苦しむ姿は、生きようとする姿なのです


マイクさん

〈しかし酸素吸入のまま寝転んで朝食を注入した後は元のようにゼーゼー音に戻る。また塞ぎ込んでしまう。これでは生き続ける意味があるとは考えられないと思うばかり〉

苦しそうですね。しんどそうですね。辛そうですね。ほんとうにそう思います。でもね、口ではそう言ってても、そう、その苦しさがさもわかるようなことを言うことはできても、ほんとうにその苦しさを分かち合うことなどできないのです。できることなら共有したいと思います。そうして苦しさ、辛さ、しんどさが半分になればいいなと思いますが、多分そんなことは不可能なんだろうなと思います。
繰り返しになりますが、「わかりますよ」と言ったところで、慰めにもならないし、マイクさんの辛さや苦しみが和らぐわけではないとも思います。僕にできることは、僕だけじゃない、他の誰かにできることは、その辛さ苦しさに寄り添うことだけだと思います。


〈本人の問題は本人が解決すればいいのですがもう力がありません〉

僕は、ちょっと前の返信の中で、「辛さに立ち向かうべきは、苦しさに立ち向かうべきは自分自身」だと書きました。僕は思います。今、マイクさんが抱えている問題、僕が抱えている問題、つまり生きる意味とは何か、生きる意味があるのかなどという問題は、決して解決できる問題ではないと。
死ぬことですべてが解決するとは思えません。これらの問題には向き合い続けるしかないのです。とことん徹底的に向き合い続ける。できるのはそれだけだと思います。

〈苦しむ姿を家族に見せたくなくとも、何もできない。本人よりもっと辛いと思います〉

苦しむ姿は生きようとするからこその姿じゃないでしょうか。それがわかるからこそ、僕は父が苦しむ姿をちゃんと見続けることができました。父は苦しみながら生きようとしていたのです。そういう父を見て、誇りに感じることはあっても、辛くて目を背けるなどということは一切ありませんでした。マイクさんのご家族だって、生きようとしてもがき苦しむマイクさんの姿は見ることができても、辛いから、生きている意味がないから、死んでしまいたいと口走るマイクさんを見ることは、はるかに辛いのじゃないでしょうか。

苦しむ姿は、生きようとする姿なのです。

徹底的に生きないと

下部内視鏡の検査結果

マイクさん

〈清水さんのご様子が気になり……〉

僕は5月28日に、大腸がん手術後2年半の下部内視鏡検査を受けました。その直前のCT、血液検査では異常がなかったので少々たかをくくって臨んだのです。下部内視鏡検査というやつは、検査自体より時間をかけて下剤を飲んで腸内を洗浄するという手続きがけっこう大変で、あまり気が進まないのですが……。今回も耐えました。その上で辱めを受けるわけです。仕方ないですが。

結果として、見つかりました、10mm大のポリープが。即座に切除し、縫合して、クリップで止めて処置はすぐにすみました。それが良性か悪性かは生検の結果を待つことになります。悪性だったら、その時はまた何か治療の方法を考えないといけないのでしょうが、今はそのことについては忘れようと思っています。気にしても仕方ないですから。それこそなるようになれ、なるようにしかならない、ですね。

内視鏡での切除とはいっても、一応手術ではあるので、いろいろと制限をつけられました。あれを食べたらだめ、これを飲んではだめ、はもちろんですが、お腹をよじってはいけないとか、お風呂に浸かってはいけないとか、そうそうもちろんお酒は2週間はだめということでした。その上で、腹痛や下血があればすぐに病院に連絡するようにと。

で結局2日目の夜に激しい腹痛に見舞われ……。

いろんなことがありますが、これが僕の人生だとこの頃は肯定できるようになってきました。〈なんで俺だけ何度も何度もがんの不安にさらされないとならないのか〉と腹が立ったり、失望したり、嘆いたりしてましたが、最近では〈まあしゃあないね。逃げても、後ろ向きになってもしゃあないしね〉と思えるようになったのです。がんが見つかり、治療をし、また見つかる。僕はきっとそんなことを繰り返して生きていくのだと思います。そうやって生きて死んでいくんですね。

すると不思議な感覚になりました。死を肯定することで、生をも肯定する。そんな感じだなあと。裏を返せば生を肯定することって、死を肯定することなんでしょうね。でね、マイクさんの最近の書き込みを見て思うのですが、

〈早く死ぬようなことはできないのに ・・・・・〉

に象徴されていると思いますが、マイクさんは自らの〈生〉も〈死〉も肯定できてないのかなあと。
僕はマイクさんの〈死〉を肯定したいと思います。そのことでマイクさんの〈生〉を肯定したいと思います。すると人はなぜ生き、なぜ死ぬのかという問いが見えてきます。それこそが僕自身が僕の明日を生きていく燃料になるのです。そうすることで誰の〈死〉も決して無駄にはなりはしない。そんな気がします。僕の〈死〉もマイクさんの〈死〉も。

マイクさん
死にたいのなら、まず生きることからじゃないでしょうか。徹底的に生きないと、ちゃんと死ねない。「死にたい」がただの泣き言に聞こえる。僕はそう思います。

僕はとことんもがきます

マイクさん

またまた怒涛の連投ですね。僕は素直に感心してしまいます。すごいパワーだなと。いや、ほんとにすごいですよ。マイクさんは、落ち込んだり、後ろ向きになったり、嘆いたりしながら、それでも実はすごいパワーの持ち主なんだと思います。そのエネルギーを僕にも少しでいいから、分けて欲しいな。

〈次女の作ってくれた文字盤があれば、指の力が少しでもある限りなんとか意思表示できると決め込んで気切を覚悟しました〉

アナログな文字盤のことですね。ですよね、少しでも手が動いたり、指が動く限りは意思表示というか、コミュニケーションできますね。というか、ほんの少し指が動くだけでも、タブレットやパソコンのキーボードで入力する方法はあるだろうし。意思表示はできると思います。ちなみに元衆議院議員の徳田虎男さんはALS患者ですが、ずいぶん前にMBCの藤原さんがインタビューをしていましたが、身体はほとんど動かないのですが、透明の文字盤を目で追い介助者に読み取らせて意思表示をするという方法をとっていました。介助者の慣れもあるのでしょうが、かなりのスピードで会話が成立する光景に驚いたことを覚えています。何が言いたいかというと、コミュニケーションの方法はあるということです。

でもマイクさんはせっかちみたいだから、時間がかかったり、相手がなかなか読み取れなかったりということに、すでに耐えられないのですよね。それはわかります。でもね、コミュニケーションっておたがいの歩み寄りじゃないかなとも思うのです。たとえば看護師さんなら、マイクさんがいうように忙しいですから、「何が言いたいの?」「さっさと言って!」みたいなのが、きっとイライラになったり、煩わしくなったりというのが顔に出るんでしょうね。そうなるとマイクさんもシラケちゃって、もういいやってなっちゃう。

家族はもちろん長く一緒に生活してきたわけですから、単語ひとつ、いや、「あ〜」という一声だけでも何が言いたいのかわかってくれるかもしれません。でも、昨日今日知り合ったような関係の浅い看護師さんたちですから、いくら仕事とはいえなかなか理解できなくても仕方ないかなとも思います。やはり、諦めずに歩み寄ることでしか解決できないのでしょうね。1回で通じなかったら2回、3回とチャレンジすることです。期待を込めて1回言えば通じるはずだと思っても、この間に無理なことだと十分すぎるくらいわかったはずです。だったらしつこいくらい粘りましょうか、繰り返しましょうか。そうやって時間をかけることで、歩み寄れるんじゃないかな。甘いかな。

〈何しろメッキリADLが落ちて、ベッドから起きて上肢部にタブレットを置くのも中々できない〉
〈この先のADL低下で生きる意味はと考えると絶望的で〉

でね、この怒涛の連投を見ていて、読んでいて思うのです。これだけ長い文章を書くことができて、自身の落ち込んだり、後ろ向きになったり、嘆いたりを、思い切り吐露できてるんじゃないかと。言いたいこと言えてるじゃないですか。ADLは誰だって年を重ねれば、老いれば低下していきますよ。それは仕方のないことですよね。衰えるスピードは人それぞれですが、衰えるのは誰しも同じ。僕だってそうです。ADLが落ちていくのはマイクさんだけではありません。みんなそうなんです。でもマイクさんはALSがあるから、人より随分早いというのは事実ですね。

でも79歳で、タブレットを使いこなして、こんなに長い文章を書き続けている。文章を書くということを考えると、ADLは落ちても文章を書くことで得られる到達感や達成感、砕いて言うと「言ってやった感」というのはとても大きいんじゃないでしょうか。入力がしんどくて辛いとしても……。それってQOLに繋がるんじゃないでしょうか。

〈これでは知人友人までに生き様を見て欲しいとは思えない予感がします〉

風景としての、姿としての生き様と、この文章ににじみ出る生き様は、随分と違うもの、かけ離れたものなんでしょうか。僕は、マイクさんはすでにこの「往復書簡」で十分すぎるほど生き様をさらけ出していると思います。何を今更と言えば少々言葉が強いかもしれませんが、そう思います。みなさん、もう、見ちゃってる。
そこいらの79歳のおじさんを見て、ここまでハイテク、IT駆使して言いたいこと言ってるおじさんは、そうざらにはいませんよ。だから、マイクさんのQOL、生活の質は高いと思います。

〈何しろどんなにもがいても死ねないのです。何時までもがき苦しまないといけないのでしょうか〉

これって、みんなそうじゃないでしょうか。どんなにもがいても死ねないのですよ。多分死ぬまで、死ねる時までもがき苦しまないといけないのでしょうねえ。それが「生きる」ということだと、父の死に様を見ていて思いました。僕はとことんもがこうと思います。親父にできたんだから、僕にできないはずはない。そう思います。

死にたいなんて言わせない

マイクさん

怒涛の書き込みですね。なかなか追いつけずに申し訳ありません。

僕はここ数日激しい腰痛で、身動き取れない状況にあります。起きて椅子に座ることも辛いので、床に寝そべりながらパソコンやタブレットで仕事の真似事のようなことをしています。カッコだけです。仕事してるフリをしているだけです。

〈分かって欲しいのです〉

マイクさん、辛そうですね。苦しそうですね。でもね、その辛さ、苦しみは、マイクさんのものなのですよ。マイクさんが辛くて、苦しいのです。僕は決して「わかりますよ、その辛さ、その苦しみ」とは言えません。それは僕の辛さ、苦しみではないから、わかろうとすることはできますが。わかりはしないのです。「わかりますよ」と言ったところで、慰めにもならないし、マイクさんの辛さや苦しみが和らぐわけではないとも思います。僕にできることは、僕だけじゃない、他の誰かにできることは、その辛さ苦しさに寄り添うことだけだと思います。

僕だって、多分マイクさんほどではないにしても辛いこと、苦しいことはあります。人に言えないこともあります。でも、わかってほしいとも思いません。わかってくれる人はいるでしょうし、手を差し伸べてくれる人だっているはずです。でも、わかってほしいとは思いません。辛さに立ち向かうべきは、苦しさに立ち向かうべきは自分自身ですから。僕は自分の辛さ、苦しみに、自分で向き合おうと決めています。支えてくれる人は、応援してくれる人は、実際に力を貸してくれる人は大勢います。決して孤独ではありません。でも立ち向かうのは僕自身なのです。

〈言いたいことはいっぱいあるが文字盤では控えてしまう〉

でもねマイクさん、どんなにもどかしくても、面倒臭くても、結果として通じなくてイラついたとしても、何がどうあるのか、何をどうしたいのか、どうしてほしいのか、ちゃんと伝えないとはじまらないと思います。あきらめないでください。思っていることのすべてを伝えてください。

〈そんなの要らない「早く逝きたい」と……〉

それから、マイクさんに寄り添いたいと思っている人は、ご家族や親戚の方をはじめ大勢おられるのではないでしょうか。だとすると、この「早く逝きたい」というひと言はその人たちにとって、ほんとうに辛い、苦しいひと言になるのではないでしょうか。マイクさんはそんなつもりはないにしても、その人たちはマイクさんにそんなふうに思わせるのは、自分の無力、非力が原因だと思ってしまうのではないでしょうか。せめてマイクさんのことを親身になって考えている、思っている人たちが悲しむようなことだけは言わないでほしいというのが、僕の思いです。

家族の縁の薄い僕ならひとりで死ぬことはあるかもしれません。でもマイクさんはちゃんと家族がおられるじゃないですか。今は帰れないかもしれませんが、ちゃんと帰るべき自宅も、迎えてくれる家族もいるじゃないですか。そう思うだけで、辛さや苦しみは少々楽になるのじゃないでしょうか。

立ち向かうのは自分自身です。それは孤独な闘いかもしれません。しかし寄り添うべき人たちは必ずいる。そういう人たちのために生きるという選択肢もあるんじゃないかな、と思います。

昔、トシヒデに言ったことがあります。

「お前は確かに筋ジスという不治の病に侵されて気の毒だし、同情はするけど、決して悲劇の主人公じゃない。逆に大勢の人に支えられて幸せだ。その幸せを噛み締めて、じっくり味わうまで、死にたいなんて言わせない」と。

彼は最後に「ありがとう」というひと言を残して旅立ちました。

それを聞いた時、筋ジスという病を得たことは不幸だったけど、彼の人生は幸せだったに違いないと思いました。僕もそういうふうに生きたいと、今、強く思います。

生きようとする限り

マイクさん

「気管切開手術、無事終わりました」

雅子さんから、写真が添えられて知らせが届きました。お疲れ様でした。いろんな人を見てきましたが、慣れると呼吸が楽になるようですよ。ある知人は、口で息をしなくてもいいと笑っていたことを思い出します。

症状が進行して、苦しいことが多くなる。でも、たとえ対処療法にしても、病自体の治療にはならないとしても、日常の状態は楽になったりする。それがQOLになる。そういう理解でもいいんじゃないでしょうか。

それでも、決定的なことは残ります。それは、当事者は、苦しいのは、患者本人だということです。マイクさん自身ですね。僕らはそれを想像したり、思いやったりすることはできますが、決して交代することはできません。できることなら代わってあげたいと思っているご家族や、ご親族もおられると思います。でも、どんなに愛情を持っていても、親身になっていても、それだけは不可能なのです。

母は、自分ががんであることを告白した僕に言いました。「うちはもうこの歳まで十分に生きてきたしなあ、代われるもんやったら代わってあげたいわ」と。もとより僕は母に代わってもらおうなどとは思っていませんでしたが、逆にそういうふうに

思ってくれる母のためにも、僕自身はしっかり生きていかないとダメだと思いました。母のためも、僕のことを心配し、思いやってくれる人のためにも、1日も長くしっかり生きようと。

マイクさん

考えてみれば、これで胃瘻造設、気管切開というチェックポイントを過ぎて〈今日〉に到達したわけです。現世での最後のチェックポイントは〈死の瞬間〉ということになるのでしょう。これは誰1人として逃れられない瞬間です。前回の繰り返しになりますが、だったらその瞬間まで〈明日〉を自分の目で確認しましょうよ。生きましょうよ。

僕は、マイクさんが生きる姿勢を持ち続ける限り、全力でマイクさんを応援します。

生き様を見せて欲しい


マイクさん

〈いよいよ明日の気管切開で、ここ2〜3ヶ月の肺炎防止のため胃瘻から以外 唾も飲み込めない口腔の鬱陶しさから、多分少しは解放されるでしょう〉

いよいよ明日ですね。手術自体は15分程だと聞きました。大変でしょうが、看護師さんの「心配ありませんよ」という言葉を信じて頑張ってください。僕の知人、友人にも何人か気管切開をした人がいます。彼ら彼女たちは一様に手術自体はどうってことなかったと言います。

身体にメスを入れるわけですから、不安はないと言えばそんなはずもないと思いますが、大丈夫ですよ。僕なんてお腹に6カ所も穴を開けて、お臍の下を15センチ切り開いて、40センチほど大腸を切り取りましたが、全然へっちゃらでしたよ(笑) それに聞くところによるとマイクさんの執刀医は「神の手」を持っているというじゃありませんか大船に乗った気分で臨みましょう。って、胃瘻造設で経験済みでしたね、すみません。

〈不治の病なのに手術の改善がどの程度あるのか、その価値があるのか、やってみないと分からなくとも、手術の費用など心配する事もなく、やるのです〉

さあ、そこですね。どの程度改善するのか、価値があるのか……。マイクさんの苦悩の根底には、そのことが大きく横たわっているようですね。それは不治の難病であるALSに、医療費を投じて、手間暇をかけて治療する意味も価値もないと。でも僕は、意味とか価値とかをどうのこうの言う前に、少しでも楽になることは何でもやったらいいと思います。

そう言うと、サッと早く死ぬのがいちばん楽だって言われそうですが。でもマイクさん、マイクさんに限らず僕だって誰だって最後は間違いなく死ぬわけですよ。だったら死ねるその時まで、少しでも楽して生きましょうよ。無駄だ、意味がないなんて言い出したら、死ねるまでの時間自体が無駄で意味がないってことになるじゃないですか。

前々から言い続けてることですが、マイクさんは生き様を見せるだけで、残された時間を生きる意味があると僕は思います。それにだいたい、無駄なんていうことはこの世の中にはないと思っています。すべてのことにはなにがしかの意味が必ずあるはずです。意味を問いだすと、それは程度の問題に帰結しそうな気がします。

たしかに、ノーベル賞をとるような研究者の仕事には意味も価値もあるでしょう。でも無名の研究者の仕事はどうでしょう。人間国宝になった工芸作家の仕事には意味も価値もあるでしょう。でも、僕の父のような無名の職人の仕事はどうでしょう。100万部、200万部という本を売る作家の仕事に比して、1000部、2000部を売り切るのにひいひい言っている僕の仕事は意味も価値もないのでしょうか……。

それぞれの状況、環境、事情の中で、それぞれが生きている。そこに意味があるのではないでしょうか。価値があるのではないでしょうか。ええ、僕は誰の人生にも、どんな人生にも、良くも悪くも意味があり価値があると思っています。だから僕はマイクさんにも、最後まで生きる意味、死ぬ意味を、生き様を見せて欲しいと思っています。

人は誰も、ぶれて歩く、揺れて歩く

マイクさん

こんばんは。緊迫してきた状況が伝わってきます。僕の中でさえ不安がひろがります。マイクさんの不安はどれほど大きいだろうと思うと、とても苦しくなります。

〈口の中の鬱陶しさと、窒息しそうになる危険
今後の治療でも解決するようには思えません〉

僕は、誤えん・誤えん性肺炎を防ぐための気管切開だと聞かされていたので、この件に引っかかりました。気管切開をして気管カニューレを挿入しておけば、痰はとれやすくなるし、呼吸もしやすくなり、完全にではないけれども誤嚥もほとんど防げると聞いています。もっと言うと、その後の人工呼吸器の装着がとても簡単になると。

〈マイクの要望は、早く、薬を使ってでも苦しまなく、です〉

誤えん自体がすごく苦しいし、窒息の危険もありますものね。これは回避しないと。そのための気管切開ですね。それで楽に、しかも安全になるんじゃないでしょうか。で、自発呼吸はまだまだできるわけですから、できなくなりそうだという時に至って、呼吸器を着けるか否かを決めたらいいんじゃないでしょうか。そのための判断材料をしっかり収集しておくということですね。

〈苦しむ時間を少なく、家族の介護を少なく、経済負担も。尊厳死の前に、家に戻り、或いは家で死ぬ方法はないか〉

前段はその通りだと思います。でもこれが〈尊厳死=緩やかな自死〉で実現されるとしたら、後段はありえないんじゃないかなと思います。だって、これは1年以上前に随分話したことですけど、呼吸器を着けないマイクさんを、自宅で見守るというのはとても難しいんじゃないかと思います。公的な介護、訪問看護、ボランティア、家族による24時間の見守りが、きっと欠かせなくなるでしょう。しかもマイクさんは、1日も早く死にたいと言う。家族の献身はなんのためか……、と僕は思ってしまいます。後段が実現されると、前段が成り立たない。

マイクさん

僕は思います。気管切開をすると決めた。今はそこまででいいんじゃないかと。呼吸器を着ける着けないは、ギリギリまで考えたらいいんじゃないでしょうか。きちんと決めた道を進むというのは大切なことだと思います。でも時には既定の道を踏み外してもいいんじゃないかとも。

僕はね、先を見通すのがとても苦手な人間なんです。人からはよく「見通しが甘い」って言われます。でも見通しってなんでしょう。僕はそっちの方がいい加減だと思っています。あらかじめ決めていたことがあっても、もっといい選択肢があれば躊躇なく既定方針を変える。それでいいと思っています。その新しい決断が前へ進む力を大きく強くするのだと。

ただし大切なことがあります。それはふり返った時に自分の足跡がちゃんと見えるということです。真っ直ぐでなくてもいい。右往左往あっちにふらふら、こっちにふらふら、時にはぐるぐる回ったり、大きくぶれたり、揺れたり……。それでもちゃんと足跡が見えて、その揺れがなんのためだったか、なぜ既定の道を変えたのか、ちゃんと説明がつくことが大切だと思っているのです。

しかもそれは誰か他の人に説明するのではなく、自分自身が納得して前へ進むために。
ぶれたり揺れたりすることはダメでもなんでもない。ぶれたり揺れたりを否定することの方が、僕はダメだと思います。

彼女の姿、彼女の暮らし

石橋悦子さん

マイクさん

またまた返信に時間がかかってしまいました。すみません。

5月7日に大腸がん手術後2年半の検査・CTを受け、昨8日に結果を聞きに行ってきました。結果は異常なしでした。何があっても不思議じゃないな、仕方がないなと思っていましたから、なんとなく命拾いしたような、得したような気分になっています。どこまでも単純な僕です。

この間マイクさんが大変な状況に差しかかりつつあること、この往復書簡はもちろん、雅子さんとのやりとりの中で承知はしていました。そうしてマイクさんがどういう結論を出されるのかを静かに見守りたいと思っていましたし、今もそう思っています。

でも僕はあえてマイクさんにお話ししておきたいことがいくつかあります。その1つがADLとQOLの問題です。マイクさんはADLの低下がQOLの低下につながる、あるいはADLが低下すればQOLの向上は期待できないと考えておられるように思います。表現としては「準スーパーのALSのADL(activity of daily life )がどの程度ありQOLを期待できるかは成り行きでしか分からないかも知れません」という程度に留めておられますが。僕には〈身体が動かなくなったら生活の質は維持できない〉って読めるのです。とくに「成り行きでしか分からない」という部分ですね。

自分で求めたら、自分から求めたらいかがでしょう。

僕は身体が動かなくなっても、自分のやりたいことをやり続けている難病患者をたくさん知っています。彼ら彼女たちは、自分のやりたいことを身体がどんな状態になっても求め続け、やり続けてきました。その1例が以下に紹介する石橋悦子さんです。この記事は2004年の記事です。彼女は今でもちゃんと自分の意思で生活しています。身体も動かないし声も出ない。でもちゃんと意思を伝えて、大勢の人と思いを共有しながら生きています。

彼女の姿に、僕はADLとQOLを考えるヒントが隠されていると思います。どうぞ読んでみてください。

PDF版はこちらから

ぼくは悪魔になった気分です

マイクさん

長く返信できずに申しわけありませんでした。

〈身体と意思伝達の不自由がこうも進んでくると、忘れかけていた願望を無視できなくなってきて、ストレス発散するためにありのままを曝け出してしまいました〉

ありのままを曝け出せるこの場があってよかったと思いました。自画自賛ですね(笑)

ぼくが長くお返事できなかったのは、ぼく自身が少々塞がっちゃってて、どこに出口というか、外と繋がったらいいのかわからない日々を過ごしているのです。covid-19のせいですよ。

女優岡江久美子さんcovid-19感染による急死は、本当にショックでした。乳がん→放射線治療→免疫低下→covid-19感染→重症化→死亡。この図式、流れはぼくにもあてはまる。このことが頭から離れず、怖くて怖くて、もちろん外へも出られず、会いたい人にも会えず、行きたいところにも行けず、仕事も手につかず、酒も飲めず……、ただただ閉じこもっているだけの暮らしです。まとまった文章を書くにもなんとなく力が入らなくて。

ずっと1人ですから誰と会うこともなく、通信することもなく(仕事でネットを使ったテレワークはありますが)、1人で感染発症して、1人で死んじゃうんじゃないか。そんなことも現実味をおびているかのように感じます。情けないですね。ガンという治らない病気でさえ、環境や状況でものすごく不安になる。マイクさんの不安や苛立ち、そうして願望の再燃みたいな感じ、なんとなくわかるような気がします。

でね、ぼくはひとつの決心をしました。この不安な時期を文字、音声、写真、映像など、自分にできる記録の方法で徹底的に記録しておこうと。人が見て何か分からなくてもいいんです。ぼくがこの世から消えた後、誰かがそれを見つけて、いろんな解釈をしてくれたらいいと思います。生きている間だけが意思伝達じゃないと思いました。生きている間だけって、やっぱり生きることへの執着なんでしょうね。

ぼくもマイクさんも執着だらけだ(笑)

〈揺れて揺れる〉

揺れましょうよ。で、願望も何もかも、曝け出しましょうよ。そのための往復書簡だったはずですよ。何もかも曝け出しましょう。主治医や担当医、看護師さんたちへの文句や恨みつらみもたまにはいいじゃないですか。曝け出しましょう。

そんなことを煽りながら、ぼくは悪魔になった気分です(笑)

どうぞくれぐれもお大事に

マイクさん

新型コロナウィルスの感染拡大、大変な状況になってきました。そんな中マイクさんは病院から外泊許可が出たそうですね。

ぼくはその話を少々驚きをもって受け止めました。今の状況で考えると、市中感染はもちろんですが、病院内での感染がより深刻な状況を生み出していると思っていたからです。

さらに、ぼくにとって女優岡江久美子さんの新型コロナウィルス感染による肺炎での死はとてもショックなニュースでした。彼女は乳がんの手術後放射線治療を受けたと言います。その結果抵抗力、免疫が低下し重症化に至ったと。放射線治療はそんなに影響があるものだと、あらためて思い知らされました。

で、マイクさんの外泊許可になぜ驚いたかというと、病院はそういう重症化の要因を抱えた入院患者さんが山ほどいるわけで、本来なら人の出入りを厳しく制限するべきだと思っていたからです。許可が出たということは、病院はそれほど危険ではないという認識なんだなと。

実は、京都より状況がましな鹿児島でも入院患者の外泊・外出を制限する病院がほとんどで、家族の面会もほとんどが禁止・制限されているのです。

〈前々から京都の病院の多くは面会禁止で、そうあるべきだと娘達は、家に帰っても父親に近付かないようにしている。土日帰れるようになったとの今朝の連絡に、家内どころか娘達から酷く責められました〉

おそらくご家族の心配は、マイクさんが感染してしまうことにあると思います。マイクさんが今の時点でご家族に感染させるはずはないのですから。どちらかと言えば感染のリスクは市中で生活するご家族に高いはずです。「家に帰っても父親に近付かないようにしている」のは、自分たちからマイクさんへの感染を防ぐためだと思います。

もしマイクさんに感染させたら、マイクさんが感染源になって院内感染がひろがるのではないか。それはとても恐ろしいことです。不安です。恐怖です。

気管切開の時期が迫っていると認識しています。だからこそ帰れる間に帰りたいという気持ちもよくわかります。よくわかるからこそ、ぼくはどう言っていいかわかりません。ご家族もみなさん同じ思いではないかと思います。

どうぞくれぐれもお大事に。くれぐれもご注意を。

そうとしか言いようのないぼくです。すみません。