ありのままに、全力で

東福光治さん

マイクさん

〈彼の様子を見ながら若者の患者とマイクのような年寄りの患者での生き続ける命の意味を考える機会を頂いたとの思いで〉の一節、ぼくもある人たちの生き様に触れて、同じようなことを考えていました。その前に〈豊かでもない人達が死を大げさに考える余裕がどこから生まれるのか〉の行でもちょっと考え込んでしまいました。とても素朴な疑問なのです。

死を大げさに考える余裕があるなら、なんで生をもっと大げさに考えないのだろうか、と。生きることを徹底的に考えた上で死を考えているのだろうか、と。

ぼくには重い障害と向き合いながら生きる友人が何人かいます。彼らの生き様をみながら思うのです。ぼくはちゃんと生きているだろうかと。そういう思いを持たせてくれる何人かの友人を、これから少しずつ紹介したいと思います。

東福光治さん(65歳)は重い脳性麻痺と向き合って生きてきました。自分の意思で動かすことができるのは左右の足だけです。が、立って歩くことはできません。車椅子を離れると座っていることすらできないのです。構音障害のために言葉を発することもできませんし、嚥下障害もあり普通の食事もままなりません。

彼は電動車いすのスティックを左足で操り自力で移動をし、音声発生器付きワープロのキーボードを足の指で入力し意思を伝えます。もっとも簡単なイエス・ノーの表明は、右足を高く上げるとイエス、上げなければノーと、そうやって65年を生きてきました。

いくつか、いやかなりの不自由を抱えながらも、ぼくとまったく同じ時間を生きてきたのです。ぼくとまったく同じ、酒が好きで、少々エッチで、冗談の好きなおじさんなのです。でも彼がぼくと違うところは、彼がれっきとした画家であるということです。これまでに鹿児島県県美展に何度も入選、入賞した経験を持ち、多くの尊敬を集める芸術家なのです。

彼がどのようにして絵を描くのかというと、自由のきく足に下駄を履き、特別な器具をつけてそこに絵筆をつけて絵を描くのです。はじめて県美展に入賞した時、審査にあたった審査員はその絵を純粋に評価しました。それどころか彼が重度の障害を持っていることなど知らされてはいなかったのです。後に審査にあたったは「東福さんの絵には生きる力と生きる喜びがあふれていると、誰もが感じたと思います。テクニックやうまさじゃない、ありのままの描きたいという思いが素直に表現されているんですよ」と話してくれました。

ぼくも彼の絵に秘められた力に惹きつけられたひとりです。鹿児島の出版社から出した本の表紙に彼の絵を使わせてもらい、何点かの挿画を描いてもらいました。その作業の合間に彼と話し合ったことは、今も忘れることができません。ぼくがつまらないことを聞いてしまったのです。

「もしあなたに障害がなかったら。あなたはどんな画家になっていただろうか……」
「障害があるなしは、絵を描くことに関係はない」
「関係ない?」
「障害があるから絵を描いているのではない。描きたいから描いている」
「でももっとすごい絵が描けたんじゃないか?」
「すごい絵ってなんだ」
そこでぼくは言葉に詰まってしまいました。
「重い障害があろうがなかろうが、自分の思いをありのままに表現することができるかどうか。それが問題なんだ。俺はありのままに生きて、ありのままに描きたい」

ありのまま……。ぼくはこの言葉に強い衝撃を受けました。ぼくはその頃、いえ、今だって、思い切り虚勢を張って、実際以上に自分を大きく見せようと必死になっているのです。ぼくのありのままって一体なんなんだろうって考え込んでしまいました。ぼくが黙り込んでいると、彼は言葉を継ぎました。

「俺だって、こんな身体じゃなかったらって、こんな障害がなかったらって、思わないことはない。でもそんなこと思ったって仕方のないことなんだよ。でもこれは諦めじゃないよ。今の自分の力を全部使って、全力で絵を描くってことなんだ。それしかできないんだよ」
ありのままは、全力で生きること。ぼくにそれができているだろうか……。答えはノーでした。

「でもな、全力を出したって、人の手を煩わせないと絵は描けないんだ」
イーゼルを立ててキャンバスを掛け、絵筆をつけ、絵の具を出し、筆を洗う……。そんないろんなことを誰かに手伝ってもらわないと、彼は絵が描けないのです。
「だから、全力で絵を描くんだ。手伝ってくれた人たちに報いるためにも」
ここでも彼は教えてくれました。ありのままは決してひとりで生きることじゃないって。それに、人は決してひとりで生きてはいけないと。

障害があろうがなかろうが、人は多かれ少なかれ人の力を借りて生きている、多くの期待があり、支援があり、その期待を超えた結果を産もうと全力をふり絞る。頑張るっていう言葉はあんまり好きではありませんが、自分自身をありのままに表現することなら、なんとなくできそうかな。彼と話していて、肩の力がすうっと抜けていくのを感じていました。

マイクさん

〈金額的に国の厄介に相当なっています〉

ぼくは国や人に厄介にならずに生きている人などいないと思います。東福光治さんの言葉を借りれば、たとえ厄介になってもありのまま、全力で生きればいいんじゃないかと思います。ぼくは彼のようにありのままに生きたいと強く思っています。

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トリアージもQOLも理解できていません/ランク付なんて

もう一度 難病とはを考えてみます
難病法における「難病」とは、「発病の機構が明らかでなく、かつ、治療方法が確立していない希少な疾病であって、当該疾病にかかることにより長期にわたり療養を必要とすることとなるものをいう。」
5,000から7,000種類あるとされる
その中で 研究事業対象の333種類が「指定難病」となる

29年度末現在 特定医療費(指定難病)受給者証所持者数,対象疾患・都道府県別 出典:厚生労働省衛生行政報告例(平成29年度末現在)
http://www.nanbyou.or.jp/upload_files/koufu20182.pdf
(所持者数は)  全国総数. /京都
全国総数/京都   892,445 20,044
筋萎縮性側索硬化症  9,636 190
パーキンソン病   127,536 3,311
潰瘍性大 腸炎   128,734 2,744

日本の公的な「難病対策」は1972年(昭和47年)に厚生省が発表した「難病対策要綱」に端を発します
アメリカで2002年の「希少疾患対策法」が
EUでは2009年の「欧州連合理事会の難病・希少疾患対策に関する勧告」ですが それらの中身の比較はマイクには出来ないのが残念です
しかし十分過ぎる日本の施作である様に思えますが 運営の煩雑性とか 非効率とかの問題は色々あると思います

ここからマイクの経験での意見を
指定難病に認定されるには 医師の確定診断を行政に提出し審査するのを長時間待つ不安が付き纏うのです
また主治医・ケアマネを決め 在宅の訪問看護の介護資格認定にも長時間で ストレスになる
そのストレスも 認定され 医療費助成の目安が付いて経済な見通しがついて安堵するには2〜4ヶ月掛かるのです
しかも介護地獄や転院地獄の現実を知るのもその頃です
地域包括センター・難病連などの相談窓口のあることは直ぐに分かるのですが お役所仕事で積極性が感じられません
障害者手帳や生活保護まで多彩な福祉支援施作が憲法25条(生存権)に基づいて用意されている筈なのです
その頃の弱っている患者にもう少し丁寧に説明し導いて欲しいのです

さて指定難病に潰瘍性大腸炎を取り上げたのは 難病の中でパーキンソン病より人数多く ビオフェルミンで完治したとかエエッという話もあり 他にも軽い難病もある事を知ったからです
5〜7000もある中のたったの333が認定されているのです
しかも患者数が18万以下という条件があるのです

今日はこれくらいにして 看護学校性の3週間の実習が終わったのでその事を
前の二人が社会人経験してからの30歳だったので 今度の21歳では頼りないのではと思ったりしたのですが 災害支援の看護師を目指していると聞いて頼もしく思いました
それでマイクが調べたかったトリアージとかQOLについて調べるよう宿題を出してきました
胃瘻についても 気管切開も宿題にしてお互い勉強になりました
医師や看護師から以上に深く教えてもらったように思いいました
今まだウブで頼りなさそうですが 逞しい看護師に成長するでしょう

もう一つ 今日85歳のパーキンソン患者が向かいのベッドに再入院された
胃瘻をされていて 病院がマイクに胃瘻を勧めんがためのご配慮?かも知れません
パーキンソンは胃瘻される方がこんなに多いとは
それがみんな構音障害が少ないのです
パーキンソン病でもALSには色々教えられて 似たもの患者のピアもありなのです

胃瘻の話しでの疲れか/卑怯では居られなくなった

10/11の後 書き込みが滞っていました
胃瘻の話が主治医から突然出た事が出たことの精神的な疲れかも知れません
実は 一月前から食べ辛くなっていることは自覚していて そろそろかと覚悟していたのですが 突然であるのはそれ程急ぐべき状態なのか 余裕のある事なのかハッキリ言われていないのです
今週の日曜日は瀬田の東光寺で恒例のアートフェスで またその翌々日10/22は 琵琶湖ホールでのパフォーマンスフェスにマイクが参加するのは問題ないのですが 11/17と大事な12/29には生前葬Vol2もあるのです
胃瘻するには2週ほど別の病院に入院する事になるのですが 医師には生前葬のことはまだ相談していません
ミキサー食のメニューは見ても意味ないくらいなので 直接胃に入れる抵抗は全くありません

書き込みが滞っていたもう一つは 例の甘えったれの騒がしい叔父さんの隣では眠れぬだろうと 10/10に看護師長が別の静かな患者の部屋に変えてくださったのです
所が 今日はその叔父さんをナースセンター近くに変えたと言うのでまた元のベッドに戻ったのです
そしたら隣には既に30歳の若者が入っていて それがもっと治療で大変な患者なのです
彼は小さい頃からのMSAで 胃瘻をしていて気管切開はしていないが殆ど喋れていないのです
多分向かいの93歳の胃瘻のお爺さんを勉強だと言って真剣に観察しているマイクのために もう一人の胃瘻の先輩を当てがって下さったのでしょうか?
しかし彼は殆どイビキで寝たままで 妹さんのお見舞いの間も寝たままに近かった
それでも妹さんとその友達に実に明かるく励まされていて マイクにまで頑張る様に励ましの拳タッチを貰った

マイクには甘えったれの叔父さんのお相手している面白さより 彼の様子を見ながら若者の患者とマイクのような年寄りの患者での生き続ける命の意味を考える機会を頂いたとの思いで すっかり疲れが吹っ飛んだのです
しかし明日からは 多分これまでとは違った見方ができる様になるかは自信ありませんが 刺激されたことは間違いありません

でもマイクには余りにも難しそうです
実はマイクは 安楽自死の考えを 終末期の老人に限定してきたのです
それを マイク自信の卑怯さと自覚してきたくらいです
47万人の死ねない老人のためだけに考えてきたことにしているのです
他の死にたい人 自殺願望者や 末期の病人や身障者については マイクの思考を超えると考えて避けてきたのです
それが 今日からです 間違ってでも考えるべき立場になったように思います
どうなる事でしょう

ピア同士がオープンに繋がりたい

昨日は清水さんからの返信を頂いておりながら マイクの書き掛けていた原稿は 上中下卷で 3日間に連続投稿の積もりだったので 返信より下巻を 優先して投稿しました

そこには マイク自身がが占い師であるかのように 天命としてのALSを予感していたことを 1年前のマイクのブログ見直しで検証できたと思っています
或いは その頃はボランティアもマンネリ化し アート鑑賞も ダンスの仲間との付き合いも運動神経の遅れや姿勢に限界を感じていた頃でした
またそれ以上に安楽死問題のことに限界を悟ってしまったからの虚脱感が 余生の為の変身を懸命に探っていたのです
その変身もなかなか定まらず 却って安楽自死から去り難くさせていたのです

さて ピアカウンセリングの事が 清水さんのような癌患者にも向いているとは考えてはいませんでした
難病のようにピアの数が少ないから ピア同士がサポートし合う西欧のシステムが重宝がられているのです
癌は国民の3分の1が経験者になるのですからリアルな情報に満ち溢れているのではないでしょうか
しかし大病で肉体的よりも精神的な辛さは比較するべくもないかも知れません
同病で無くとも 大いに参考になり 癒し会えるはずです

特に経済的情報は何方も得難いのです
日本人は隠蔽の風土から抜けきれないのです
卑しいこと 恥ずかしいとには蓋をする
お金は汚ものとして 病気であることを 死までを
そんな国民性ですから ピアで纏まるのは 患者の1割もなさそうです

共同体志向の強い欧米では 自分を曝け出すことで周囲からの正直者としての信頼を得るのです
また自分を曝け出すだけではなく 相互扶助の精神が生まれ育っているのです
そこには移民や他の宗教が混ざるだけで気遣いあって生活しています
ところが格差が共同体の無防備をいいこととし犯罪が蔓延る
その防衛としての管理社会化や個人情報保護が必要になった欧米とは違って 敗戦で知った個人主義を自由勝手に理解し批判するものもないことをいい事に 企業や政治まで自己ファーストな日本を管理社会や個人隠蔽社会にすることで保身を図ろうとしている

またも清水さんのピアカウンセリングについて マイクの見方を書いてる積もりが 他所道してしまいました
「迷惑をかけたくない死に方を望むのが最近の終活の流行り」の問題については 現に難病指定を受けているので 金額的に国の厄介に相当なっています
在宅看護推奨するのは当たり前だと入院してから調べたことで理解しこのブログに載せています
家族に厄介なっても実はそれ以上の負担を掛けていることになると結論しました

指定された難病だけで300を超え 病気や本人の生活状況や家族も様々です
しかも突然の未知の世界に投げ込まれ 戸惑うばかりなのです
ピア活動や貸し出しできるガイダンス映像があれば大いに救われると思い 希望を述べた事があります

今日の返信の 夢の納棺体験は最近の終活として流行っていますね
京都でもイベント好きの若いお寺さんがやっています
9月20日に観たもっとNHKドキュメンタリー「ガーナにある“棺おけの村”へ」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3599/2325994/index.html
弔いは最高の笑顔で 漫画家 西原理恵子 ガーナ共和国(2012年)相次いで身近な人を送った西原さんが、西アフリカ・ガーナにある“棺おけの村”を訪れる。とびっきり明るい弔いの場で、改めて死について考える。

を思い出します
この田舎の村の金持ちが死ぬと1年間冷凍しその間にそれこそ立派から派手まで色々奇抜な棺桶を作って村を挙げて楽しい葬儀をする
西原も自分用をデザインした棺桶を購入する
古くからのしきたりでなく 若者が父親のために考えたのが広がったそうです

それだけの事ですが 死生観も作られたもので 最近の簡素化と真逆です

豊かでもない人達が死を大げさに考える余裕がどこから生まれるのか
そう思っただけですがなぜか忘れられないので紹介しました

すぐに業火に焼かれるはずですから……

マイクさん
連投で、しかもつまらない内容です。笑ってください。

死に際に人の手を煩わせるというようなことを書いたからでしょうか、嫌な夢を見ました。記憶にしっかり残る夢です。大きなキャリーバグのようなキャスターのついた箱が、目の前に運ばれてきました。にこやかな男の人が黒づくめの衣装を着て立っています。

「なんですか?」とぼく。
「最新の商品をご紹介いたします」と男。
「それはなんですか?」
「コンパクトな棺桶です」
「身体を折りたたんで入るんですか」
「いいえ、このようにのびるんです」
男がボタンを押すと、その箱はスッと縦方向に倍の大きさにのびた。
「ほらあなた様なら、十分入れます」
男は蓋を開けて、ほうらというように中を指差した。綺麗なシルクで覆われた箱の中は、寝心地がとてもよさそうに見えた。
「寝心地はどうだろうと思っておられますね?」
「ええ、まあ……」
「どうぞお入りになってみてください。ものは試しと言いますから」
恐る恐る中に入り寝転んでみた。どうだろう、冷たくて、気持ちがいい。
「ただいまフルオプションサービス中で、ドライアイスを入れてございます。気持ちよござんしょ」
男は耳まで裂けたような口で笑った。と、その瞬間パタンと蓋を閉じた。暗闇に中で慌てるぼくに、男は箱の外から語りかけた。
「大丈夫ですよ。光採りの窓もございます。ほら」
顔のあたりに小さな窓が開き、光が差し込んだ。いつの間にか、シルクの布はぼくの身体にぴったりになり、いや、身体を押さえつけるように自由を奪った。ぼくは冷気に包まれていく。
「寒いです。身体が凍っていくみたいで……」
「大丈夫ですよ、すぐに業火に焼かれるはずですから」
男の口は本当に耳まで裂けていた。

とまあこんな夢です。
恐怖で目がさめた後もしばらパニックに陥ってました。
ぼくはどうもエンジョイ・デスとはいかないようです。情けないですが。

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仕方がないなあという生き方!?

ある陶芸家の先生にいただいた骨壷。これだって骨を拾ってくれる人がいないと……。

マイクさん

「迷惑をかけたくない死に方を望むのが最近の終活の流行り」という一節に引っかかってしまいました。果たして人に迷惑をかけない死に方なんてあるのでしょうか。たとえば猫は死期を悟ると身を隠しひっそり死ぬと聞いたことがあります。もっと大きな動物では象もそんなことをすると聞いたことがあります。人でもそういうふうに、ひっそり誰の目にも触れずに死にたいと思う人もいるようです。富士山の麓の樹海に入って死ぬという人はそうなのかもしれません。でもそれにしたって、年に1回はそういう人に遺体を捜索するということが行われているようです。これって、ごっつう迷惑な話ですよね。

ぼくは思います。人間って社会的な生き物だと言われていて、その通りだとしたら、死んだら必ず人の手を煩わせるものだと。勘違いしないでくださいね、迷惑だと言っているのではありません。煩わせると言っているのです。煩わされて迷惑だと思うか、思わないかは、亡くなった人と見送る人の関係によるのじゃないでしょうか。迷惑をかけないというなら、何が迷惑で、何にが迷惑でないかを、ちゃんとわきまえておくことが大切じゃないかと。

ぼくには3人の子どもがいますが、早くに家族関係を解消したので、ぼくが亡くなったからといって子どもたちに後始末をしてくれと頼めば、これは言うまでもなく彼らにとって迷惑な話になるでしょう。だけどぼくにだってそれ以降の人間関係というものがあります。その関係の上で後始末を頼めば、まあまあ仕方ないなあと動いてくれる人もいるでしょう。そういう人たちに甘えなければ、自分の始末もつけられないのです。そう、人は誰でも自分の死んだ後の始末をつけられる人などいないのです。人に「迷惑をかけない死」などというものはありえないと思います。

だったらどうするか。迷惑をかけても、手を煩わせても、仕方ないなあと思ってもらえるような人間関係をつくるということではないでしょうか。「迷惑をかけない死」などというのは、幻想に過ぎないと思います。きつく言い放つと思い上がりだと思います。いや、ゴミのように扱ってくれたらいいんだと言っても、じゃあゴミ処理をする人にとっては迷惑ではないのか!?という話になります。

ぼくは思います。人間が社会的な生き物だという側面には、人の手を煩わせるとか、迷惑をかけるということも含まれているのだと。だったら甘えてもいいのじゃないでしょうか。甘える甘えられるというのも、人と人の関係の中ではとても大切なことだと思います。そういう関係を構築できるかどうか、それはその人の生き方にかかっていると思います。だからこそ人を大切にして生きていくことが大切なんじゃないでしょうか。甘えたいから大切にする。大切にするから甘えられる。ぼく、なんか、おかしいこと言ってますかね。

マイクさん

迷惑をかけてもいいんですよ。裏切りさへしなければ。

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最期は在宅より施設で罪滅ぼしや世直しとかを味わってから

8日9日に続く今日の続きを終えてから 清水さんへの返信をします

去年の今頃は 呂律が少し気になる程度で 医師からは1日6合のお酒を控えるよう指示されただけでした
去年の9/12以後のブログでは 天命を予感するような書き込みが続きました
また安楽自死支援施設が必要なマイクの事情まで予感していました

2018/11/3「最期に役に立つのは最善の死」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/865.html
2日の新聞に 佐々木閑(しずか)花園大インド仏教学教授が「現代のことば」の欄に 釈迦が自分が死んだらこの世で一番豪華に火葬し 残った灰を信者に与え 立派な墓で供養させよ」と言ったとある
釈迦の時代のインドは「業」の世界に生きており 「立派な人に供養すれば何倍もの果報が戻る」と考えていた
悟りを開いた釈迦がなくなると「涅槃」に入り完全消滅するので それでも供養を続けられるような葬儀の仕方を指示したのだという
つまり豪華な葬儀と立派な墓での供養は釈迦の信者への慈悲だという

迷惑をかけたくない死に方を望むのが最近の終活の流行りですが 筆者はもっと役に立つ死に方を考えてはどうかと また「自分の死が他人の人生に恩恵を与え 道しるべとなるなら それこそ立派な死に甲斐というものだ」「人の役に立つ死に方とはなにか」と結んでいる
流石だ その通り と感服する

マイクは 終末期の老人に 必殺仕掛人になることをお勧めする
元気な内は 世間体や家族のことを考えるとできないが 人生の最期に罪滅ぼしとしてやるべきことがいっぱいある
安楽自死センターにはそのような思いの老人に バーチャルでもいいから体験させてあげられるようにしたいものだと考えています
人の役に立つ最善の死に方だと信ずるマイクです

2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役だつ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものです

長々と 10/8・9・10とに亘って1年前のブログを振り返って見ました
今年の2/6の告知の相当前に ALSとは知らずに こうなることの予感能力がマイクにあったことをブログで検証出来たように思います

自分自身をさらけ出すのです

診察待ちです。感染予防のマスク、まぶしさ避けのサングラス。
怪しいですね。

マイクさん

ずいぶんご無沙汰してしまいました。往復書簡の体を成していませんね。申し訳ありません。イベントが終わって、ちょっと冷静になって自分が病人であることを思い出し、病院に通ったり治療方針を求めていろんな人に相談したりで時間が過ぎてしまいました。病は気からと言いますが、忙しいと病気のことは忘れてしまってその間に病気が治るかというと、決してそんなことはなくマイクさんのALSもそうですが、ぼくのがんも密かに確実に進行していくのです。本当に厄介な病気ですね。いやんなっちゃう。

だから絶えず自分は病気である、がんであるということを意識しておかなくちゃと思いますが、それも決して後ろ向きじゃなく、悲観的にじゃなく、前向きにとらえ続けたいと思っています。そんな時にマイクさんの「同病者同士の繋がりがあれば、医師からの症状の進展説明よりリアルに納得できそうに思います。また精神的な、更になかなか知るのが難しい経済的な具合まで参考にできるはずです」という言葉が生きてきますね。特に経済的な問題は大きいです。

ぼくはなんの保証もない自由業という生き方からか、人生の備えとして若い頃から生命保険に入り、早くからがん特約、先進医療特約などという契約を結んで、いざという時はこれで大丈夫などと思っていました。ところがです、前回の大腸がんから2年経過せずに前立腺がんが見つかったことで、しかも同じ悪性新生物と診断されたことにより、ほとんどなんの補償も受けられないことがわかりました。不安がひろがりました。放射線治療にどれだけの費用がかかるのか、その間仕事はどうなるのか、補助や助成はあるのかないのか……。あれやこれや思い悩みますが、解決策は見つかりません。じゃあどうするか? 答えは明快でした。経験者に話を聞く。これに尽きるということです。

放射線治療がいかなるもので、その結果どのようになるのか。どれほどの費用がかかり、どのような制度が使えるのか。医師の言葉だけではなく、経験者の具体的な話を聞くことで、かなり具体的にいろんなことを想定できるようになりました。そうしてそれに沿って準備を進めています。予定としては、年内は観察を続け、年明け早々から放射線治療にかかります。37日間土日、祝日を除いて放射線照射を受けます。ホルモン治療は回避しました。これも医師はもちろんですが経験者の話を参考に決めました。医師の話は一般的な話に終始しますが、経験者の話は具体的でとてもわかりやすいと感じました。マイクさんの言うピアカウンセリングの大切さ、必要性をぼくも身をもって感じました。

ここにもマイクさんの言う「入院生活は色々の人生を『リアル』に見られる面白味」があるのでしょうねえ。そこには参考になることばかりではなく、苦悩や悲観、悲しみや喜び、怒りや失望、さらには諦めという、病をめぐる様々な感情や思い、考えが噴き出すようにあふれてくるように思います。

「ルポライター清水さんはモラルとして個人情報を如何扱うかの迷いや悩みはないのでしょうか」

もちろんあります。だからもし、ぼくがそのことを書くとしたら、その人の話を書くのではなく、自分のことに引きつけて、徹底的に自分自身に集中して書きたいと思います。他者の個人情報を書くのではなくて、自分自身をさらけ出すのです。それが「リアル」につながると確信しています。

マイクさんの胃ろうをどうするかという決断。ぼくもいつか通る道かもしれませんから、強い関心を持って見守っています。

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死刑囚に安楽自死の支援を/執行人不要です

昨日に続き 去年の9月頃にマイクが「天命としてのALS」を予感していたことをマイクのブログで検証します
一方で安楽自死の施設の可能性に期待を掛けられない現実にくたばっていたのです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
i 大体たことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

2018/9/24「次は安楽死疑似体験を」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/845.html
「最善の死」を考えてからアッという間にこのブログの集約であるかのように書き込みました
マイクが言いたいことはこれ位のものでしかないのですが 言い尽くしたわけでもありません
思いは思いで これまで色々の方に話したことばかりで また殆んどが同感していただけるのですが 誰からも現実的でないことを指摘されます

安楽死センターの実現は マイクが先導を切って最善の自死をやって見せることで 共感者や批判者を増やすことでしかできないでしょう
そうは思ってもマイクにはまだまだ終末期がいつなのかを自覚できません
その時にならなければ実践できません
思いに共感する人たちを集うことで 設立運動を起こすことも理想です
かって東京に 安楽死党なる政党があって 立候補したことがあります
マイクにその様な力量があればと悔やみます

それより最近のマイクは すっかり老化が進み 体力ばかりではなく 気力も衰えてきて 終末期に自分から近付こうとし兼ねないほど弱気になっています
マイクのもう一つのブログ「腰痛日記」を「老化日記」に変えようかなと思っているくらいです
もう少ししたら マイク自身の終末期大接近を自覚し 終末期シミュレーションを疑似体験してみたいと思います
実現のためのプロセスを考える具体的なアイデアがいっぱい生まれそう

2018/9/30「赤ちゃんポストを見習って老人ポストを」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/850.html
マイクがこのブログで 安楽自死センターの必要性を思い立ったのは 熊本の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」赤ちゃんポストのご苦労を知ってからです
事情があり里親とてそう簡単に見つからないで 子殺しや子捨てをせざる負えない現実に 非難を受けながら開設した

死にかけの老人も 高齢社会には多くの貧困と無知で 社会を暗くさせるに間違いはありません
死から目をそらしてきた結果から その時になって迫りくる死を如何しょうもなく他人任せにしたっ結果 医療は客として利用し 家族も無責任に社会福祉財政を利用
昨日の夕刊には 慈恵病院がこれまで特別養子斡旋を民間仲介業者に紹介するまではやってきたが 4月施行の「養子縁組児童保護法」が 許可制になり 仲介業廃業するなどの受け入れ先が減ってくる可能性があり 自ら参入すると言う
元々ポストは相談受付や里親などの救済の入り口として生まれたと言っておられる

ひとりで考えたこともない死の恐怖を抱く老人に 自死を支援することの必要性はこれから益々社会に欠かせなくなる
その走りの入り口として 老人安楽自死センター設立の前に 「老人ポスト」と言わないにしても そのようなものが必要なのかもしれません

マイクが憧れる「エピクロスの園」
http://mike12.web.fc2.com/epicurus.htm
を 老人駆け込み寺として町家のどこかでスタートできたらと 夕刊を見て思いつきました

明日に続きます

マイクの心身が予感していた/天命としてのALSと生前葬

マイクが総合病院で 精密検査し酒を控えればいいと言われたのは去年の7/18
12月初めに再検査したら大学病院で検査入院する事になり そこで告知されたのは今年の2/6
難病それもALSと覚悟したのは告知の2週間前だったから 昨年中の安楽自死構想はただの妄想だったのです
安楽自死の展開に行き詰まり そろそろ自分がやって見せるしかないと思い始めたのは去年の9月初旬なのです
安楽自死を社会的に容認されるべきだとのマイクの長年の思案も飽和状態で これ以上発展するか自信をなくしていた頃です
去年の夏過ぎての予感は 「マイクのブログ」を読み返してみて分かります

2018/9/12「最善の死を考えるべしと」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/834.html
・・・それでも思考を止めたらいけないと思っていると思いついたのが 「最善の死」という言葉です
最善の生き方というものはありそうですが 最善あるいは最良の死という言葉をこれまでマイクは考えたことがありません
・・・社会的な受け入れには 自死が人生の結果を飾るイベントとして これしかない つまり最善の死に方だと証明する必要があります
人生の終結としての つまり人生の結果を 自然や医者など他人に任せるのではなく 自分で演出すべきではないかとまではいかないまでも 自分で死を宣言・実践し 自分で死んでゆくことぐらいはすべきだと思っているマイク
・・・それにしても最善の死とは何か 恥ずかしくないような死に方はあるのだろうか

2018/9/13「白幽巌居が待っている」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/835.html
記事カテゴリーを「最善の死とは」にしたのは 生き方と同様に 死に方にも自己責任があって 美しい死生観を持ち続け 他人には迷惑をかけず生きてゆくべきと同じに 最期もそれを貫くべきだと思ったことからです

介護施設や老人病院に送り込まれた自分の家族が 相模原や岐阜などの施設で起こった事件で 亡くなるのが続いた
家族は当然嘆き 犯人を恨むが 姥捨て山に捨てておきながらの自分を責めない
家族は最善の処置として 施設に最期を委託した結果なのですが 本人にとって最善であったかどうかは無視されています
それはしょうがないのです
本人が家族や他人に最期の看取りを任せてしまったのです
本人が最善の方法など考えもつかないからです
それは日頃より考えていないからです
姥捨て山には自分から行くべきなのです
・・・最期の最善の死に方は 自分で考えておく自己責任があるのです
そう簡単ではないのですが それには先ず 最期は自死だとの覚悟が要ります
他人任せでは迷惑をかけることになります
・・・マイクは HP「私の自死道」
http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htm
にあるように 白幽巌居跡で 酒を飲んで自死することを夢見ているのですが 実現は容易ではない
それでも自分の人生の大集成として 恥ずかしくない死に方を 細やかでいいから演出したいものです
そんなに簡単ではないとは思いますが 考えるべき時期に来ているマイクです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
大体分かったことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
・・・難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

明日に続きます