受け継ぐ者の明日

病棟を訪ねたY君とD君を前に熱心に話すマイクさん

マイクさん

あなたが旅立って9カ月になります。やはり時間の経つのは速いですね。去年から今年にかけては、新型コロナウイルスの感染拡大で、動くに動けずほぼ閉じこもった生活をしているので、代わり映えのしない日々を過ごしているにもかかわらず、時間は立ち止まってくれません。過去という時間がどんどん堆積していき、未来という時間がどんどん薄っぺらになっていきます。そんなことを思うと、ふとさみしくなってしまいます。

5月8日は父の誕生日でした。生きていれば94歳になるはずでした。でも、父の時間は6年前から止まったままです。おそらくそれは、僕が過去ばかり振り返っているので止まったままに思えるのでしょうね。振り返るんじゃなくて、父の時間を受け継ぎ前に進めないととも思います。父だけではありません、マイクさんの時間も僕が受け継いで前に進めたいと思っています。

受け継いだ時間の結晶のひとつがこの「往復書簡」だし、南日本新聞で続けてきた「『生きる』宣言」という月1回のコラムです。一昨年の6月にはじまり、今月が最終回です。この2年間、マイクさんと交わしてきたこの「往復書簡」を縁(よすが)に、生きること、死ぬことを自分のテーマとして書き続けてきました。次は「往復書簡」と「『生きる』宣言」を1冊の本にまとめるために動き出したいと思っています。この中にはマイクさんのことはもちろん、父のことも母のこともたくさん含まれるはずです。僕はそんな方法で時間と人生を引き継いでいきたいと思っています。

マイクさん

引き継ぐ人間は僕だけではありません。僕と一緒に病棟を訪ねたY君を覚えていますか。彼もマイクさんから多くのものを受け継いだと思います。

Y君はマイクさんとの面会を終えた後、「マイクさんの言葉の7割がわからなかった」「ちゃんとコミュニケーションできなかった」「あらゆる面で僕はまだまだ経験が浅い」と酷く自分を責めていました。「マイクさんからもっと生きるという本質について聞きたかったのに……」と本当に悔しそうでした。

その彼が鹿児島のある都市の市長選挙に立候補しました。9日が告示日です。

僕は彼がマイクさんと出会って、難病とともに生きる人の事実を垣間見て、生きるとは、死ぬとはどういうことかと考えて、きっとどんなに重い障害や難病があっても最後まで自分の意思で生き抜くことの大切さを感じてくれたと思っています。しかも肌で感じてくれたと思います。

そのY君に僕は、彼にしか発想できない、実行できない福祉の形を期待しています。それこそがマイクさんの時間と人生を受け継ぐことだと。そうしてあの時感じた悔しさをバネに、この国の新しい福祉の姿を鹿児島から全国に発信してくれると信じています。

マイクさん

僕や、彼や、あなたの時間と人生を受け継ぐ者の明日を、どうぞ見守っていてください。
改めてよろしくお願いします! 往復書簡はまだまだ続けていきます。

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自分の人生を自分の目で

驚くほど大勢の参加者で開かれた「生前葬エンジョイ・デス」 マイクさんのつながりのひろさを実感した 2019年6月29日

マイクさん
あなたが旅立った9日に毎月手紙を書きますと言っておきながら、昨日はとうとうできなかったことまず謝っておきます。すみませんでした。でも、これでもけっこう忙しかったりするんですよ。その上、昨日まであなたが暮らしていた京都で仕事をしておりましたので、もうバタバタで。マイクさんと知り合ったことで、京都での人脈もひろがり、仕事もひろがりそうです。

しかし、どこに行っても「マイクさん知ってますよ」という人が多くて、びっくりしています。マイクさんの社会活動の幅の広さ、多様さに驚かされるばかりです。しかもそれを本格化させたのが定年退職後からだということにも驚いています。猛烈な行動力だったんだな。その頃にもし僕がマイクさんと出会っていたら、僕の人生もずいぶん変わっていたのではないかと思います。僕なんかのんびりしたものだなと、ちょっと自戒を込めてマイクさんのことを思っています。

マイクさん
空から見ていてご存知かもしれませんが、このところこの国はパッとしない状況が続いています。新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めることができず、政治も打つ手に説得力を欠き、諦めのみが先立っているような感じです。なのにどこか緊張感も緩んでくるというような……。マイクさんがこの現状を見たら、きっと噴飯ものだろうななどと思ってしまいます。きっとこんなふうに言うんだろうな、
〈新型コロナウイルスに社会全体が感染したんだよ。個人の行動自粛の問題じゃなくて、社会全体がデータと科学的知見に基づいて冷静に考え動かないと。今は誰もがジタバタ右往左往しているという感じだな〉
と。研究者として冷静な目と思考を持つマイクさんなら当然のことです。

マイクさん
そう、あれは研究者として冷静な目と緻密な思考だったのですね。マイクさんが〈自分はどんなふうにして死ぬのか〉を心底知りたがっていたことです。〈次第にALSが進行し、からだが衰え、最後はどうして死に至るのか〉を。正直言って、そんなこと知らなくてもいいのにと僕は思っていましたが、研究者としてのマイクさんにとっては大切なことだったんですね。〈だってそれを知ることなしに自分の人生を全うしたとは言えないじゃないか〉きっとそんなふうに言って笑うんでしょうね。

僕は研究者じゃないけど、冷静な目と、緻密な思考を身に付けたいと思っています。マイクさんのように人生を全うするために。自分の目で自分の人生を見届けるために。

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徹底的に生きてみる

はじめて会った日、パソコンを覗きながら熱心に話すマイクさん

マイクさん

僕がマイクさんとはじめて会ったのは、2019年3月22日でした。そうして3月26日に、この「往復書簡」が公開されました。そして僕は生意気にもこんなことを書いて送りました。

〈もう少し生きてみませんか〉

それはマイクさんに向けたひと言でしたが、実は僕自身に向けたひと言でもありました。

その頃の僕はガンの手術を受け、放射線治療を終えて、身も心も、なんとなくですがボロボロに近い状態でした。転移と再発の恐怖、抗がん剤の副作用、後遺症。そんなことが何重にも身を取り巻き、ヘトヘトになっていたのです。ただひとつ、命の時間を限られなかったということだけが、救いであり希望でもありました。

そうしてふたたび、気力を振り絞るようにしてペンを取り、写真を撮り、多くの人の前で発表した直後にマイクさんのことを知ったのです。

雅子さんから、ALSを告知されて自殺願望に取り憑かれたマイクさんの話を聞き、正直に言うと、雅子さんのSOSに答えるというよりも、個人的な興味からマイクさんに会ってみたいと思ったのです。

会って、ご自宅の2階のリビングでいろんな話をしました。マイクさんはまだまだ身体も動き、言葉もちゃんと出ていましたし、お酒も飲んでいました。普通のおじいさんでした。だけど、何度となく「自死」「安楽自死」「尊厳自死」と言う言葉が繰り返し出てきたことに、なんともやりきれない思いになったことを覚えています。

でも聞いているうちに思いました。マイクさんは僕の「負」の側面だと。後ろ向きの僕だと。僕はマイクさんよりだいぶ若かったからでしょうか。まだまだ人生に満足できていません。だから、まだまだ死ぬわけにはいかないと思っていました。だけど、これから訪れる死の恐怖から解放されるには、死んじゃうのが一番手っ取り早いなと思わなくもない自分がいました。

さっきヘトヘトになっていたと書いたのは、そんな思いを打ち消すことにヘトヘトになっていたということかもしれません。だからマイクさんに言ったのです。

〈もう少し生きてみませんか〉

と。

マイクさんは、僕の言葉に答えてくれるように、まわりのみんなが驚くように、その後1年半を貪欲に生きましたね。僕はその一部始終を見せてもらいました。そうして心に刻みました。マイクさんに恥じないように貪欲に生きようと。

マイクさん。僕も、もう少し、いや徹底的に生きてみることにします。

〈徹底的に生きなさい〉

マイクさんは今もそう言って背中を押してくれているような気がします。

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マイクさんの思い出を生きています

マイクさん

あなたが旅立ってから、今日でちょうど半年です。時間が経つのはとても速いですね。ふとした拍子にマイクさんのことを思い出し、ああ、本当にもう会えないんだなと寂しくなります。

マイクさんが去った後も、僕は南日本新聞の「『生きる』宣言」を書き続けていますし、この「往復書簡」も時々ですが、こうやって書いています。ALSをめぐっては、京都のALS患者尊属殺人事件が明るみに出てから様々な言動が飛び交っています。僕は、「往復書簡」の1年半を振り返り、反芻しながら、こんなときマイクさんだったらどう言うだろうかなどと考えて書いています。

そうしていま、たどり着いた命題が、

〈それでも生きたほうがいい、となぜ言えるのか〉

ということです。マイクさんの人工呼吸器装着をめぐっては、マイクさんやご家族の意向を無視してまで呼吸器による延命を求める人たちが現れました。僕は、彼らの「絶対に生きたほうがいい」という主張には、同意することはできませんでした。僕個人の思いを言うと、〈1日でも長く生きていてくれたほうがいい〉ということに尽きますが、突き詰めるとそれは紛れもなく〈僕のために〉ということで、じゃあ、マイクさんのためにはというと、言葉を飲み込まざるを得ません。

呼吸器による延命を求める人たちは、何か勘違い、錯覚をしているように思います。呼吸器の装着をしないという決断が、何か自殺をすることと一緒だというような。生きることに後ろ向きになっていると。

マイクさんの最後の日々を見た僕にははっきり言えます。マイクさんは徹底的に生きることに前向きだったと。決してあきらめてはいなかったと。自然に生きて、徹底的に生きて、自然に死ぬ。家族も、僕も、その姿を尊敬の念と、誇りを持って見送りました。
〈それでも生きたほうがいい、となぜ言えるのか〉僕にはわかりません。本人の苦痛を無視してまで、なぜ言えるのか、わかりたくもありません。
僕はいま思っています。〈マイクさんに恥じないように、徹底的に生きよう〉と。

マイクさん ありがとう!

節分の日、雅子さんが話してくれました。
「うちの節分は、父が毎年鬼の役でした。今年は鬼がいないから……」
言葉の隙間に隠しきれない寂しさが滲んでいました。
みんな懐かしいマイクさんの思い出を生きています。
鹿児島では咲きはじめた梅の花にメジロが戯れています。
風も少しずつ暖かくなってきました。

春はもうすぐそこまできています。

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忘れられない贈り物

マイクさん

マイクさんが旅立って3カ月が経とうとしています。

僕たちは、いや、僕は今、マイクさんに何を望んでいたのだろう、マイクさんに何を求めていたのだろうと、このことを考えています。

マイクさんと僕の関係は、去年の2月、あなたがALSだと診断されてからでした。すぐにでも自ら命を絶ちたいというあなたに、「もう少し生きてみませんか」と声をかけたのがはじまりでした。その時マイクさんからの返事は、

「生きる目標がない」

というものでした。だから1日も早く死にたいと。そういうあなたに対して僕は「ギリギリまで社会と関わることを諦めないでほしい」と伝え、そうしてこの往復書簡がはじまったのです。結論を探さなくていい、ただ話すことだけを目的にして往復書簡という形の中で話し合いましょうと。

それから今年の6月24日まで、何度となくやりとりしました。本当に何の結論も求めない、ただただ言いたいことを言い合う。その繰り返しでした。でも、その一つひとつが、僕にとってはとても大切なものになりました。マイクさんから届く一言一句が僕に多くの気づきを与えてくれ、僕に生きる力を与えてくれました。ここでのやりとりが、僕にとっては生きる目標の一つになっていたことは間違いありません。ギリギリまで生きようとするマイクさんの姿が、僕の生きる目標だったのです。

そう思うと、僕がマイクさんに望んでいたことは「生き続けて、僕の生きる目標であり続けてほしい」ということだったのです。そのために僕には何ができるか、何をしなければならないかを、ずっと考えていました。

そんな僕にマイクさんは、早い時期から呼吸器は着けないと言い続けていました。でも僕は、ギリギリのところであなたは呼吸器をつけるのではないかと思っていました。いや、言い方が正しくありません。呼吸器を着けてくれるのではないかと思っていました。

しかしあなたの意思は固かった。

「生き地獄を見たくない。今でも十分生き地獄です」

そう言い続けましたね。最後までその意思は揺らぎませんでした。7月に入ってから、あなたに呼吸器をつけてほしいという人たちの説得は続きました。マイクさん本人も、家族も、話し合いを重ね、結論を出したその経過を無視するように、呼吸器を着けるよう説得したのです。最後にはマイクさんと家族の中を引き裂いてまで、呼吸器を着けさせようという人たちまで現れました。そういう人たちは、マイクさんに一体何を望んだのでしょう。何を求めたのでしょう。僕にはわかりません。

「支えてくれる人が、あなたの命はあなただけのものではないよと言ってくれました。あなたの命はみんなの命ですよって。そのこと自体はとてもうれしいけど、僕はもうずいぶん苦しみましたし、今も苦しいのです。苦痛だらけなんです。呼吸器を着けたからといって、苦痛が消えるわけではない。この苦痛は僕だけのものなんです。それでも一生懸命生きてるんです。自然に死が訪れるその時までで十分だと思いませんか。僕はもう十分生きました」

「(呼吸器を着けて)スーパーALSになろうとは思わない。準スーパーでもちゃんと最後まで生きます」

そうして最後の2週間を病室で、マイクさんの側で過ごしてはっきりわかりました。最後の時が迫ろうとして、マイクさんには何の悔いも残っていないんだと。その姿を僕は目に焼き付けたいと思いました。そのことでマイクさんは僕の中でずっと生き続けるのではないだろうかと思ったのです。そうすることで生きる目標であり続けると。

マイクさんの病室で過ごした2週間は、僕にとっては忘れられない贈り物になりました。
それを糧にあなたとの対話をまだまだ続けたいと思います。

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あれは夢だったのか

マイクさん

整理がつきません。マイクさんが旅立って1カ月以上経ったのに、マイクさんと過ごした1年半が僕にとってどんな時間だったのか、うまく受け止められないでいます。

あれは夢だったのでしょうか……。
200人、300人もの人が集い、マイクさんを囲み、生きていること、生きていることに、喜びを全身に感じた日がありました。マイクさんと向き合い「李白の対酌だ」と、酒を酌み交わしました。一杯一杯また一杯。とても楽しい時間でした。

一回一回の往復書簡で、一言一言の書き込みに、様々に心動かされ、結局は自分の命に向き合う力をもらい、自分の背中を押してきました。マイクさんに背中を押されてきたようなものです。

僕にとってマイクさんは、大切な相棒みたいな存在でした。大先輩をつかまえて
こんな言い方は失礼かもしれませんが、確かにそうだったのです。だからあなたに先立たれた今、僕はこれまでの時間をどう受け止めていいのかわからないのです。

そう思うと、何かに一緒に立ち向かう誰かって、必要ですよね。人はひとりでは生きていけない。あらためて今、そんなことを強く感じています。

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あたりまえの日常の中で

マイクさん

マイクさんが旅立って2週間以上が経ちました。

僕は鹿児島にもどり当たり前ですが、日常にまみれています。でもこの往復書簡に書き込んだら、マイクさんが返事を書き込んでくれそうな気がして……。そんなはずないのにね、と自分に言い聞かせながら少しだけさみしい気分を味わっています。

この2週間、マイクさんが闘っていた1年半、あるいは2年と比べると、とんでもなく短い時間です。父の場合は半年足らず、166日でした。マイクさんはその4倍の時間を闘い続けたのですね。僕はこの11月に手術からまる3年ですが、僕の場合は生きるための闘いを続けているわけです。これがもし、勝てる見込みのない闘いだとしたら、僕はここまで頑張れただろうかと、マイクさんと父のそれぞれの闘いの日々を振り返りながら思いました。

マイクさん

旅立つマイクさんを見送るご家族に、涙はありませんでした。闘っている最中に、流れる涙はあったかもしれません。しかし旅立たれてからの涙はなかったのです。おそらくご家族の誰もが、マイクさんが闘いながらもよく生きられたことを知っていたからでしょう。そうして自分で決めた通りの死に様を実現されたからだと思います。

ご家族は誰もが、尊敬を持って見送り、誇りを持ってマイクさんの最後の日々を思っているに違いありません。僕もそのひとりです。

僕は尊敬と誇りを持って、マイクさんと出会ってからの1年半の日々と、死を目指してそれでも生きるという意味を文章にする作業に取り掛かりたいと思っています。

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第2のスタート

マイクさん

あなたが旅立ってから10日が経とうとしています。あっという間でした。最後の17日間、僕は約束したとおりずっとあなたのそばにいました。何を話すでもなく、ただあなたの顔を眺めながら時間を過ごしました。なのに、どうしても鹿児島に戻らなければならず心を京都に、あなたのそばに残したまま病室を後にしたのです。

「一旦帰ります」

僕がそう言うと、あなたはカッと目を見開き応えてくれました。
「必ず戻りますから、それまで頑張ってください」
僕はそう言いかけましたが、その言葉をそのまま喉の奥に押し込んでしまいました。もうマイクさんは十分すぎるほど頑張ってきたじゃないか、これ以上頑張れって残酷じゃないか!? しかも僕のためにって……。そう思ったのです。

二度と会えなくていい、おたがいの思いはもう十分伝わっている。そう思って鹿児島に戻りました。その3日後、8月9日午後4時5分、
「今逝きました」
というひと言がご家族から届けられました。
翌日とるものもとりあえず京都に、あなたのそばに向かいました。

あなたはすでに病院を出て葬儀場におられました。
お顔を見たとき、僕はハッとしました。とても穏やかで、笑顔さえ……。ずっと病室で見ていたときの表情とはずいぶん違いました。最後の日々は本当に苦しく辛かったんですね。その苦痛から解放されて、本当に楽になったんだ。そう思いました。僕はその苦しみのわずかでもわかっていたのだろうか。共有できていたのだろうかと。

出会ってから1年半。この往復書簡をはじめて1年4カ月。僕はあなたを支えることはできたでしょうか。あなたに寄り添うことはできたでしょうか。なんだか僕の独りよがりだったような気がしています。

なのにあなたは、身を以て僕にいろんなことを教えてくれました。本当にたくさんのことを、心の中に残してくれました。これから僕はあなたが残してくれたものの意味を考えていこうと思います。そうしてあなたが最後まで社会に訴えたかったことを発信していきたいと考えています。

8月11日午後、僕はご家族の許しを得てあなたの骨を拾いました。マラソンやトライアスロンで鍛えた脛の骨でした。ずっしりとした重さを僕は決して忘れないでしょう。それをマイクさんの思いを受け継ぐ重さだと思っています。

マイクさん

この往復書簡、今日が第2のスタートです。繰り返しになりますが、僕はあなたが残してくれたものの意味を考え、そうしてあなたが最後まで社会に訴えたかったことを、この場から発信していきたいと考えています。

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自分の問題として

マイクさん

京都で衝撃的な事件が起きましたね。去年の11月、女性ALS患者の依頼を受けて2人の医師が彼女を殺害したとして逮捕された嘱託殺人事件です。
様々な意見が飛び交いました。

「彼らは尊厳死を助けたのだ」「女性は苦痛から解放された」「こうすることが本人にとっては最善の道だった」「悲しいけれど、本人にとっては究極の選択だ」
ALSのような難病患者は、治療することもできず死を待つのみだとする人たちからは、肯定的な言葉が相次ぎました。中には「切腹の苦痛を取り払う介錯のようなもので、武士の情けだ」という元政治家の声もありました。逆に、
「死にたいは生きたいの裏返し。生きたくても生きられない社会状況が問題だ」「どんな姿になっても生きて欲しかったし、そのためのサポート体制を整えなければならない」「どんなに思い障害があっても、難病にかかっていても、地域で生きていく環境を整えるべきだ」という否定的な声もありました。
しかし、日本の状況は法的には尊厳死は認められないということです。ですから、2人の医師の行動を心情的に肯定しても、これはれっきとした殺人事件なのです。その後、金銭の授受があったという報道があり、僕は紛れもない殺人事件だと思っています。
僕はといえば、個々の生きたいという思いが容易に押しつぶされるこの社会の歪みもですが、ALSという病気の恐ろしさを改めて思い知らされました。

そしてこの容疑者逮捕の報道は、マイクさんが人工呼吸器の装着を〈拒否〉するという最後の意思表示と重なりました。
マイクさんは去年の4月、入院する直前に1枚の色紙を書きましたね。

〈尊厳自死をお許しください 藤井幹明
 ALS患者の唯一の選択です〉

僕は疑問をぶつけました。ALS患者の誰もがそう思っているわけではないでしょ、と。するとマイクさんは言葉を付け加えました。

〈尊厳自死をお許しください 藤井幹明
 在宅療養を望まぬALS患者の
 病院での尊厳死を望めぬマイクの
 残された唯一の選択です〉

と。加筆された文章にもツッコミどころは満載でした。まず〈在宅療養を望まぬ〉というところ。なぜ望まないのか?
マイクさんは言いました。
「家族を介護地獄に巻き込む。迷惑や負担はかけられない」と。
「じゃあ〈望めぬ〉だ」
マイクさんは力なく笑うのみでしたね。
「お許しくださいって、誰に許しを乞うているのですか?」
「警察沙汰になって残された家族に迷惑をかけるんじゃないかと……」
その時にこの色紙は、マイクさんが警察に自分の自死を明らかに自死として扱い、事件にしないことを願い出るためのものだと知りました。
生きるにしても、死ぬにしても家族に迷惑、負担をかける。マイクさんはそう思っていたのですね。
ALS患者の7割は呼吸器を着けないと言われています。そのほとんどの人が家族に迷惑をかけたくない。負担になりたくない。介護地獄に巻き込みたくないということを理由にあげるそうです。家族がそう思っていなくても、患者本人はそう思うのだそうです。

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命をかけたOKサイン

マイクさん

久しぶりに会ったマイクさんは、ずいぶん苦しそうでした。前に会ったのは3月の末でした。その時はまだ自分の足で立ち、歩き、文字を書き、声も発することができていました。

でも、昨日目の前にいたマイクさんは、喉元に穴を開け空気を送り込むチューブをつけ、天井を見つめていました。話しかけるとちゃんと答えてくれましたが、もう声はありませんでした。文字盤を使って会話をしようとしましたが、その文字盤を押すことすら難しくなっていました。

前にあった時から3カ月しかたっていないのに……。僕はALSという病気の恐ろしさを思い知りました。僕が今まで出会ってきたALSの患者さんのほとんどが、すでに人工呼吸器を着けていました。この病気の進行を目の当たりにしたのは、マイクさんがほぼ初めてでした。ALSの恐ろしさをマイクさんに教えられたのです。

主治医の先生の話では、呼吸器を着けなければ後数日の命だと知らされました。僕はただマイクさんを見つめるだけで、何もできないまま病室で時間を過ごしました。なんとかマイクさんと時間を共有したいと思いましたが、マイクさんの辛さ、苦しさを思うと、そんなことわかるはずもないのに、ただただ辛く苦しいだけで、喉の奥に熱い塊が詰まってどうしようもありませんでした。

7月22日、午後2時半を少し回った頃でした。
主治医、担当医、看護師長が病室に来ました。奥さんと娘さん、そうして僕が見守る中で最後の確認がされました。

「藤井さん、最終の確認です。呼吸器を着けますか?」

主治医がゆっくりたずねました。
マイクさんは首を横に振りました。主治医は説明を続けました。一旦着ければ2度と外せないこと、呼吸はできるが身体の状況はさらに症状が進行し、苦痛や辛さは続いて行くこと……。奥さんと娘さんはその状況を黙って見守っています。

すでにマイクさんは何度も呼吸器を着けないと意思表示してきました。それどころか「安楽自死」という言葉まで使い、病苦からの解放と尊厳を求めて死ぬ権利を認めて欲しいと訴え続けてきました。
首を横に振ったマイクさんに主治医が重ねてたずねました。

「呼吸器を着けないのですね」

マイクさんはギュッと強くしっかり瞬きしました。それは「イエス」のサインでした。それだけではなく、あれほど動かし辛そうにしていた左手を胸の上に持っていき、親指と人差し指でOKマークをつくりました。

それを見て主治医が奥さんと娘さんを見ました。2人は静かにうなずきました。その時僕はマイクさんが微笑んだように見えました。すべてが決まった瞬間でした。
「わかりました」主治医が言いました。「できるだけ苦しむことがないように……」

〈命をかけたのOKサイン〉

僕はマイクさんのOKサインをそう名付けて頭の中に焼き付けました。
でも、正直な話をすると、少しのさみしさを感じてもいました。そうして必死に考えました。

マイクさん

マイクさんの命はマイクさんの命です。でも、マイクさん1人のものではないとも思います。家族の命でもあるし、そのほか大勢の、みんなの命でもあるのです。
だけど苦しんできたのは、苦しんでいるのはマイクさんなのです。そのマイクさんが決めたことです。僕はそれを受け入れることにします。

その上で考えていました。もし自分ならどうしているだろう、と。答えなど出るはずはありませんが、必死で考えていましたし、今も考えています。

呼吸器を着けたらきっと楽になるし、まだまだ面白い世界があるんじゃないか……。そんなことを言ったら叱られるかもしれませんね。1人だけの命じゃないと言っても、その苦しみはマイクさんだけのものなのですから。そのことを打ち消す言葉を僕は持ち合わせていません。今はそれが残念で仕方ありません。

マイクさん

僕は今日もマイクさんの病室を訪ねます。見つめて時間を過ごすことしかできませんが、そうすることでマイクさんに寄り添い続けたいと思います。

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