くの人の思いを合わせることも含めてです。
残念ながらマイクさんを喪ったことで、僕の絵の具は少々数が少なくなりました。だけど僕は、これからもジグソーパズルのピースを探し続けたいと思っています。あなたの思いも受け継ぎ、ジグソーパズルの完成を目指したいと思っています。

マイクさんの1年忌が執り行われた時の話を聞きました。ご家族にはようやく日常が戻りつつあるようです。いろんな思い出話で盛り上がったと雅子さんは振り返っていました。
「そう言えば、大根おろしスリスリおろすのはお父さんの役だったね」
「ウナギの半助(頭)ばかり食べてたね」
「仏さんの花を買いに行くのもお父さんの仕事やったね」
「生協で買い物するのも」
そんな話の果てに、
「まだまだ身近なんだね」
という話になったんだと。

身近にいた人がいなくなった日常に慣れてきたけど、大切なピースがひとつ欠けてしまった。
僕はそんな思いがしてなりません。きっとみんな無意識のうちにそれを探すんだけど、それはもう思い出の中でしか見つからない。
ちょっとさみしいなと思いましたが、そのさみしさがあるかぎり、マイクさんは僕らの中に生き続けているのだとも思います。それこそが、マイクさんが僕らに残してくれたピースなんでしょうね。きっとみんなそれを探し続けるんでしょうね。

マイクさん
ジグソーパズル完成を目指してピースを探す旅は、きっと僕自身を見つけるための旅になるはずです。どうぞ見守っていてください。あらためてよろしくお願いします!

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